長山と和田親子との関係は、長山の個人馬主開業当初まで遡る*1。
長山にとって初めての所有馬であるヤングエースと、2頭目の所有馬でありチョウサンの母でもあるステイヤング。当時この2頭が預けられていたのが正道厩舎だったのである。正一郎にとってもステイヤングは、調教助手時代1年目の厩舎在籍馬の1頭に当たる。直近で言えば、前章でも軽く触れた、オジュウチョウサンと同じく長山家次男和浩の名前を受け継いだカズチョウサンも正道厩舎に預けられている。
故に、長山が所有馬の転厩を考えた際に、転厩先として和田親子を頼ったことには特に疑問は無い。問題はそもそも何故転厩するのか、という点である。
2014年11月に行われたオジュウチョウサンの障害デビュー戦。惨敗に終わったこのレースを最後にオジュウチョウサンは小笠厩舎を去ることとなる。時を同じくして、チョウサンの名を持つ他3頭の競走馬がオジュウチョウサン同様に小笠厩舎の管理から外れている*2。そしてそれ以降2019年現在に至るまで、長山の馬は1頭たりとも小笠厩舎に預けられてはいない。
状況証拠的に言えば喧嘩別れか、少なくともそれに近いことが起こったのであろうことが自然と想像できる。
長山にとって小笠厩舎は7年ぶりに所有馬に重賞を勝たせてくれた恩義ある厩舎のはずである。オジュウチョウサンと共に小笠厩舎から引き上げられた3頭の馬の内の1頭が、当の重賞勝ち馬であるケイアイチョウサンなのだ。よほど腹に据えかねることがあったのであろう。
2人の間に一体どのようなやりとりがあったのかに関しては今の所、特に手がかりとなりそうな情報もなく、その一切がほとんど明らかとなっていない。これまでに雑誌、新聞等にて掲載されたオジュウチョウサンの特集記事や関係者インタビューなどでも、この件に関しては転厩したという事実のみが軽く触れられる程度に終わっている。
5歳春まではほぼ全くの無名馬だったオジュウチョウサンの場合、4歳以前の経歴に関しては資料も少なく不明な点が多いが、その中でも最大の謎がこの転厩事件である。
とにもかくにもオジュウチョウサンは2014年末に、小笠厩舎から和田親子の息子、正一郎の厩舎へと預け直されることとなった。ここからオジュウチョウサンにとっての第二の競争馬生活が本格的に始まる。