「Gのレコンギスタ」vs「閃光のハサウェイ」 ロボットアニメとしての比較語り

 

スコード! という訳で前回に引き続きGレコ本からのコラム再録です!

興味ある方は読んでいったって下さい!



 

コロナ禍で延期されていた『GレコIII』がようやく公開される約1ヶ月半前の2021年6月、1本の映画作品の全国上映が始まった。『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』である。

本書の「ゲリラ戦としての劇場版Gレコ」でも述べた通り、『Gレコ』はTVシリーズの頃から一貫して「ガンダム」という一大コンテンツの中で、決して主力部隊ではなかった。
だから、なのかは分からないが、『Gレコ』が実際に映像コンテンツとして公表される際には、別のガンダム作品が同時に(『Gレコ』に比べて優遇された視聴環境で)展開されるという事例が続いた。『閃光のハサウェイ』も『Gレコ』と同時展開されたガンダム作品の1つである。

閃光のハサウェイ』は元々、富野監督によって1989年に発表された小説作品であり、映画は全3巻の小説のうち、1巻部分を映像化したものである。
ガンダムシリーズ作品はその全てに「原作」として富野由悠季の名前がクレジットされているが、自身の監督作品以外は基本的に企画時点から放送まで完全にノータッチである場合がほとんどだ。
つまり映画『閃光のハサウェイ』は、正真正銘、富野由悠季が原作でかつ、本人自身がアニメ制作には関わらないという、史上初のガンダム作品という訳である。

ストーリー自体は原作小説を忠実に再現するという今時のアニメらしい方針だが、それとは反対に映像演出は既存の主流アニメのスタンダードな作りからはかなり意図的に外れている。写実的で高いリアリティラインで描写された絵作りが、実写洋画の雰囲気を感じさせるアニメ作品に仕上がっている。
シナリオやセリフ回しが富野由悠季の作風であるにも関わらず、絵作りや演出に関しては全く「富野アニメ」的でないという、往年の富野ファンにとってはかなり特殊なアニメーション作品だと言える。

そのため、富野由悠季総監督のもと原案から脚本、絵コンテまで本人が手掛けた、言わば純・富野アニメな『Gレコ』との比較は、批評的にも非常に興味深い論点が多い。
本稿では、特にMSの描き方に着目して、2作品の相違について論じてみたい。


映画『閃光のハサウェイ』では、MSが極めて「無機質」に描かれるという特徴がある。言い換えるなら「兵器」として、もしくは「機械」として描かれている。
とにかく人間的な動かし方を極力抑制させつつ、MSという人型巨大ロボットを描いている節がある。

中盤のダバオでの市街地戦は作中のハイライトだが、夜間戦闘であることに加え、逃げ惑う一般市民の視点に準じたカメラからの画角が多く、建物や街路樹に遮られてそもそもMSの全体像が上手く視認できない、というカットが何度も続く。
それでいてビームやミサイルの流れ弾によって着実に街は破壊され火の手が広がってゆくため、「何か得体の知れない不気味で巨大なモノが街を蹂躙している」という、空襲の恐ろしさがこれでもかという程にリアルに描かれている。

そこでは徹底してMSが「恐ろしいモノ」として描かれているため、操縦するパイロットによる人間的な個性を感じさせる挙動が、かなり意図的に画面から排除されている。

この傾向は終盤におけるクスィーガンダムペーネロペーとのMS戦でも同様だ。
2機のメカアクションの中に「ビームサーベルを背中から振りかぶって一刀両断に振り 下ろす」「振り下ろされたビームサーベル紙一重で避けて回し蹴りを叩き込む」などといった、ヒロイックで人間的な「殺陣」のシーンはほとんど無い。
戦闘機とも異なる何らかの「飛行物体」によるドッグファイトが画面上では繰り広げられ、人の形をしていることを活かしたロボットアニメ特有のメカアクションが、明らかに意図的に抑制されている。
(そもそもクスィーとペーネロペーが、デザイン的に四肢を自由に振り回せるような構造をしていない、という根本的な制約はあるものの)

 

クスィーガンダムペーネロペービームサーベル を切り結ぶシーン。どちらもほぼ直立の状態からサ ーベルが放出されているだけという構図で、所謂 「殺陣」的なダイナミズムの印象は薄い。

元々原作シナリオからしてシリアスな内容であり、それに加えて実写的な絵作りを志向し全体的にリアリティラインを高めに設定している『閃光のハサウェイ』の場合、「兵器」であるMSがいかにも「アニメキャラクター」的に描かれる通常のロボットアニメにおけるメカの動かし方とは、根本的に親和性が低いのだろう。

人型をしているMSに対して、敢えて人間的に動かさず「巨大で恐ろしい無機質な機械」として描く演出方針が、映画全体を通した雰囲気と高度にマッチしているのが『閃光のハサウェイ』なのである。



一方の『Gレコ』の場合、『閃光のハサウェイ』どころか過去の富野アニメ作品群と比較しても、突出してMSを「キャラクター」として描いている。
ハチマキを締めるレックスノーや、トンカチを振るうGセルフなど、一歩間違えればもはやギャグアニメとすら言えるような、人間的でコミカルなMSを描写するシーンが、『Gレコ』にはいくつも存在する。

  ↑ ハチマキを締めるMSという奇特な絵面

  ↓ トンカチを振るうガンダムという謎の絵面


キャラクター的にMSを描くということは、言い換えればMSをパイロットの身体の延長として、より直接的に言えば「写し身」として描いていることに他ならない。

劇場版第II部(もしくはTV版10話)における戦闘シーンで、ベッカーの操るウーシァ相手に苦戦するアイーダの姿が描かれる。
メガファウナのMSデッキ近くに叩きつけられたアルケインの姿に、出撃できないベルリは焦った口調でこう言う。

「あれ、アイーダさんの脚!?」

言うまでもなく正確にはGアルケインの脚である。
ここでベルリはアルケインを完全にアイーダ本人と同一視している。『Gレコ』にはこれと似たようなセリフが少なくない。

このような『Gレコ』における特徴が、劇場版において全編通してさらに強化されている。それが何かと言えば、富野監督が強い拘りをもって修正したと語る、Gセルフ「瞳」である。
通常のガンダムにおける多角形の「目」部分に対して、内部構造のカメラレンズを透過させて描くことで、あたかも瞳があるかのように見えるという修正が、劇場版におけるGセルフの登場カットにて、ほぼ全編にわたって施されているのだ。
撮影監督の脇氏が語るには、とんでもない作業量が要求されたらしい。

この修正の演出意図は明白であり、GセルフをTV版からさらに擬人化されたキャラクターとして、つまりベルリ本人の写し身として描くためだ。
本来無表情でしかないはずのロボットの頭部だが、この「瞳」の存在によってGセルフにとらせられる表情演技の幅が飛躍的に向上する。
そしてそれがそのままパイロットであるベルリ自身の感情の表出として描写されることで、視聴者に対してベルリとGセルフを強固に同一視させているのだ。
(ここでザクのモノアイや『Vガンダム』におけるザンスカールMSに話を広げることも可能だが、話題が拡散しすぎるためここでは割愛する)

『Gレコ』における、機体とパイロットとを同一キャラクターとして連動させて描く演出技法が、最も効果的に使われている場面の1つが、劇場版第IV部の終盤戦闘パートにおけるラストシーンだ。
ベルリのGセルフがルインのマックナイフにとどめの一撃を入れようとするその瞬間、マニィのジーラッハが2人の(正しくは2「機」の)間に割って入る。
マニィはベルリに向かって語気を荒らげて叫ぶ。

 

「ルインは殺させません! 私が抱いてるんだから!」



このシーンで重要なポイントとなるのが、ジーラッハマックナイフのサイズ差だ。
比較的小型のマックナイフと大型MAであるジーラッハが並ぶと、それだけで明確にジーラッハマックナイフという力関係が可視化され、さらには「抱き抱える」というビジュアルによって、完全に両機体の間には庇護関係が発生しているように画面上は演出される。

この絵的な関係性は、2人が生身のままであれば決して成立しない。
長身男性であるルインと女性のマニィとでは、画面演出だけで力関係を反転させる絵を作るのは極めて難しい。
ここで「力のあるマニィが、無力なルインを庇護する」というシーンがビジュアルとして成立しているのは、作中で一貫して搭乗機体をパイロットキャラクターの写し身として描き続けたからに他ならない。

「抱いている」のはジーラッハであり、「抱かれている」のはマックナイフだが、それと同時にマニィとルインでもある、というのが『Gレコ』というアニメなのである。


そもそもロボットアニメにおける巨大ロボットとは、言うなれば視聴者らの変身願望の具現化であり、力無き少年少女と世界と相対するための作劇上のガジェットである。
故に、作中ではロボットそれ自体が少年少女らの「依代」になりうるキャラクター性を備えている必要があるが、一方で巨大ロボットがウルトラマン仮面ライダーなどの変身ヒーローと一線を画す点が何かと言えば、ロボットは自身の肉体そのものではなく、一歩コクピットの外に出れば自身とは明確に切り離された「機械」でしかないという点にある。

その両面を都合よく使い分けられるという便利さが、ロボットアニメというジャンルの大きな魅力であり、日本のアニメ文化において巨大ロボットモノが数十年にわたりメインジャンルの一角を成し続けてきた理由の一端である。

ロボットアニメにおける巨大ロボットとは、本質的に「人間的なアニメキャラクター」と「無機質な機械兵器」との両面を備え持った存在なのである。


そんな巨大ロボットモノの両極がそれぞれ描かれた2作品が、ちょうど同時期に同じ「ガンダム作品」として世に出たという事実に、何かしらの運命的な巡り合わせを感じてみるのも面白くはないだろうか。




という訳で、夏コミで出したGレコ本からの一部抜粋でしたー。

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