オジュウチョウサン物語 第7章4「30年目の愛馬」

 

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 しかしそんな林が、どれだけ勝ちたくてもどうしても勝てないレースがあった。日本競馬障害競走の最高峰、中山大障害である。
 チャンスは何度かあった。1998年には障害重賞3連勝のアワパラゴンで春の中山大障害に1番人気で出走するも、1周目の大竹柵で落馬して競走中止*1。2004年には2番人気のメジロオーモンドに跨り、道中ほぼ完璧な騎乗で好位抜け出しを図るも、10番人気の伏兵バシケーンにハナ差で敗れている。
 29年におよぶ騎手生活の中で、障害界の頂点にだけどうしても手が届かなかった。
 早々にJGIを勝利していく年下の騎手に嫉妬心が渦巻いた。口では祝福しながら、いつも「なんでお前達が俺より先に勝つんだ」と薄暗い妬みの心が沸くのを止められなかった。
 
 そんな林が騎手人生30年目に出会ったのがアップトゥデイトだった。
 その出会いには、人の縁があった。アップトゥデイトの生産牧場であるノースヒルズ代表の前田幸治は、林の師である吉田三郎と古い付き合いがあり、林自身も騎手としてデビューする前から可愛がられていた。
調教師の佐々木がアップトゥデイトを「障害が合いそうだ」と周囲に話していることを知った前田は、アップトゥデイトのパートナーに林を指名した*2
 
「満明にGIを獲らせてやりたい」
 
 林の中山大障害への渇望を、前田もよく知っていたのだ。
 そんな経緯でアップトゥデイトの主戦騎手となった林だが、自身も障害調教を始めて3週間目には「これはものが違うな」と感じたという。予感は正しかった。その後のアップトゥデイトの活躍については以前に述べた通りである。
 中山グランドジャンプ勝利後のインタビューでは、
 
「GIをとるのに30年かかりました」
 
と嗚咽交じりに語った。

 暮れの中山大障害にも勝利しJGI春秋制覇を果たした林とアップトゥデイトだったが、明けて2016年、この頃林は自身の心境に大きな変化が生まれていることに気付いた。
 
「GIも勝てたし、あとは気楽に乗ればいいや。もういつ辞めてもいいのかなと思い始めたんです」
 
 勿論、ひとたびレースで騎乗すれば全力で一着を目指す。馬主に対する、そしてファンに対する騎手としての最低限の礼儀である。しかし一方で、馬に乗らない日にはレースに対するモチベーションが保てなくなっていることに、林は自身で気付いていた。最大目標を達成したことで、林の心は燃え尽きかけていたのだ。
 当時、通算障害騎乗数がちょうど1900回を超えたところだった。これまでの最多障害騎乗数記録が1958回*3だったため、これを抜くことを林は新たな目標とした。しかしその後は? やり残したことは見当たらなかった。そこで林は、2000回騎乗を達成した段階で引退しようと心に決めた。
 
 そしてそんな時に障害界に現れたのが、オジュウチョウサンだった。
 
 その後のアップトゥデイトオジュウチョウサンとの戦いの記録に関しては、本書で記した通りである。
 アップトゥデイトと共に30年目にしてようやく掴んだ障害界の頂点の地位は、あっという間にオジュウチョウサン石神深一の手によって奪われてしまっていた。もう一度、最強の称号を取り戻す。それが新たに林の中に芽生えた目標だった。
 しかし一方で、一度決意した2000回騎乗での引退を覆す気にもならなかった。もう51歳である。騎手として体力、そして何より気力の限界だった。一度心に決めた目標を再設定するには、もう林には「若さ」が不足していた。
 
 引退を発表した1月15日時点での林の障害騎乗数は1982回。前年の林の年間騎乗数が44回であることを考えると、怪我などでの長期休養が無い限り、どんなに遅くとも夏過ぎには2000回騎乗が達成される見通しとなる。
 すなわち、3ヶ月後に控えた中山グランドジャンプが、アップトゥデイトと林のコンビがオジュウチョウサンを倒す最後のチャンスなのだ。
 
「もう1度だけで良い。アップと一緒にGIを勝ちたい」
 
 引退を目前として1人の男にとって、切れかけた障害騎手としての魂を、最後に燃やしきるための誓いである。障害騎手林満明の、騎手人生最後の願いだった。

 

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*1:当時存在した4つの障害重賞の内、中山大障害以外の3重賞を連勝していたアワパラゴンだったが、レース前から飛越が低く大障害コースはクリアできないのではないかと懸念されていた。

*2:アップトゥデイトの馬主自体は今西和雄氏だったが、今西氏と前田氏の間にも深い親交があったため、主戦騎手を決める際にも前田氏に発言権があったものと思われる。なお今西氏は2017年に急逝しており、親族の宏枝氏が馬主資格をとるまでの数ヶ月間だけ一時的に前田氏がアップトゥデイトの馬主になっている。

*3:嘉堂信雄騎手の記録。騎手生活30年間で障害競走にしか乗らなかった日本では珍しい純粋障害騎手。生涯成績は中山大障害2勝を含む220勝。