晴れてビッグタイトルを手に入れ、春の障害王者となったオジュウチョウサンだったが、実の所この時点ではその実力そのものについては障害ファンの間でもまだ疑問符がついていた。
前述の通り、この年の中山グランドジャンプは重賞で馬券経験の無いオジュウチョウサンが2番人気になる程に出走馬の層が薄く、大本命と目されていたサナシオンも、長丁場の中山大障害コースでは後半でスタミナ不足が出てしまうことが、既に前年の暮れの結果で周知されていた。
差しで勝ったオジュウチョウサンにとってみれば、逃げ馬のサナシオンが道中でブライトボーイにつつかれ続けたのも絶好の展開だった。
筆者の個人的主観に過ぎないが、レース後の障害ファンらによる回顧でも、オジュウチョウサンの勝因よりサナシオンの敗因について語られることが多かったように感じる。
率直に言ってしまえば、この時点でのオジュウチョウサンに対しては「層の薄いメンバーで運良く展開も向いてGI馬になれた」程度の見方も少なくなかったのである*1。
しかしながら完全に覚醒したオジュウチョウサンは、そんな疑問の声を吹き飛ばすように強い勝ち方で6月の東京ジャンプステークス(JGIII)と10月の東京ハイジャンプ(JGII)とを共に1番人気で連勝し、東京障害重賞の春秋制覇を果たす。
特にファンを驚愕させたのが東京ハイジャンプの内容だ。
このレース、第2障害で8番人気のラグジードライブが騎手落馬で競走中止となると、これが波乱の始まりだった。
落馬時には後方2番手だったらラグジードライブが、騎手不在でカラ馬のまま、みるみる内に前の馬を抜き去り、あっという間に馬群の先頭に立ったのだ。こうなると他の馬はカラ馬に巻き込まれることを危惧して積極騎乗は難しい。障害競走の場合、落馬の危険もあるから尚更である。
先行集団が積極的にペースを上げられない中レースは終盤へとさしかかる。
そして第4コーナーから直線入り口付近、オジュウチョウサンがそろそろ先頭に立つ頃合いとカラ馬ラグジードライブに並びかけたその時、何とラグジードライブがコーナーを曲がらずに直進しだしたのだ。ちょうど真横に並んでいたオジュウチョウサンはそのままラグジードライブに押し出される形で大きく外へと膨れる。
この瞬間オジュウの馬券を握りしめていた競馬ファンらは「終わった……」と青ざめ、「なんでコーナーでカラ馬外から抜こうとしとんねん下手くそ!」と騎手の石神に罵声を浴びせた。しかしここからが凄かった。
カラ馬に押されて崩れた体勢も、大きく膨れた進路のロス分も全て跳ね返すように直線で加速を続けると、最後はカラ馬と馬体を併せながらなだれ込むようにゴールイン。オジュウチョウサンは致命的な不利を受けながらも、トラブルなど何も無かったかのように人気通り1着になってみせた。
ちょっとでも嫌なことがあれば拗ねて言うことを聞かなくなるオジュウチョウサンだ。去年までならレース中に今回のようなトラブルが起これば即座に走る気を無くしていたに違いない。
そんなオジュウチョウサンが、このレースでは驚くほどの集中力と勝負根性を見せる結果となった。
この頃になるとオジュウチョウサンは、あんなに嫌っていた調教でも馬なりで軽快に走るようになっていたという。
時系列的にはかなり後の話になるが、翌年12月のとある雑誌記事のインタビュー*2で石神は以下のようなコメントを残している。
「今、レースで走る事は好きだと思います。ウィナーズサークルで写真撮影を繰り返すうちに、勝てば褒められるとわかってきているみたいですから」
「レースで走る事は好き」、5歳春の覚醒前後におけるオジュウチョウサンの変化については、多くの競馬ファンや論者が語っているが、オジュウ最大の変化が何かと言えば、結局の所、答えはここにあるのだろう。
ところで、オジュウの精神面の大きな成長を象徴するこの東京ハイジャンプだが、当時競馬ファンの間ではどちらかと言えば、ギャロップダイナ*3やポルトフィーノ*4よろしくのカラ馬の1着入線、しかも1番人気馬に嫌がらせの限りを尽くした上でのそれについての方が、より話題になっていた節がある。
GI競走を勝ったと言っても、障害馬に対する世間の注目度は所詮その程度のものでしかない。オジュウチョウサンに障害馬の枠を超えた注目が当たるようになるためには、もう1年程、時を待つ必要がある。
*こぼれ話*
「東京HJは当時はオジュウの勝利よりカラ馬1着の方が話題になってた」と書いたが、その前の東京JSの方も、某匿名掲示板で人気のある大江原圭騎手が2着に入ったことで「大江原圭あわや重賞初勝利」の方が正直話題になってた。大江原騎手の某匿名掲示板での人気に関してはイロイロ経緯があるのだがここでは割愛。