第10話「テリトリィ脱出」
前話、前々話と物語が大きく動く回が続いたが、それを受けての今話は意外にもボトルエピソード。キャピタル・テリトリィ内に潜伏したメガファウナにキャピタル・アーミィが襲撃を仕掛け、ベルリらがこれを撃退する、という割といつものお話。
絵コンテ・演出が「進撃の巨人」で鳴らした荒木哲郎氏の単名という事だが、実際いつもの斧谷コンテとは要所要所でかなり異なり、富野監督が荒木氏に随分と仕事を任せた事が分かる。(具体的な特徴についてはkaito2198氏が完成度の高い記事を上げられてるので是非参照。http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1578.html)
当然ながら冒頭は前回のラストからの直接的な続きから始まる。大聖堂でまたもや胡散臭い会話劇を繰り広げる大人達。黒幕然とした顔をしているクンパ大佐が今の所このアニメでは最も真意が読めないキャラだ。
一方ケルベスに連れられて大聖堂を抜け出したベルリ達。ケルベスの言ではキャピタル・アーミィは宇宙世紀の遺産から作られたメガファウナ、そして「宇宙からの脅威」についての重要な情報源としてGセルフとラライヤを欲しがっているとの事。しかしそもそもGセルフとラライヤが海賊側の手に渡っているのはキャピタル・アーミィの黒幕であるクンパ大佐が仕向けた事なのだから、構図としては当然マッチポンプのはずだ。その割にはアーミィも随分Gセルフ奪還に本気な空気という事は、海賊や宇宙からの脅威を口実に軍拡を進めたいクンパと、それとは別に実際に宇宙からの脅威に対抗しようという思惑とが別々に動いていると見るべきか。前話におけるクンパの「つくづく地球人というのは〜」という台詞を思い起こせばイロイロと想像の余地が広がる所だ。
キャピタル・アーミィは出撃式典だかで新型MS(=今話のやられ役)のウーシァを披露。また、テリトリィの首相とやらが演説しているが、明らかにクンパ大佐の方が立場は上のようで、首相と言ってもお飾りに近い事が見て取れる。
(こうした小物キャラの小物らしさが絵的にもハッキリ分かりやすく描かれるというのは富野アニメ的には少々珍しいので、ここら辺も荒木演出の範疇なのかも知れない)
ベルリ達はメガファウナへ戻り、アーミィの襲撃に備える。一連のシーンの中で、アイーダがケルベスに対してお礼のステップ(?)を踏むのに対して「お礼が言える人だったんだ」と驚いたり、艦長の制止に従わず出撃を強弁するのを見て「やっぱり突撃娘」とコメントしたり、結構辛辣。我らが主人公はヒロインのポンコツっぷりを随分と把握済みのようだ。
今話は荒木氏のコンセプトなのか全員やたらにテンションが高いが、中でも個人的に印象深いのが今週のビックリドッキリメカ、高トルクパックをGセルフにセッティングしているハッパさん。手元のコンソールを操作しながら満面の笑みで
「Gセルフとこの高トルクパックを見ると、薔薇の設計図のG系という意味がわかってきてワクワクしますねぇ」
の台詞。技術屋としてはロストテクノロジーを弄くれるのだからそれは面白いに決まっている。たとえそれが「兵器」であろうと。
ハッパに限らず、Gレコではどこかみな戦争を楽しんでいる節がある。今話で言えばケルベスは手塩にかけた教え子のベルリと一緒に戦える事が楽しくて仕方無いようだし、後のシーンになるがアーミィ側のベッカー始めとするMSパイロットらも作戦そのものよりも新型MSのウーシァを乗り回せるという事実に興奮しっぱなし。そしてそこに添えられる、楽しそうに戦争の応援をするチアガール達。
新しい道具を弄れるから面白い。自分の腕を試せるから楽しみ。そしてこれを機に平時では不可能な出世のチャンスを掴めるかも知れないから浮き足立つ。まさに「掴めプライド! 掴めサクセス!」だ。そうした戦争へのポジティブな期待感は、個々のキャラクターの善良さとは無関係に発露しているように思う。悪人だから戦争を楽しみ、善人であれば心を痛める。そんな単純な世界の構図をGレコは決して許さない。あくまで極めてフラットに戦争の「快」を描く。こうした描き方が今後どのように転がっていくかは何とも分からない所だが、とにもかくにもリアルは地獄なのである。
視点は変わり、法王、ウィルミット、グシオンの3人が一緒に仲良くティータイム。グシオンはアメリアの宇宙艦隊出撃に中止要請を出すため本国に帰るとの事。会話の内容そのものは政治的だが、この面々が揃ってお茶をしているという構図が面白い。会話の合間にお茶の味を褒める下りまで挿入される。
法王がキャピタル・アーミィの存在を黙認している事を考えると、このシーンではアーミィ、ガード、アメリア軍という、劇中の3大勢力の要人らが一同に会しているという事になる。敵対勢力の要人らが護衛もつけずにお互いに仲良くお茶している、という奇妙な「平和」さが感じられるシーンだ。キャピタルとアメリアは表立って戦争をしている訳では無く、あくまで「謎の海賊部隊を巡って局地戦が行われているだけ」という建前を共有しているので、こうしたシチュエーションもありえる訳だ。Gレコの設定面での妙が現れた絵面と言える。
絵面の面白さで言えば、後に続くレックスノーの「ハチマキ」シーンも秀逸だ。MSが自分のマニュピレーターを使って頭部にハチマキを巻く、という一歩間違えたら単なる一発ギャグのシーンだが、そこに「敵味方識別をつけるため」という必然性を絡める事で、物語の流れの上での自然なコメディ描写として成立している訳だ。単に識別の為であれば従来的な「ガンダム」の世界観ならカラーリングの変更が行われそうな所だが、ここでハチマキというアナログな描写が入っている所が実にGレコらしい描写だ。
さて戦闘開始早々、あんだけ艦長さんから前に出るのを控えるよう頼み込まれてたにも関わらず、「キャピタル・ガードだけに任せられない」と出撃したらしい姫さま。で、艦長さんは
「じゃじゃ馬娘があ!!!」
と怒り心頭。以前に4話の感(http://d.hatena.ne.jp/adenoi_today/20141027/1414419119)で
泣き出すアイーダを宥める艦長さんも、アイーダら到着時の「やれやれ…」の台詞から考えると、内心では「小娘が仕方ねえな」くらいには、ひょっとしたら思っているのかも知れない
と述べた事があったが、その信憑性も随分上がって気がする。
そして出撃したアルケインはと言うと、ジャングルの中で大型ビームライフルを振り回そうとするも木が邪魔で動きがとれず、あっさりウーシァからの攻撃を喰らう。今週もポンコツっぷりは健在だ。
戦闘の合間にやたらとテンションの高いベッカー大尉がメガファウナのデッキに取り付き、かなり無茶な交渉をしかける。このベッカー大尉のキャラや絵的な面白さもさる事ながら、注目したいのがベッカーのラライヤ引き渡し要求にメガファウナの方は困惑しているという点。アーミィの方はラライヤを月から飛来した重要人物として見ているが、メガファウナからしたら艦内のマスコットくらいの認識なのだろう。逆にアーミィの要求によってメガファウナ側が「こいつ重要なの?」と認識し直している。
こちらが重要だと思っている事を、相手も同じように認識出来ているとは限らない。むしろお互いに情報が遮断された戦場であれば、両陣営が同じ認識を共有できている方が本来珍しい話なのだ。些細なシーンだが、こういったシーンの積み重ねが世界にリアリティを与えているのである。
何だか妙に絶好調なベッカー大尉とは対照的に、ウーシァにフルボッコなのがアイーダのアルケイン。高トルクパック装着の調整中でGセルフを出せないベルリはもどかし気にそれを見る事しかできない。アイーダを心配するベルリにハッパさんからの
「惚れてるのか?」
の一言。こうした台詞を偏屈メカマニアなハッパに言わせる所が面白い。これもまた半歩分の意外性という奴だ。
敵に捕まりピンチのアイーダを見て、ベルリはGセルフの方を振り向きハッパの名を叫ぶ。集中線とクイックなカメラの引きでベルリの焦りの心を絵的に強調した直後に、同じく集中線演出で高トルクパックのエンジンがうなり声を上げる。ハッパの「行けるぞ!」の声を聞くやGセルフのコクピットへと走り出すベルリ。そしてそこに被さる勝利シーンのBGM。
如何にもなケレン味あふれるシーンでロボットアニメ的に非常に盛り上がる王道演出だ。こうした「ここ今盛り上がる場面ですよ!」と視聴者に分かりやすくアピールするような演出はあまり斧谷コンテでは見ないので、やはりこれも荒木コンテの個性と見るべきだろう。
そしてここでベルリ君の
「恋を知ったんだ。誰が死ぬものか!」
というかなりの重要台詞。これまで飄々とした態度でその内心が視聴者に分かりにくかったベルリだが、ここでハッキリとアイーダに対する恋心を口に出す。勢いのあるシチュエーションの中での台詞で、これまた盛り上がりがつくシーンだ。
ただ初見時はグッと来たこの台詞だが、一度時間を置いてから改めて咀嚼してみると状況に酔って格好つけて言っちゃっただけにも見えなくない。果たしてベルリのアイーダへの想いとやらは、命をどうこう言う程までの恋なのか、それとも未だちょっと気になる年上の女性、という程度なのか。やはりそうそう本心は分かりやすくは描かれないのである。
この勢いのまま発進するGセルフ、ウーシァに捕まるアイーダの元まで一気にダッシュをかける。「ヒロインのピンチにかけつける主人公」というこれまた王道な展開。敵に近づいた所で高トルクパックだけを突進させ、Gセルフは別の方向から奇襲をかけるという「天才ぶり」を見せつける。実はこの戦闘アイディア、特に劇中では言及されていないが、6話におけるデレンセンのブースター戦法と同様なのだ。実は「亡き恩師の最後の教え」と言う訳だ。
ところでこのシーンで、ちょっと「映像の原則」的には奇妙な点が存在する。勢いをつけて敵の元へと一直線に向かうというシーンである以上、無用なカメラの切り返しは本来御法度のはずだ。全体を通して左から右へと動くGセルフなのだが、何故か2度右から左へと動くシーンが挿入されている。
映像の原則に従えばこうした切り返しは何らかの状況の変化を意味するはずなのだが、正直何ともよく分からない。微妙な違和感だけが残る。荒木コンテ回という事で斧谷コンテとの違いを意識的に探しているからかも知れないが、ちょっと気になる所。そもそも入念な富野チェックも入っている訳だし。ふむ?
敵に見事接近したGセルフは、ウーシァを一度殴り飛ばした上で、さらにその後方へと高速で回り込み蹴っ飛ばすというドラゴンボールばりのアクションを見せつける。若干これまでの描写からはリアリティレベルが乖離しているような気はしないでもないが、最高に格好良いのは間違い無い。
無事アイーダの救出に成功したベルリはアルケインをおんぶしてメガファウナへと帰る。そう、「帰る」なのだ。ベルリにとってメガファウナはもはや「帰る」場所なのだ。先の「恋を知ったんだ」という台詞も含めて、ベルリの立ち位置がある程度示された回と言えるだろう。
最後に描写されたのはクラウンに乗って宇宙に上がるウィルミットにクンパ大佐、そしてマスクとバララ。メガファウナもサラッと宇宙に上がっている。マスクらの母艦ガランデンもまた宇宙に向けて発進する。次回からの宇宙を舞台にした物語を予感させる引きで今話は終了。
という訳で、次回からの宇宙パートの前に挿入された最後のボトルエピソードという感じ。予告にもあるように次回からは遂に「宇宙戦争」に突入するらしい。予告の決め文句は今回は「見る」縛りからは外れたが、そんな事は無関係に当然次回も見る!のが私なのだ。
(これ散文感想のみで書いてるけど、結局語りたい部分にはそれなりに文量割いてるので、最終的な文字数は結局変わんねえな。まあ良いけど)