富野由悠季仕事論 -もしくは展覧会「富野由悠季の仕事」考-

スコード! 毎度おなじみ、あでのいです!

えー、既にご存知の方も多いとは思いますが、不肖あでのい、先日の冬コミにて8年ぶりに同人誌を発行し、現在メロンブックス様にて委託通販の最中であります。

 

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(通販サイトURLもキャプション中に記載してます)

 

でまあ、お陰様で良い具合に売れてる最中ではあるんですが、ここらで一つ宣伝も兼ねて、いくつか作中の独立したコラムについてこっちに転載しとこうかなと思った次第です。
という訳で、興味ある方はちょろっと読んで頂けると良いんじゃないでしょーーか?

 

 

「概念の展示」は不可能なのだが……
この展覧会の企画について、美術館の学芸員の方々からご提案をいただいたときには、嬉しかった反面、「展示するものなどはないのだからやめたほうがいい」と何度も伝えました。

富野由悠季 ‒展覧会「富野由悠季の世界」によせて(2019)


ここ数年、富野由悠季関連の最大トピックスだったのが劇場版『Gレコ』なのは言うまでもないことだが、ファンの間で『Gレコ』に匹敵する程の話題を振りまいたのが「富野由悠季の世界」展(以下、富野展)の存在だ。「富野由悠季のこれまでの仕事を回顧、検証する」というコンセプトのもとに全国各地の美術館が協力して立ち上げた展覧会企画である。

会場には過去作の抜粋映像や絵コンテなどは元より、本人の幼少期時分のスケッチノートや小学校の自由研究課題などから始まり、大学時代の自主制作映画や、今まで日の目を見なかったボツ企画の企画書や世界観作りのためのラフスケッチ、最新作のスタッフミーティング時におけるレジュメまで、富野アニメと言うより「富野由悠季」そのものを形作る、ありとあらゆる資料が可能な限り収集、展示された。

各種展示品には企画担当の美術館学芸員らによる、単なる解説にとどまらない文芸的観点からの詳細な考察や論評が加えられ、企画タイトルの名に違わず「富野由悠季の世界」そのものが会場内にて再現されていたと言って良い。

まともに展示品や解説文を1つ1つ見て回るようでは、とても1日では全て回りきれないほどの質と量であり、その規模と展示内容のクオリティは、もはや富野ファンにとっては「夢のテーマパーク」といった様相であった。

富野展はディープな富野ファンだけでなく一般層からもかなりの好評を博したようだ。来場者数は当初想定を大きく上回る数字となり、最終的には初めに予定されていた全国6カ所(福岡、兵庫、島根、静岡、富山、青森)の巡業に加え、新潟と北海道での追加開催が決定する程の盛況ぶりとなった。

本稿冒頭の文章は、そんな「富野由悠季の世界」展において実際の展示スペース入り口に掲示された、富野由悠季本人による開催に当たってのコメントの冒頭箇所である。
ファンにはお馴染みの「富野節」と言えるが、この短い文章の中には「アニメ監督・富野由悠季」の自己認識を推し測る上で非常に重要な情報が含まれている。

元々富野監督は常々「僕は作家になれなかった人間」と自称する発言をインタビューなどでよく口にしている。「才能が無かった」「所詮凡人なので」など、自身を卑下する発言の多い富野監督における定番発言の1つではあるが、富野展に対するコメント文と併せて考えると、単なる自虐というだけではない本人の仕事観がおぼろげながら見えてくる。

富野由悠季がもし「作家」であるなら、おそらく上記のようなコメントは出てこない。自分の名前を冠した美術展が企画されるとして、その細部に対する注文はともかくとしても、作家であれば「自分が完成させた種々の作品」の展示がそのまま「自分の仕事の展示」になるはずだ。しかし富野由悠季はそうではない。

自身の数々の監督作品が何かしらの形で展示されていたとしても、それを「自分の仕事の展示」だとは認識しないのだ。

おそらく富野由悠季は、本質的に自身を「演出家」と規定する強い自己認識がある。しかも多分に「制作進行」寄りの、だ。
つまり、富野由悠季にとっての「自分の仕事」とは、スタッフとの打ち合わせや、脚本家コンテマンへの依頼や指示、スケジュールの組み立て組み直しにスポンサーとの交渉、そういったこまごまとした実体の無い諸々の集合体なのである。

極論を言えば、作品そのものはあくまで「最終的な出力先」に過ぎず、それそのものが自分の仕事の本質だとは思ってない、というのがアニメ監督・富野由悠季の仕事観なのである。

富野展には企画書や絵コンテ、イメージボードや資料写真など、これまでの富野アニメにおける様々な資料が展示されていたが、それらはあくまで「どんなアニメをどう作るか」を関係者やスタッフに伝えるためのツールでしかない。
富野展で展示された種々の資料はあくまで「富野由悠季が仕事をする上で使用した道具の数々」でしかなく、「富野由悠季の仕事」そのものが直接的に展示されていた訳ではない。

「『概念の展示』は不可能」という言葉の意味は、おそらくそのような仕事観に根ざしている。「そもそも俺の仕事は『展示』できるようなもんじゃねえだろ」と。

虫プロ出身である富野由悠季にとって、アニメ監督としての直系の師は手塚治虫に当たる。手塚治虫は典型的な「作家」タイプの人間だ。やっとの思いで完成させた漫画原稿やアニメフィルムに対し、クオリティが気に入らずに全てリテイクを指示し、周囲の人間を唖然とさせる。そんな類のエピソードが、枚挙にいとまがない。

 

吉本浩二ブラック・ジャック創作秘話」より。 もっと引用に適したページがあるのは分かっているが、改めて読み返して死ぬほど笑ったのでつい。

芸術家肌のクリエイターにはありがちな話だが、一方富野由悠季の場合はと言えば、むしろ「放送スケジュールに間に合うように手持ちの材料でどうにか完成させる」という、真逆のエピソードが多い。
鉄腕アトム』の制作現場にて、過去の放送分からの既存フィルムを繋ぎ合わせて、新作エピソードを1本分でっち上げたという「富野マジック」が、ある種の伝説として語り継がれている。

「まずスケジュールが第一」なのが富野監督の仕事論であり、より正確に言えば、クオリティに満足いかなかったとしても、そこでスケジュールを倒せるような立場には人生通して立たなかった。
とんでもない才能でもって周囲を振り回す芸術家肌のクリエイターが社長を務めるアニメ会社で、毎週毎週期日通りにフィルムを納品するため、必死に現場を駆けずり回りながらなんでも屋をやっていたのがアニメ監督・富野由悠季の原点なのである。

そして、それは70歳を越えた現在でも本質的な所で変わらない自己認識があるのだろう。

そうした富野由悠季の仕事の姿勢自体が、作品に豊かな幅を持たせているという側面がある。
伝説巨神イデオン』におけるイデオンのデザインや『機動戦士Vガンダム』におけるバイク戦艦など、スポンサーからのトップダウン的な強制に対し、それ自体を作品における一種のアイデンティティにまで昇華させるという技法が、数多くの富野アニメにおいて見ることができる。
スポンサーからの横やりにせよ、若手スタッフからのアイディアにせよ、それがどういう形であれ「自分だけのアイディアでは作らない」というのが重要な制作姿勢となっており、それがアニメーション作品における一種の「豊かさ」につながっているのが富野アニメなのである。

『Gレコ』の場合、劇場版は元よりTV版にしろ企画段階から完成までに非常に長い期間がかかっている。そういう意味で言えば、これまでの富野アニメに比べて制作の進み方があまり「富野的」ではなかった面もあるようにも思う。しかしながら一方で、以下のような発言がある。

脚本が全部出来上がった後に、彼がG-セルフバックパックのデザインを持ってきたんだけど、アレは僕にとっては、全否定なのよ。『G-レコ』っていうのはこういうものを見せるための作品じゃないですよ、と思ったわけ。(中略)でも、安田朗というキャラクターが描けて、なおかつ、困ったことにメカも大好きな男が、これだけのものを描いてきたわけですよ。ということは、僕がこれを使ってみせなかったら、僕はバカにされるよね、って思った。もっというと「俺だったら使いこなせるだろう!」ってうぬぼれるしかなかった。安田朗レベルのアイディアが出てきたなら、自分の気に入る気に入らないを一切合切抜きにして使ってみせるぞ、というところへ持っていった結果が、テレビ版だったわけです。

太田出版「CONTINUE SPECIAL Gのレコンギスタ」(2022)


作品の「顔」であるはずの主役ロボットのデザインすら、「自分の趣味ではないが、この形で上がってきた以上は使ってみせる」と。いかにも「富野的」なエピソードではないだろうか?

富野由悠季の口にする「作家になれなかった」という言葉には、単なる卑下や謙遜というだけではなく、こうした仕事論との一貫性が存在している訳である。