結局Gレコとは何だったのか? ―Gのレコンギスタ総括― その2「エネルギー問題」

という訳でその1に引き続きその2です。
割と内容がその1と重複してる気がしないでもないけど、とりあえず今は推敲あんま無しで思い付いた事をガーッと吐き出してるだけなので悪しからず。

【Gレコとはエネルギー問題を考えさせるための物語だったのだ】

 Gレコが放送を始めた時、というか放送が始まるずっと前から「次のアニメは軌道エレベーターが舞台になります」と富野が言ってた訳だけど、実際には軌道エレベーターキャピタル・タワーが世界観の中心にいたのは物語前半まででしかなかった。で、それに代わって、と言って良いかは分からんが、とにもかくにもGレコの物語の中心にあったSFガジェットがフォトン・バッテリーだ。

 アメリアとキャピタルの戦争は要するにフォトン・バッテリーの供給権争いから始まり、ベルリ達メガファウナ一行の旅は、フォトン・バッテリーの供給元をザンクトポルトトワサンガビーナス・グロゥブと辿って行き、そこからまた最終的な供給先である地球に戻って来るというものだった。要は彼らの旅はフォトン・バッテリーの運搬経路を遡る旅だと要約することができる。
 で、そのフォトン・バッテリーが一体何なんだ、という話なのだが、前節でも述べたように、多くの地球人にとってトワサンガの存在自体が実在するのかどうかも怪しいおとぎ話の世界のようなものなのだが、これは相当におかしな話だ。地球人はトワサンガから送られてくるフォトン・バッテリーに頼って生活してるのに、それにも関わらず地球人はフォトン・バッテリーの供給元に対してまともな想像力を働かせる事ができていない、という訳だ。

 そんな馬鹿みたいな話あるかよ、とうっかりツッコミを入れたくなる所なのだが、一旦立ち止まった考えてみると、実際我々の生活というのも実は大差無かったりするのでないか、と思える。現実世界に生きる我々は、自分達の生活に必須の電力が一体どこで作られて、どこからどんなふうに送られて来ているのか、本当にリアルに想像できているのか?

 地球側としては国のトップがギリギリ月の人間に直接会ってるくらいで、普通の人らにとって月の人とか金星の人は想像の埒外。乱暴に言ってしまうとフォトン・バッテリーってのは「何かよく分からんが誰かが勝手に運んで来てくれる安全で無害な都合の良いエネルギー源」程度の認識な訳だ。で、「結局それ何なん?」という動機で金星くんだりまで旅したアイーダが見た物は、ムタチオンでボロボロになりながら生き長らえてる金星人達の姿だった。

 えーと、こっから先の話は、正直かなり危険な見方だし、Gレコ見てる人達の中にも気付いた人達が何人もいるはずなんだけど、あんまし積極的に言及してないように個人的には見えるので、どうしようかと思ったんだけど、ちょっとこの場でストレートに言及してしまおうと思う。
 要はフォトン・バッテリーと地球と金星の構図って、そのまま電力と東京と福島の構図の映しになってる訳なんだよね。地球では「フォトン・バッテリーは供給されるもの」という前提が疑われる事なく、その配分や占有権を巡ってドンパチやってるけど、実際にはその生産元では地球のツケを押し付けられてて、それに不満を感じてる人達もいる、と。
 で、そういう対比だか暗喩だかを見出しちゃうと、勢いムタチオン放射能被害による奇形を連想しかねない所で、ここら辺まで考え出すとちょっと恐くなる。ただ、富野監督は「アニメという虚構の世界を使う事で現実の問題を描く事ができる」と言うけど、余りに現実社会の問題をそのまま描いて(それこそ名前を変えただけ、みたいな)しまうと、それはそれで卑近な表現になってしまうので、この程度がギリギリのバランス感覚なのかな?と思う。
(個人的な解釈としてはフォトン・バッテリー太陽光発電から作ってるので効率化の為に太陽に近い金星付近で生産してるけど、その所為で放射線による遺伝子異常の多発、って所なんかなあと思ってる)

 上の暗喩をそのまま拡大解釈してアニメ内の表現を現実に対する批判と解釈するのは本当に危険なのだが、その危険を承知で考えてしまうのが、Gレコは陰謀論を否定してたよね、という話。
 前節でも詳しく述べたが、Gレコには「世界を裏から操っていた黒幕」も「驚くべき世界の真実」存在しなかった。要するに「それさえ押さえておけば世の中の全体が見通せる」みたいな分かりやすいファクターが存在しない訳で、世界というのはそんな簡単には出来ていない、と。むしろ「世界を見通す上で道しるべとなるような『真実』なんて存在しない」というのがこの世の真実なのだ、というのがGレコの我々へのメッセージだったのではあるまいか、と。
 で、まあ、そこには「原子力村の陰謀」みたいなフレーミングで世の中を単純化しようとする人々への警鐘を個人的には読み取ってしまうのだけど、まあ流石にその辺は深読みが過ぎる所か。

 とにもかくにも、Gレコとはベルリとアイーダらが自分達の暮らしを支えるエネルギーについて、仲介運搬業者や生産元を実際に見て回る物語であり、それによって我々視聴者に対して現実のエネルギー問題について考えさせるための物語だったのだ。
(とまで言い切って良いかは知らんが、1つの見方として充分有効だろうと個人的には思う)

ちょっくら捕捉と引用

という訳で今日はこの辺で。その3に続く。