オジュウチョウサン物語 第3章3「空色のチークピーシーズ」

 

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 オジュウチョウサンの転厩後初戦には、年明け直後1月5日の障害未勝利戦が選ばれた。この日、オジュウチョウサンパドックにて前走までとは大きく異なる馬装姿で現れる。その頭部には、後にトレードマークとなる、鮮やかなスカイブルーのメンコとチークピーシーズが装着されていた。
 
 厩舎にやってきたオジュウチョウサンに対して和田(正一郎)が抱いた第一印象は、決して良いものではなかった。いかにも未完成な馬体に「本当にこれで3歳なのか?」とまで思ったという。
 障害デビュー戦でオジュウチョウサンの鞍上を務めた騎手の大江原圭は当時を振り返ってこう答えている。
 
「トモ(後肢)がまだグダグダだったのを覚えてます」
 
 新馬戦時の鞍上の松岡が全く同じコメントを残しているのは前述した通りだ。1年経ってもオジュウチョウサンの課題は未だ解決していなかった。
 
 しかし、成長の遅さだけが前走大敗の直接的な原因ではなかった。そのことに最初に気づいたのはオジュウチョウサンの担当厩務員となった長沼昭利だった。
 
「運動で乗った時、背中は良いと感じました。だからなぜ結果が出ないのかと思ったけど、すぐわかりました。余力があるのに、自分から調教を止めてしまうんです」
 
 実際に調教を始めると、和田もすぐにそのことに気付いた。基本的な身体能力だけで言えば管理馬の中でもむしろ高い方だった。多少走らせてもほとんど息を切れさない姿は、高い心肺機能とスタミナ能力の証拠だった。
 そんな馬が勝てないにしても、あそこまで惨敗するはずがない。オジュウチョウサンの直接的な敗因は、集中力の低さと走ることへの意欲の無さにあった。
 
 直接証言こそ無いものの、小笠厩舎もオジュウチョウサンのそうした欠点には気付いていたはずである。その証拠に前走の障害デビュー戦でもオジュウチョウサンはメンコとブリンカーを装着して走っている。
 メンコとは馬の顔に被せる覆面のことを言い、一般に耳まで覆いのついたものが多い。音に驚いたり、砂を被ることを嫌がる馬につけられる。特にオジュウチョウサンの場合、普段から物音に驚いて立ち上がることが頻繁にあったため、耳の覆いは必須であった。
 ブリンカーは日本語では遮眼革とも書き、馬の目の周辺にカップ状の小さな衝立を作ることで馬の視野を狭める効果のある馬具だ。馬の視界はほぼ360度近くあり、頭の真後ろ以外ほとんど見えているとされる。そのため神経質な馬の場合、横や後ろを走る馬の姿が気になってレースに集中できない場合がある。そうした馬に対し前方だけに意識を向けるために付けるのがブリンカーだ。
 
 サラブレッドは非常に繊細な生き物である。どんな馬具がその馬に適しているかはあくまでケースバイケースであり一概には判断できない。臆病な馬がブリンカーで視野を狭められた結果、ますます周囲に怯えてしまい全く走らなくなるというケースもある。
 
ブリンカーでなくチークピーシーズを付けてはどうか?」
 
 そう進言したのは、次のレースでオジュウチョウサンの鞍上を務める山本康志騎手だった。
 
 チークピーシーズは目の外側、頬の位置にとりつけるロール布状の馬具だ。ブリンカー同様に左右後方の視界を遮ることが目的だが、目の周囲に直接取り付けるブリンカーに比べると遮られる範囲が小さくて済む。山本は障害初戦こそ他の乗り馬がいたため騎乗できなかったが、小笠厩舎の頃から障害調教を担当しており、この時点では最もオジュウチョウサンの背中を知る男だ。
 
 どちらにせよ負けて元々の馬だ。試せることは試してみよう。和田は山本の提案を取り入れた。
 2015年1月5日中山競馬場4レース障害4歳以上未勝利。転厩初戦となるこのレースにてオジュウチョウサンブリンカーを外したメンコを巻き、両頬にチークピーシーズをつけた姿で出走する。鮮やかで目立つスカイブルーの色は、和田正一郎厩舎の厩舎カラーだ。

 

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*こぼれ話*
文中では和田厩舎の面々のオジュウへの印象について
1和田師が成長の遅い馬だなと感じる→2長沼厩務員が身体能力に気付く→3和田師も気付く
という話の組み方をしているが、文章構成的に一番自然に書けるというだけであって、2番目と3番目の事象の時系列に関しては特にエビデンスは無い。
あと、山本騎手を「この時点では最もオジュウチョウサンの背中を知る男だ」としているのも、「転厩直後で長沼さんとの付き合いもまだ短いだろうし、この時点では主戦の障害ジョッキーが一番継続して調教騎乗しとるはずだろ」という状況判断で書いてる。