「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」感想。「足の下は宇宙なんだぞ!」って脳内石井マークが叫んでたよ


どうも! 毎度ブログではお久しぶりのあでのいです!
 
という訳で見てきましたよ。『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』。
めんどいので以下ジークアクスで。
折角なので8割Xのポストまとめみたいな感じでブログ記事更新です。

 



やー、面白かったっすね!
私自身は公開日の金曜の段階から既に「ネタバレ踏む前に何の情報も入れず一刻も早く見に行け!」なTLの雰囲気に対して、個人的宗教観によりずーーーーっとブチギレつつ、ふせったー読みまくった上に既に見に行った友人から根掘り葉掘りあらすじ聞いた上で、公開3日目の日曜朝イチで見に行ったりした訳なんですが。
 

(私の「ネタバレ」に対する諸々は折りにつけイロイロ喋ってたりはするんですが、まあ今回は私のこと「一切周囲に配慮する気のない迷惑ネタバレクズヤローだと思っておいていただければそれで大丈夫です)

まずはビギニングパートについて

そんな訳で元々見る前からビギニングパートについては知ってたんですが、それにしたって完全にファーストの悪ふざけパロディのオンパレードは流石にゲラゲラ笑ってしまいましたね。
 
シャアがまんま出てくるとは聞いてたけど、本当にあそこまでまんま同じ絵で安彦良和のキャラが、BGMもSEもそのまま、画面演出も完全にパロって普通に暴れ回るとは思ってなかったので、流石になんぼなんでもゲラゲラ笑ってしまう。あんなん笑わん方が無理だろ。という訳で笑ってしまった以上負けです。
 
ただ一方で、正直ちょっとビギニングパートに対しては、真面目さと悪ふざけが中途半端に感じられて、そこは結構ノイズだったなってのが個人的感覚だったりもする。もっと片方に振って良くなかったか?という勿体なさを感じてる。
 
どういう事かって言うと、ビギニングパートってマジでキャラデザもBGMもSEも服装も全部ファーストまんまで、さらにはカットの構図とかすら名シーン構パロディとしてファースト踏襲した絵作りだった訳だけど、そこでMSや戦艦のデザインとかだけマチュ主人公の本編パートと揃えてる訳よね。
それが何でかって言ったら、「本編パートでも出てくるから」でしかない訳じゃん。ザクもホワイトベースも「後で別デザインで出すから」ビギニングパートでもあのデザインにになってる訳でしょ。
(いやまあ人によっては「その歪なアンバランスさが魅力だろ」と思うのかも知れませんが……。それは置いといて)
 
シャリア・ブルとか出てきた瞬間に「あー、コイツだけは本編パートでも使い回す気なんだな」って分かっちゃう訳じゃん。他のキャラが完全に原典の安彦キャラのまんま出てるくせに、シャリア・ブルの面影残しつつ本編のキャラ達と絡んでても違和感無いくらいのデザインにアレンジ効かせてさ。
 
だから逆説的に言うと、安彦デザイン富野大河原デザインのまんま出した奴は概ね本編には出ないんだろ?って当たりは現状でついちゃう訳だよね。シャアは写真だけでチラッと出て「変なカッコ」ってセルフ言及されてたけど。ブラウ・ブロが元デザインのままだったのもそういう事でしょ。
(そしてそこで我々はセイラさんのご尊顔が出なかったことに気付く訳ですよ。これは是非とも本編で謎の仮面被った金髪の女MSパイロットがマチュらの前に強敵として立ちはだかって頂きたいですね……)
 
本編でも継続して登場するキャラやメカだけは、本編側に合わせてデザインしなおしてビギニングでも出してますよ、という、何か正直そこだけ急に真面目だなお前………ってなるんですよね。
 
でもさ、そんな程度でビギニングと本編の連続性をもたした所で、ファッションやらスマホインフラやらインターネット文化観、宇宙服やコクピット周りの技術面の設定、カメラの動かし方からキャラの演技のさせ方まで、そもそも全く連続してないのに、そこだけ律儀に繋げなくて良くなかった?ってなっちゃうんだよな。
(まあ後々設定面やストーリー展開上、そうでなくちゃならん必然性が出てくるのかも知れんが……)
 
それよりさ、ここまでやっちゃったなら全部ファーストの絵面に振っちゃって、何ならメカ戦もビギニングパートだけセルアニメでやっちゃうくらいの方が面白くなかったか?って思うんだよね。
シャリア・ブルも完全に安彦デザインで出しちゃって、本編でシレッと「さっきと同じシャリア・ブルですが?」ヅラして登場して、画面の前の俺らの方が「いやいやさっきと全然顔ちゃうやんけお前!?」ってツッコんじゃう、みたいなさ。
 
ほら、アレだよアレ。永野護がFSSでやった奴。急に「最初からゴティックメードでしたが?」ってツラしてイキナリ仕切り直しされちゃうアレ。
そっちの方が悪ふざけとして振り切れてて、もっとゲラゲラ笑えたと思うんだよな〜。
 
で、もしくは逆に、本編に合わせて大真面目に「令和にカラーが作るIFファースト」としてデザインも絵作りも一新してやるか。それこそ永野護繋がりで言ったらFSSのまだ見ぬ二部とエルガイムの関係みたいな、そういう感じでさ(伝わるかコレ!?)。
やるんだったら、そっちもそっちで見たかったというか、個人的にはそっちの方が見たかったかもな、とも思うし。
 
そこら辺、ビギニングと本編とで最低限の整合とろうという真面目さと、それはそれとしてファーストパロディでひたすら遊びたい的な悪ふざけさと、なんかどっちつかずな中途半端さが無かったかなあ? そこが地味に俺ん中で結構ノイズだったんだよね。
 
とは言え、それはそれとして普通に無茶苦茶笑ったので楽しかったのは事実なので、そこまで大きく文句つけるもんでも無いは無いんだが。
 
でまあ、もっと言うと、普通にマチュ達の本編パートが個人的にむっちゃ良かったので、その分悪ふざけの前日譚正直要らんかったなって気持ちはあり。こんだけ良いロボットアニメの1話なんだから、これをちゃんと1話として見せるべきだったんじゃないのか?と思っちゃうんだよな。
ジオンの名前とかも出さずに1話2話普通にやって、小出し小出しに「これってファーストのIF世界っぽくない?」と読み取れるくらいの塩梅で見せても良かったんじゃねえの〜?という気持ちがあったり無かったりラジバンダリ。
 
ここでまた誰に通じるんだって話をするんだけどさ、キングゲイナーエリアルが出てきた時に「えっ!? これまさかザブングルでジロン達がXポイントで敗北した世界線の話!?」みたいに富野教スレが一気にザワついたあの時の記憶を思い出すんだよね。
キングゲイナーっておそらく、ザブングルエルガイムを足して2で割ったような、ジロン(エリアル)とダバ(ゲイン)が相棒でW主人公のアニメが前日譚としてあったはずなんだよね。正史と異なり2人が革命に失敗した話の。まあ細かい設定は整合しないんだけど、ざっくりそんな感じでさ。
 
なんかジークアクスもそういう感じで見たかったな〜、ってのが1話気に入りすぎて結構思うんすよね。いやまあ繰り返すように、実際映画館でむっちゃ笑ってしまったので良いは良いんだけどさ。
ただやっぱり個人的には差し引きギリマイナスかなー、という感覚で、何か勿体なくない?というのが感想。

 

ジークアクス本編について 

で、こっからようやくその本編パートの感想なんだけど、いや本編1話は実際マジのマジで良かった。SFジュブナイルとして見たかった絵がずっと見れてたなっていう。
 
これはねえ、前置きとして俺が「水星の魔女」の放送中にずっとその辺の不満を言い続けてたってのがあって、とにかくスレッタ達に「スペースコロニーで生活してる感」も「MSが身近にある学園生活」もほぼゼロで、メカはほぼ決闘の時に区切られたバトルフィールドだけでしか出てこなくて、キャラクターとMSが日常風景で全く絡まない訳ですよ。
 
「水星」に対してはそこに不満が凄いあったんだけど、だからジークアクスの「スペースコロニーの生活を描いてる」感が凄えしっかりあって、そこが無茶苦茶良かったんだよね。
ほら、だから俺映画館で見てる間、凄え脳内の石井マーク君が「足の下は宇宙なんだぞ!」って叫んでたもん(伝われ)。
「足の下の壁一枚隔てた向こうには宇宙がある」っていうアニメだったじゃん、ジークアクス。そこに無茶苦茶感動があるんだよね。
 
宇宙で謎のMS同士が戦闘している。それが自分たちの生活空間を脅かそうとしてる。そしてそのMSが「地面の下から降ってくる」!
コレだよコレ!!ってマジで拳握りしめちゃったもん俺。
 
ほらやっぱり俺はGレコの民だからさあ、ビーナス・グロゥブっていう宇宙の向こうの世界の果てまで飛んできて、壁一枚ぶち抜いたらそこは海の底でした、という、あそこに凄え痺れちゃう訳じゃん。それに近い感動があったよね。
 
もう一個はやっぱりマチュがクアクスに初めて乗り込むシーンね。ザクの腕を走って手のひらからッバーンって飛び移るとこ、あそこもマジで震えた。ああいう絵に本当に俺弱いんだよ。
「俺こういうのが見たかったんだ!」って。
 
そもそもマチュのキャラが好きなんだよね。なーんか鬱屈抱えててイライラしてる少女キャラが結構好きなんだよ。だからその鬱屈の反動を炸裂させながらガンダムに乗り込む!って展開がまず好きだし、そのシーンが「ザクの腕の上を疾走して手のひらから跳躍する」という絵作りなのも最高だしで、繰り返すけど本っ当に良かった。
 
で、なんだけど、一方で気になるのが、なんか正直2話パートは「んんん???」ってなってしまった所がかなりあったりする。
1話の戦闘終わりから、そっから何か普通に家帰って風呂でゆっくり反省して親御さんとも仲良くて普通に次の日学校行って……で、そこら辺でキャラが一気にダウンした感があって。
(これアレだな、富野監督の言うショウ・ザマ城でひと晩寝かせちゃった問題だな)
 
あんま2話パートでクアクス乗ってクランバトルやるモチベもドラマとしてピンと来んかったなってのがあって、何某かのマチュにとってのクリティカルな決断があった訳じゃないじゃん、あそこ。
TVアニメなら3話への繋ぎでええとして、映画のクライマックスとしては2話弱くなかったか?という。
 
そもそも1話で軍に楯突いてガチモンの実戦やらかすってのから、2話のクランバトルの模擬戦ってのが、単純にスケールダウンしてる訳で、そこでドラマ的なクライマックスも無かったので、そっちが80分映画としてクライマックスの戦闘パートに来ちゃってるの、個人的には構成ミスだったのでは?って感覚。
まあそこはあくまで「先行上映」でしかないって話なのかも知れんが、映画館で映画として見る上ではマイナス要素だったかな。
 
あと、主人公のキャラは良いとして、周りの人間関係というかドラマというか、その辺がテレビ2話分やってそんな進んでも深掘りされてもねえなっていう嫌いは正直あって、そこもちょっと気になってたりする。
 
なんかニャアンとシュウジで本来1人で担当するはずだった役割が分配された分、どっちもキャラ薄くなっちゃってないか?という感覚がある。
 
2話でニャアンとバディ(マブ)組むなら分かるし、シュウジが1話でもっと何かしら因縁的な出会いしてるんなら分かるんだけど、
 
実際には「ニャアン、1話で初めにサブ主人公なツラでマチュと出会っといて2話で何もせんかったな」だし「シュウジ1話でノー出番のくせして、いきなりポッと出で特にマチュと何かあった訳でないまま急に2話で相棒になったな」なんよな正直。
 
でまあ、そこでマチュとシュウジの間の繋がりに「ニュータイプ同士の精神感応」が持ち出されてるってのが、割とガンダムオタク(というか富野信者)としてはモヤっとポイントではあって、「宇宙世紀IF物やるとして、この後に及んでまたニュータイプ議論をテーマにすんの…?」という素朴な警戒感な。
 
そういう意味で言えば、「ガンダムがそう言ってる」的なセリフをシュウジ君が言ってた訳だけど、ガンダムにそういう神的な要素持たせるのも、アナザーなり宇宙世紀の未来の話ならともかくとして、RX-78は純粋な機械だったやろがいって所にちょいモヤポイントはあり。
 
あの世界で何か神的な要素がガンダムにあったとしたら、それは後載せのサイコミュの方であって、RX-78ガンダムは別にそういうマシンやなかったやろっていう。
 

他こまごま

とりあえず今の所のジークアクスへの感想はこんくらいですかね。
まー細かく文句はつけてるけど、マジでマチュがジークアクスに飛び乗るシーン死ぬほど良かったんだよな〜〜〜〜! SFマインド炸裂な絵作りであのキャラ達がワチャワチャ元気いっぱい動いてるってだけでむっちゃ満足してるので、はよ3話以降見たいっすね。
 
あとまあ、ネタバレに関して言うと、個人的には実際にノー予備知識で見てたらどうだったかは正確には分からんが、何も知らずに普通に新作見に行ってイキナリいつものBGMでファースト1話のナレ始まったら、舌打ちしてそのままヤサグレ気分で残り80分見てた可能性はあるので、予備知識あってまあ良かったかなという感はあり。
 
あとアレだ。シャリア・ブルの扱いが良くて嬉しい気持ちもありつつ、シャアに入れ込むシャリア・ブルは個人的に解釈違いなんだよなーという気持ちも。
 
俺がシャリア・ブルの評価やたら高いの、「上手く立ち回れなかった不器用な職業軍人」って所に、なんかこう実直さというか、その上でニュータイプなら、そういう人が一番「他人の本質」を見抜く資質がある人なのかもな、みたいな幻想があるからで、
 
だから俺ん中でのシャリア・ブル、どっちかというとシャアと付き合い長くなると「こいつ普通にクズだな」ってシラけちゃうとこあじゃないかなって感覚なんすよね。それこそアムロやセイラのシャアに対する複雑な感情ってそういう所あるじゃん。因縁やら思い入れやら共感する理想やらもあるはあるけど、それはそれとして少なくとも人として尊敬に値する人物ではない、と結論づけてるあの感じ。
 

あともう一個。ジークアクスのビギニングパートを「シン・ガンダム」と呼ぶのは絶対間違ってると思うんすよね。シンシリーズは「あの当時の衝撃と魅力を『今』改めて再現するためにはどうしたら良いか?」というコンセプトでもって、原点を「存在しなかったもの」として再構築する試みなので。
 
(シンエヴァは置いとくとして)(庵野リメイクシリーズに全部シンってついちゃったけど、本人のセルフリメイクであるシンエヴァと他3作は全く別の意味性なのでな)
 
ビギニングは徹頭徹尾あくまで「機動戦士ガンダム」ありきのパロディであって、「機動戦士ガンダム」の再構築や再現は全く目指していない。シンシリーズの思想性とは完全に真逆を向いてると言っていいし、何なら俺は「ガンダムでシンはやらないし、そもそもやれない」という宣言にすら見えんすよね。
 
 
なんか長々足しちゃったけど、こんな感じです。
という訳でテレビシリーズの開始が楽しみっすね!と締めて終わる。さらばだ!