第11話「突入! 宇宙戦争」
前話が(Gレコには珍しく)全体的に一直線で視点もベルリに合わせておけば充分理解しやすい作りになっていたのに対し、今話では一転、一気に作劇が多視点並行で構築されており、てんでバラバラに動く各陣営の思惑は一回見ただけではとてもじゃないが正確に理解する事は難しい。難しいのだが、少なくとも全陣営が一斉にキャピタル・タワーの終着点である聖地ザンクトポルトを目指し始めた、という事だけは何となく分かるように作られている。おそらく視聴者の理解自体はそんな所で良いのだろう。
今話は久々にアバンタイトルでベルリ君の回想ナレーション。最後の
「どっちを向けば、明日があるんだ」
の一言は、明確な終着点が伏せられたままのGレコの現状をそのまま表しているかのようだ。
本編自体はメガファウナの前回ラストからの続きで外壁補修シーンからスタート。MSが金槌を持って作業というシーンも一見シュールギャグに見えつつも、「巨大な人型の乗り物」という道具の汎用性が垣間見えて面白い。
一方船内ではイキナリ椅子に縛り付けられてるラライヤ嬢。縛り付けられるに至った経緯は一切描かず、縛られてる最中から描くという相変わらずの圧縮作劇。ここでアイーダと艦長さんとの会話でアメリア軍の宇宙艦隊とメガファウナとが別々の行動をとる事が臭わされる。早くも勢力の分裂と思惑の入り乱れが提示されつつある。
早々と視点は変わり、上昇するクラウンに乗っているウィルミット。ザンクトポルトへの移動法としては最も正式なルートを使っている。そこにさらにスペースグライダーでアメリア本国へと向かうグシオン、新MSを引っさげてガランデンと合流するマスク達、地球から上がって来たアメリアの宇宙戦艦サラマンドラ、と各陣営の姿を一気に描く。
ここから面白いのが「演説」シーンの3連チャンだ。
まずはガランデンのMSデッキで汚名挽回を宣言するマスク。デッキでマスクコールが巻き起こるのは「我らクンタラの希望の星」という事だろう。しかし反面、マスクの素顔であるルインに一番近い立ち位置にいるはずのマニィはその姿に不安を覚える。本人は内心
「ルインはクンタラの名誉をかけたはずなのに…」
と、彼の戦う正当性そのものに疑義を抱いているふうだが、絵面からは単にバララとの関係に嫉妬しているだけのように見える。心の声としてモノローグで語られた内容が、実際にキャラの本心を正確に表しているとは限らない。漫然と見ているとウッカリ情報を見誤ってしまうのが富野アニメ。
さてお次はサラマンドラの同じくMSデッキで兵隊の士気を煽るクリム・ニック。
「パイロットなど、おだてて使うのがコツだろ?」
と見事に成功したアジテーションに得意がって見せるが、その実自分も見事にミック・ジャックにおだてられて使われているように見えるのが面白い。
最後の演説はクリムの実父でもあるアメリア国大統領ズッキーニ。このシーンが初登場となるズッキーニだが、威勢の良いイケイケドンドンな性格らしく、前話で見るからにお飾りだったキャピタルの首相とは大きな違い。ちなみにここでは宇宙艦隊を止めてみせるつもりでグシオン総監が乱入。しかし既に軍令は出てしまっており、立場上従うしかないらしい。結局何の為に来たのか…。(まあ大統領から軍令は下りはしたが、自分が関わる事で少しでも軍の制御を自分主導に寄せようというくらいの思惑はあるのだろうが)
この3連続演説シーンにより、またさらに各陣営がてんでバラバラに好き勝手動いている事が強調される。今話におけるしっちゃかめっちゃかな印象は加速していく一方だ。
視点はクラウンへと戻るが、ここでまた強烈に面白いのがウィルミットのモノローグ+独り言。
(メガファウナも宇宙に上がっているということは、ベルリも!?)
「フッ、まさかね」
ウィルミットはベルリがメガファウナと一緒に宇宙に上がって来たとは信じられない、信じたくないのだ。我が子のベルリは大人しく我が家で留守番しているに違いない、と思っている訳だ。前話終盤でメガファウナに帰還の最中に、ベルリはアイーダに「あそこに帰る事を母だって許してくれます」と述べていたのだが、ここでは母と子のそれぞれの思いは見事なまでに擦れ違っているのだ。前々話までにあれだけ良好な親子関係を描いておきながらのコレである。
そして彼女は続けて述べる。
「ベルとアイーダさんが乗ったメガファウナが宇宙に上がってきて、G-セルフは宇宙から落ちてきた。
そんな! ベルはわたしが育てたのよ! 誰が他人に渡すものですか!」
要は「私が育てたのだから私のものだ」と言いたい訳だ。自分の息子を自分の手元で自分の制御下に置いておきたいという母親としてのエゴイズムが強烈に炸裂している。まさに「これぞ富野アニメ!」と喝采を上げたくなる台詞である。
ここで言う所の「他人」とは何だろうか? 「貰われっ子」という設定からもベルリが実際には宇宙で産まれた子供である可能性は大いに有り得る。それを思うと「他人」とはベルリの本当の両親を指し、このウィルミットの台詞は、ベルリが本当の両親の元へと帰ってしまうのではないか?という恐怖感から来た物だと考えられる。
もう1つ考えられるのは、この「他人」をアイーダと読む見方だ。すなわち、惚れた女を追いかけて自分の手元から巣立って行ってしまう事への恐怖だ。個人的にはこちらの解釈の方がウィルミットの母親としての情念の恐さ、気持ち悪さが感じられて気に入っているのだが、いかがだろうか?
そして女親の気持ち悪さが描かれた直後に続くのは、ズッキーニ大統領の男親としての気持ちの悪さ。出航する宇宙艦隊を見上げながら彼は言う。
「私の息子クリムが戦闘指揮するサラマンドラを、この艦隊に守らせることができる!」
自分が最終命令権を持つ艦隊において旗艦の指揮を務めるのが自分の息子、というのは親として愉悦に浸るには充分なシチュエーションなのだろう。
CM挟んでBパートに入った途端に、ガランデン、サラマンドラの両艦からMSが次々に出撃。いよいよ宇宙戦争の始まりのようだ。メガファウナも戦闘態勢に入るが、そんな中で周りから出撃を止められて苛立つポンコツ姫さま。一番どっちを向いたら明日があるのか見えないのはアイーダだと思う。
宇宙戦闘で調子に乗りっぱなしの天才クリム・ニック君を手に入れても面白いが、Bパートにおける最重要キャラクターは何と言ってもマスクだろう。今回初めてお互い生身での接触を果たしたマスクとベルリだが、ここまでで彼らには直接的に相手を確認するといったシーンはなかった。少なくともベルリの方は自分達を執拗に追い回してきた敵MS部隊の隊長が先輩のルインであるとは思ってもいないはずで、今話の接触でもマスクの正体には気付いていないようだ。しかし反対にマスクの方は明確にGセルフのパイロットが「可愛い後輩」のはずのベルリである事を確認しており、その事に驚く様子も無い。そう、マスクはとっくに分かっていたのだ。自分がベルリと殺し合いをしている事を。
人質作戦に(明らかに自分のドジで)失敗したマスクはコクピットに戻って1人になったと同時にボソリと呟く。
「飛び級生はどこにいても俺の邪魔をするっ」
あんなにベルリの前で良い先輩をやっていたはずのルインは、その実内心では運行長官の息子のエリートでMSパイロットとしても優秀な飛び級生のベルリに対して鬱屈した思いを溜め込んでいたのだ。
マスクを被る事で「気の良い先輩」の仮面を脱ぎ去ったルインの明日はどっちだ。
マスクが隠れた内面を一瞬だけ見せる一方で、その片腕であるバララもまたそのキャラ性を微妙に垣間見せる。あまりキャラがハッキリとは分からなかった(というかそもそも出番の無かった)彼女だが、みすみすチャンスをふいにしたマスクに対する
「マスクのドジ!」
という辛辣な台詞からは、片腕と言う割には大してマスクを信用していない事が分かる。この2人の関係性とダブって見えるのがミック・ジャックとクリムのカップルだ。両カップル(?)共に、男の方が表に立ってスターをやってみせて、それを女が煽てて頑張らせる、という関係性だが、女の方は男の事を煽てつつも内心は多少小馬鹿にもしている(ように見える)所が実に面白い。
メカニック的に面白いのが今回初登場のマック・ナイフ。(同じく初登場なのが宇宙用ジャハナムだが、こちらはMSよりもクリム本人の活躍という印象が強く、メカとしての個性はあまり感じられてかった。次回以降に期待か?)
マック・ナイフは脚の形状や全身武器な機体コンセプトからして明らかにエルフ・ブルックの後継機で、実際マスクの戦い方もエルフ・ブルックのそれを踏襲している。こういったメカニックの連続性はロボットアニメ的に非常に楽しい。エルフ・ブルックに比べて小型で変形が簡素な所も、エルフ・ブルックで新兵が変形にもたついていた描写が事前にあるので、逆にメカとしては発展型という印象も持てる辺り実に巧妙。
そして戦闘の際にはそのエルフ・ブルックとの連続性が仇となり、変形途中が隙になる事を知っているベルリにあっさり敗北するという、やられ役としても見事な役回りである(笑)。
このシーンにおける「相手の片脚を両手で掴んで捩じ切る」という戦闘描写も、毎度の事ながら実に個性に溢れている。Gレコの戦闘シーンでは極端に奇妙な事をやっている訳では無いのに今までのガンダムでは見た事無いようなMSの動かし方が目白押しだ。富野監督が手慣れで仕事をしていない事がよく分かる。
とにかく各勢力がしっちゃかめっちゃかだった今話だが、戦闘終了後にクリム君の
「キャピタル・アーミィが戦艦で上がってきての初陣だったのだ。それで皆でとっちらかったんだろう?」
の台詞が我々視聴者の気持ちを代弁してくれるようだ。初見では分かりにくいを通り越して訳が分からないとすら言いたくなる作劇だったが、訳が分からなくても楽しいし、訳が分からないからこそ楽しいのかも知れない。何とも厄介なアニメである。
最後に改めて各勢力がそれぞれにザンクトポルトを目指していますよ、というのを再度強調して終了。不親切さを突っ走ったと思ったら、最後の数分で途端に親切な作劇。やっぱり厄介だ。