ガンダム Gのレコンギスタ 第十七話感想 宇宙で敵味方が協力しあう為には?

 シラノ5の外壁に穴が空いたので、そこから漏れ出る土砂を避けつつ出港したメガファウナ。宇宙空間でドレット軍+キャピタル・アーミィサラマンドラ組らと遭遇し、毎度のゴチャゴチャ混戦へと突入するかと思いきや、皆で一緒に協力して宇宙のゴミ掃除をしちゃう、というのが今回のお話。

【「人災」】

 今話は「メガファウナの進路を確保するため宇宙に散らばる瓦礫をMSでどかす面々」というシーンから始まる。シラノ5の南リングの外壁が事故で破損し、そこから土砂が流れ出ているらしい。メガファウナはそのドサクサに紛れて出港したとのこと。話と話の間に起きた事件を事後報告しつつ、後処理の途中から話をスタートするという、毎度毎度の「途中から始める」メソッドに痺れる。



 このシーンで気になるのがラライヤのこの台詞。

「南の方のリングの修理、ちゃんとやってないんで、これは人災ですよ!」

「人災」の単語に4年前の「あの」事故(もう4年前なのだ!)を思い出さない日本人は殆どいないだろう。仮にここでの外壁損傷が隕石などの偶発的な自然災害であったとしても、そうした災害への対応が怠られていたのであれば、その責任は「人」にある、と。
 ラライヤのこうした怒りの表明からは、現トワサンガ政権への不信感がありありと見て取れる。そういう意味では如何にもレジスタンス的な物言いであるとも言える。そうした不信感はフラミニアらの台詞からも感じられる。

フラミニア「土砂が流れ出したおかけで、メガファウナは外に出られました」
 ミラジ 「モロイの桟橋にいたらいけないんですか?」
 ベルリ 「全員追い出されて、底の抜けた農場で開拓をやらされましたね」

 現代社会は原子力発電所に限らず、多かれ少なかれどこでも「一度事故が起これば一気に大惨事」という類の巨大技術によって営まれている。そういう意味では宇宙空間と壁一枚(いやまあ実際には一枚では無いだろうが)で隔てられたスペースコロニーという環境は、「巨大技術に囲まれた生活」の極致であると言える。
 そこで起こった大事故は、たとえそれが行政の不始末だとしても、結局はそこで暮らす現地の人々の生活へと直接的な負担となってのしかかる。現場の人間がその後始末をやらされる。この構図もこの4年間(に限りはしないが)で散々見せつけられて来た光景だ。
 今話でそうした現代社会の問題に対する解答が与えられる事は勿論無いが、1エピソードの舞台装置にサラリとこうした問題意識を描く辺り、相変わらず底の見えないアニメである。

 ラライヤ達が瓦礫避けに奮闘している中でのそのそ起き出すベルリ君。頭痛で休んでいたとの事。

冒頭でGセルフに乗っていたのがラライヤだった事に、前回ラストシーンのベルリ君の激昂を思い出して心配になる所ではあったが、特に引きずっている様子は見当たらない。本当に単に寝ていただけのように見える。
 「見える」。そう、あくまで「見える」だけである。簡単に内面を描く事を良しとしない作風がGレコなので、ひょっとしたら頭痛は単なる口実で、独りでふさぎ込んでいたかっただけなのかも知れないし、ノレドもそうしたベルリの心境を分かった上で声をかけているのかも知れない。知れない知れない、相も変わらず分からない事だらけである。

 冒頭ではGセルフを操縦していたラライヤだが、ネオドゥが愛機となる模様。口の部分が明らかに「ガンダム」な所が印象的な機体だが、「大昔から使っていた機体」「スペースコロニー建設用に使われ続けてきて」だそうだ。溶接機をビームライフル代わりに使うという点も含めて、ネオドゥにも「技術とは?」という作品テーマの1つが大いに(かつ、あくまでサラッと)込められていそうな気配だ。

【マニィとバララ】

 視点はドレット軍と一時協力関係を結んでいるアーミィ組へと移る。そんな状況下でもトワサンガ占領の話で盛り上がるクンパ、マスク、バララの3人組。

クンパ「トワサンガキャピタル・アーミィの物にすることも考えられる」
マスク「おおっ!」
バララ「アハハハッ!」

相変わらず悪い大人の悪巧み中だ。そこにマニィがふらりと現れる。ここで画面上では初のマニィとバララの直接会話シーン。会話自体は特にどうという事は無いのだが、注目したいのが並んで歩く2人の脚元が一瞬だけ挿入されたカット。


 バララの方が大きな歩幅でゆっくりと歩いており、マニィの方はバララに比べるとチョコチョコと細かく動いている。この一瞬のワンシーンだけで、何となく2人の精神的余裕の差が感じられる。バララの方はマニィを軽く見ており、マニィはバララにやや気後れ気味、といった印象を受ける。直後のカットで身長自体はマニィの方が高いことが分かるので、脚元のカットで感じた2人の印象の差がさらに強調される。こうしたわずかなシーンにもここまでの情報量が詰め込まれているのだから面白い。
 マスクとバララとマニィに関しては、シンプルに男女の三角関係と言うにはそれぞれの思惑はかなり複雑だ。後のシーンでのバララが新型MSで出撃するのを見送ったマニィの

「そうか、マスク大尉はバララ中尉を兵器として使っている?
 そこまでクールな大尉ではないはずよ」

という呟きには、マスクが特別扱いをしているのは自分だけと思い込みたい気持ちと、マスクのそんな冷たい面を見たくないという気持ちの葛藤が見える。3人の危うい関係性はまだまだ続きそうだ。

 大人のキナ臭さと男女の危うさにキリキリしっぱなしのアーミィ組に対して、こちらも相変わらずのコメディリリーフっぷりが板についてるクリムらサラマンドラ組。
 アーミィ組同様に彼らもドレット軍と一時協力関係を結んでいるので、ちょっと前まで平気で三つ巴のMS戦を行っていた面々が、仲良く同じ港に停泊中という他のガンダムではなかなか見ない光景。明確に国と国とが戦争をしている訳では無いGレコ世界では、利害関係によってフレキシブルに勢力図が変動する。月vs地球、という大枠すらも今話では(正確には前話の段階で)崩壊している訳だ。
 協力体制と言っても個人レベルでは不満のあるMSパイロット達。ゴミ掃除の命令に反発するクリムとミックに、地球勢を自由にさせすぎている事に不満のあるロックパイ君。腹芸ばかりのアーミィ組にキリキリさせられた後だけに、好き勝手に自分達の考えをギャーギャー言い合う彼らの姿が妙に楽しい。



 彼らの好き勝手っぷりのおかげで、腹芸使いのマッシュナーとサラマンドラの艦長さんすら、ガキ連中に苦労させられてる保護者な雰囲気で、妙に気の抜けた空気が漂っている。


 さて普段は独立愚連隊で割と自由度の高いメガファウナも、微妙に艦内に「大人のキナ臭さ」が漂い始める。前回からメガファウナ入りしたレジスタンス組織のロルッカさんが、どうやらクンパ大佐と顔見知りの様子。ここでベルリがロルッカらに対して疑いの目を強く持っている所が興味深い。やはり表面的には苛立ちを飲み込んだように見えつつも、前話の事でベルリの中にはロルッカらには不信感が根付いており、それがここで表出した、と見るべきか。


【利害関係まみれの宇宙掃除】

 瓦礫の掃除と同時に、トワサンガを抜け出す算段を立てるメガファウナ。その為にベルリらがMSで出撃するが、オーバーワークで制御の効かないラライヤのネオドゥが、暴走した挙げ句にバララの乗る新型MSビフロンに突撃。という訳でここからMS戦へと突入。クリムとミック・ジャックらも合流して、毎度の事ながら一気に混戦ムード。


 ビフロンの謎の必殺技(?)「四つ手ユニフィケーションアタック」とやらが絵的にインパクトがあるが、それよりもゾッとさせられるのが、サラッとミックのヘカテーが間違えてリンゴのモランへガトリングをぶっ放してるシーン。誰が敵で誰が味方か、視聴者までをも混乱の渦に叩き込みながら混戦模様が激化する。


 そしてそこに現れたロックパイ率いるドレット軍のお掃除部隊によって、事態は意外な方向に進展する。

ロックパイ「地球人はどこでも戦争するな! トワサンガクレッセント・シップで、ヘルメス財団の使者が来ている意味を考えるんだ!」

ロックパイクレッセント・シップカシーバ・ミコシは、フォトン・バッテリー運搬のための、ヘルメス財団の艦であるのだからして、石っころ1つぶつける訳にはいかんのだ! 貴様達もがれき掃除を!」
ドレット兵「「手伝って頂く!!」」

 ロックパイの命令にいち早く反応して、本当にがれき掃除の手伝いを始めるベルリ。そしてそれに負けじと続くマスクとクリム。敵と味方が入り乱れての混戦から一転して、今度は敵も味方も一緒になっての宇宙掃除だ。ここでバックに流れるBGMが、いつもはMS戦のクライマックスで流れるそれである事が、なお一層画面のトンチキさを加速させる。



 このシーンを我々はどう受け止めれば良いのだろうか? 「敵味方のそれぞれの対立組織が、お互いの立場や利害関係を超えて一時休戦し協力し合う」という、人間同士の相互理解力に感動すべきシーン? いや、それは恐らく違う。確かにここでは「戦いの手を休めて協力し合う」というシーンが描かれるが、彼らの台詞をよくよく吟味してみると、所詮は皆、自分達の都合について喋っているに過ぎない事が分かる。
 ロックパイはドレット軍としてヘルメス財団の艦を守る義務があるので、地球人達にこんな所で戦争なんかしてもらっては困る訳だし、ベルリら地球人にとってもヘルメス財団には「エネルギー源の供給」というライフラインの首根っこを掴まれている訳だから、それを持ち出されれば従わざるを得ない。そこで「従わざるを得ない」という事にいち早く気付いたベルリが動けば、ドレット軍側に居候状態のマスクやクリムらも、自分達のメンツを立てる為には手伝わざるを得なくなる。
 このシーンでは、誰も彼も「相互理解」なんて理想的なコミュニケーションは行っちゃいない。皆が皆、協力せざるを得ない状況が形成されたから、渋々協力しているのに過ぎない。
 そう考えれば、今話は決して「敵対組織であっても立場や利害関係を超えて協力し合う事ができる」なんてお話ではない事が分かる。おそらく今話の「皆で宇宙掃除」のシーンには「敵対組織であっても立場と利害関係によっては協力し合う事もある」というメッセージが込められている。そこには、ある意味では「人間なんて所詮馬鹿だから、敵味方同士で分かり合う事なんてできない」という諦観すら感じられる。しかしその上で「馬鹿なりに分かり合えずとも上手くやっていく事もできる」という諦めの先にある希望が、このシーンでは描かれているのではないだろうか。
 「機動戦士ガンダム」が「人間だっていつか分かり合う事ができるはずだ」という未来への希望を、「ニュータイプ」というSF設定を通して描こうとしてきた事は今更語るまでもない。そしてその希望が、その後続く長い長いガンダムシリーズの続編中で、ことごとく打ち砕かれた事も周知の事実だろう。
 Gレコは決して「分かり合える」とは言わない。「分かり合えない」という諦観の上に「それでも生きていけるはずだ」という希望を提示する。今話で描かれた「諦めの先の希望」こそが、35年前にガンダムが残した宿題の、35年越しの解答のように、私には思えてならないのだ。

【ノレドお悩み中】

 さてそんな本筋とは無関係に、今話では所々挟まる自分の立ち位置に悩むノレドのシーンが非常に印象的だ。彼女が何に悩んでいるのかと言えば、それは彼女自身が現状「本筋と無関係」な立ち位置にいるという事実に他ならない。
 今話序盤にてノレドが積み荷のチェックを行っているシーンが地味に描かれるが、実はノレドがメガファウナのクルーとして仕事らしい仕事をする描写があるのはこれが初めてなのだ。

 ラライヤの記憶が回復した事でラライヤの母親役としての立場を失ったノレドは、メガファウナの中で存在意義を失いつつあった。本来もう世話の必要が無くなったはずのラライヤに対してもなお世話を焼こうとするノレドの姿は、まさに子離れ出来ない母親のそれだった。ノレド本人もどうやらその歪さにはちゃんと気付いていたらしい。積み荷のチェックを行っていたのも、役割の無い自分から脱却しようという意思の現れと見るべきだろう。
 物語の本筋に関われないキャラクターが、「物語の本筋に関われない」事そのものに悩みを抱く。そしてその様を描き出す。こういった所にGレコの視野の広さ、視点の高さが感じられて心地良い。

 ベルリやラライヤ達が宇宙でMSを乗り回している間、ノレドはメガファウナの医務室で診断を受けながら自分の悩みを打ち明ける。

「ラライヤはネオドゥに乗ったら輝きだしているもの」

ノレドは自分の不甲斐無さに落ち込んではいる訳だが、ノレドの相談を受けた医務室のメディ氏とキランさんはこう返す。

キラン「ラライヤさんが自立したんで、寂しくなったのよ。ねっ?」
メディ「そんな暇はないぞ。アイーダ姫様のブレーキ役とか、ロルッカさんたちに持ってきてもらう不足品のリストアップとか、やる事はいっぱいある」

ここでの2人のアドバイスは、極々平凡なものでしかない。自分の役割が見当たらない年子の女の子に「仕事は沢山ある」と言っているだけだ。しかしそんな平凡なアドバイスを、ノレドはちゃんと受け止めて元気を出す。
 そもそもノレドの悩み自体が極々平凡な「若者の悩み」に過ぎないのだと言える。しかし、そうした悩みを、素直に周囲の大人に相談できるのがノレドの強かさでもある。それは前話においてベルリが自分のショックを内に溜め込んで拗らせてしまった事とは対照的だ。「一人で踏ん張るしかなかった」ベルリと素直に大人を頼る事ができるノレド。「元気に生きるため」のヒントがGレコには沢山散りばめてある。

 アドバイス通り、医務室の不足品のリストアップをしながらノレドは「看護師になる勉強がしたい」とキランに伝える。それに対してキランさんは「あなたは歴史政治学をやりなさい」と告げる。これは一体どういう意味だろうか?

 実はGレコの主要キャラクターの中で、一番特に目的らしい目的を持たずに単なる好奇心や野次馬根性だけでここまでついてきたのがノレドなのだ。しかし今のノレドは「自分も周りの役に立つ事ができなきゃ」と焦っている状態にある。キランさんの台詞が、そうしたノレドの元々の性格や現状の焦りを理解した上で、「分かりやすくすぐに人の役に立てそうな看護師ではなく、すぐには役に立たない歴史学政治学をじっくり学べば良い」と思って言ったのであれば、それはなんと素敵な事ではないだろうか。
 「人の役に立てなきゃ!」という若者の焦りを優しく受け止めた上で、「慌てて無理に人の役に立とうとしなくたって良いんだよ」と大人が言ってあげる。どいつもこいつも好き勝手に生きている感のあるGレコだからこそ、こうした理想的な大人と子供の関係性が描かれている事が胸を打つ。
 そしてそんなシーンが、本編の合間に挿話感覚でサラッと挟まるだけ、という所にさらに感動する訳である。

 さて戦闘(?)も終わった頃に、何を思ったかメガファウナへと潜入してきたクンパ大佐。ここでクンパ大佐がアイーダとベルリの地球亡命の当事者である、ピアニ・カルータその人であった事が明かされる。クンパ大佐自身はレイハントン家側の人間であった訳だが、10数年の内にロルッカらとはかなり異なる主義者になったようだ。9話における「地球人は絶滅していい存在」の台詞と合わせて考えると、少しずつ彼の立ち位置も見えて来たような気はするが、まだまだその最終目的は定かではない。

 ロルッカ氏と論争をするクンパ大佐の存在に気付いたアイーダ姫だが、クンパ大佐には逃げられる。で、ここで姫様は

「レイハントン家とドレッド家の争いのもとも、ヘルメス財団にあるというのなら、財団のある所へ行ってみる必要はあります!」

と今度は金星へと旅立つ決意を表明。

 真実を知る為に月まで来たメガファウナ一行だが、結局月の人間もフォトンバッテリー運びの仲介屋に過ぎない事が分かったので、埒が明かないのでさらにその先へと旅路を進める訳だ。
 そんな所で今話は終了し次回へと続く。

 という訳で、予告通りゴミ掃除回だった今話。次回も次回でさらにバタバタした回になりそうだが、ベルリ君曰く、息をつめて見ちゃあいけないらしい。深刻ぶって見た所で結局こっちの予想は毎回飛び越えられてしまうので、それで良いのかも知れない。とにもかくにも次回も見る!のだ。