無事に競走馬登録も済んだオジュウチョウサンは、ケイアイチョウサンと同じ小笠厩舎へと預けられる。調教師の小笠倫弘は東京大学文学部を卒業という異例の経歴を持つ高学歴調教師だ。
オジュウチョウサンが競走馬としてはデビューしたのは2013年10月19日、2歳秋のことである。この日は兄ケイアイチョウサンが菊花賞に出走するちょうど前日だった。
出走するのは新潟競馬場5レース、2歳新馬戦。既に重賞でも結果を出しているケイアイチョウサンの全弟ではあったが、調教でのタイムの悪さからこの日の戦前評価は15頭中の12番人気というものだった。調教師の小笠ですら当日の競馬新聞*1の短評でこのようにコメントしている。
「入念に乗り込んできたものの時計が詰まってこない。実戦で変わり身を期待」
実際にレースが始まるとオジュウチョウサンはゲートこそスムーズに出るものの、行き足が全くつかず最後方からの競馬となる。最後の直線では若干の不利を受けてもいるが、特に見せ場もなく11着に終わる。周囲が予想する通りの大敗であった。
この日、オジュウチョウサンのデビュー戦でその背中にまたがっていた騎手の松岡正海は、数年後この時のレースについて雑誌記事インタビュー*2を受けた際、その余りの弱さにオジュウチョウサンのことをハッキリと記憶していると証言している。
「覚えてるよ。俺、確か(レースが終わって東京競馬場の検量室前に)帰ってきて、『全然進まねーよ』って言ったもん」
松岡は同じ誌面上でこうもコメントしている。
「トモがフラッフラだったよ」
トモとは馬の後ろ脚のことを指す。サラブレッドにとっては走りの推進力の源であり、競走能力の要である。そのトモの筋肉が全く出来上がっていない状態だったと言うのだ。
全兄のケイアイチョウサンは2歳の夏にデビューし、勝ち上がりに5戦こそかかっているが2歳秋の内に初勝利をおさめ、前述の通り3歳で重賞を勝っている。比較的仕上がりの早い馬だった兄とは対照的に、オジュウチョウサンは極めて成長の遅い馬だった。
オジュウチョウサンの2戦目はそこから一ヶ月後にやってきた。デビュー戦と同じく東京競馬場での2歳未勝利戦。
しかしここでもオジュウチョウサンは、新馬戦と同様、スタートで出遅れて後方から大外を回り、直線では特に何もできないまま8着に惨敗している。実戦を経験しての変わり目も一切期待できない内容だった。
馬体の成長を待つしかない。そう判断されたオジュウチョウサンは、ここから長期の戦線離脱を余儀なくされる。彼がターフに再び戻ってきたのはちょうど1年後。翌年2014年11月のことだった。
*こぼれ話*
オジュウチョウサンの2歳から3歳にかけての長期戦線離脱に関して、本書では「馬体の成長を待つため」と書いたが、メディアによっては「骨折による休養」と書かれた記事もある。優駿やNHKなどのオジュウチョウサン特集では特に故障休養という説明はないため、単なる取材ミスでないかと思われる。