オジュウチョウサン物語 第7章6「20年越しの夢」

 

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 この日、中山競馬場は異様な熱気に包まれていた。いや、この日だけではない。もう何日も前から、この日の中山グランドジャンプを取り巻く競馬界の雰囲気は、明らかに例年とは一線を画していた。
 
 例年中山グランドジャンプは、3歳牡馬クラシックの1冠目である皐月賞の前日に行われる。そのため多くの競馬ファンにとってレースの位置付けは良くて皐月賞の前座扱い、悪ければ存在すら意識されないままレースそのものを終えることも少なくない。
 しかしこの年ばかりは、競馬新聞はこぞって中山グランドジャンプの予想記事に紙面を割き、競馬ファンらは誰も彼もがアップとオジュウのどちらが勝つかと口々に言葉を交わしていた。当日の中山競馬場の入場者数は前年比112%増。今日のために特設されたオジュウチョウサングッズの専用売り場には朝から長蛇の列が並んだ。
 去年の中山大障害から始まった障害界を渦巻く熱気が、最高潮に達しようとしていた。
 
 私はこの日、中山競馬場に前述のK氏とともに足を運んでいた。
 9レースが終わりそろそろかなと思いパドックへ向かうと、既に最前列には2重3重に人が並んでいた。我々2人は最前列から少し離れた、馬頭観音の手前あたりの場所を確保して中山グランドジャンプの出走馬たちが現れるのを待っていた。レース前に必ず馬頭観音で全馬完走を祈ってからスタンドへ向かうのがK氏の習慣なのだ。
 
 時間が経つにつれ人の数はどんどんと増えてゆき、気がつけばパドックは溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。
 その光景を前にして、K氏は絞り出すような声で話し始めた。
 
「ずっとねえ、この光景が夢だったんですわ。ずっと」
 
 K氏の目線は私の方を向いてはいなかった。目の前に広がる人だかりをジッと見つめながら、K氏は続ける。
 
「今年が20回目ですから、もう19年前になる訳です。第1回の中山グランドジャンプの時の話ですわ。ようやっと障害レースにもGIの格がついて、私どもはそらあ喜びましたよ。2つ前のレースからパドックの最前列に陣取りましてね。けど、やっぱりあきませんでした。馬たちがパドックに入ってくる頃になっても最前列にはまだ空きがありましたから。2週間前の日経賞の時の方がよっぽど混んどりましたよ。悔しかったもんです」
 
 オジュウチョウサンたちがパドックに姿を現した瞬間、客席からカメラのシャッター音が無数に鳴り響く。
 
「この光景がねえ、ずっとずっと夢だったんです。本当に叶うんですなあ」
 
 K氏の声は何かを堪えるように震えていた。

 

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*こぼれ話*
重ねて述べるが、K氏はあくまで架空の人物。