サナシオンの脇役に過ぎないと考えられていたオジュウチョウサンだが、しかしながら、全くそうは思っていなかったのが、前年6月からオジュウチョウサンの主戦騎手を務めている石神深一騎手だった。
石神深一は2001年に騎手デビューした、いわゆる21世紀第一世代ジョッキーである。 デビュー年の成績は12勝。ルーキーとしては上々の滑り出しだった。以降も石神は毎年15勝前後をキープ。2004年にはアルゼンチン共和国杯(GII)で8番人気テンジンムサシをクビ差の2着にまで持ち込み、初の重賞連対を果たしている。一流騎手とまでは言えないまでも、堅実な騎手生活を順調に送っていた。
そんな石神の転落の始まりとなったのは2005年2月のことである。飲酒運転によりブロック塀に衝突する物損事故を起こしたのだ*1。この事故により石神騎手は4ヶ月間の騎乗停止処分を受ける。この年、石神騎手はデビュー以来初めての1桁勝利数でシーズンを終えることとなる。
悪い事は重なるもので、翌年2006年は1月早々から落馬による左鎖骨骨折で一時戦線離脱。さらには所属していた成宮厩舎が解散したことにより騎乗数も減少。結局石神騎手はこの年も1桁勝利に甘んじる結果となる。その後も騎乗依頼は減り続けていった。
騎手として崖っぷちに立たされていた。
その頃、石神の頭の中には「障害競走騎乗」の選択肢が浮かんでいた。元々デビュー当初から一度は障害に乗ってみたいと思っていた石神ではあったが、この時の直接的な理由は収入の問題だった。
現在、日本で障害競走に継続的に乗り続けている騎手の数はおよそ30名程度である。この数はJRA所属騎手全体の5分の1に満たない。平地に比べ落馬の危険性が跳ね上がる障害競走に積極的に出ようと思う騎手はそう多くはない。
石神本人も過去に障害競走に興味を示した際、師である成宮明光調教師から「危ないからダメだ」と拒否されている。他の厩舎でも状況は概ね似たようなものであり、障害競争に乗ることを積極的に勧める調教師はほとんどいない。そのため障害競走は平地に比べて慢性的に騎手が不足気味である。騎手からすれば安定した騎乗依頼数が見込めるのだ。
また、危険手当の意味合いもあり進上金(出走手当にプラスして支給される賞金額に応じた報酬)が平地に比べて高額という点も大きかった。現在JRAでは進上金の割合を平地5%、障害7%と定めている。仮にレース賞金で500万を得た場合、騎手に支給される進上金が平地レースであれば25万だったところが、障害競走であれば35万に増えるわけだ。
しかし当然迷いもあった。そんな石神の背中を押したのは、5歳年上の美浦の先輩騎手、山本康志だ。オジュウチョウサンにチークピーシーズの装着を勧めたあの山本である。
石神が障害騎乗について悩んでいることを知った山本は、石神に声をかけた。
「障害に乗りたいなら教えてやる。馬も回してやるぞ」
腹は決まった。石神の障害騎手への挑戦がここから始まる。
*1:ちなみに石神騎手がつっこんだブロック塀は、よりにもよって警察の駐在所の敷地だったらしい。