「障害好きを長いことやっとるとね、誰でも1度は思うんですわ。グランドマーチスがあと2年遅く産まれとったら。バローネターフがあと2年早く産まれとったら、とねえ」
確か、2月の事だったように記憶している。場所は阪神競馬場。私はかねてから交流のあったK氏と一緒に、油かす入りのうどん*1を食べながら話し込んでいた。
大の障害レース好きのK氏からは会って話をするたびに過去の障害レースの思い出や古い障害馬の話を聞かされていたものだった。この日は昨年暮れの中山大障害の話題で持ち切りだったが、その中でK氏がふっと漏らしたのが上記の言葉である。
日本競馬史上で最強の障害馬は誰か? オジュウチョウサン出現以前に限ると、この問の答えは概ね3頭に絞られる。即ち、フジノオー、グランドマーチス、バローネターフの3頭である。
フジノオーは1963年の秋から1965年の春にかけて中山大障害を4連覇した歴史的名馬である。
当時、中山大障害は収得賞金に応じてハンデとして斤量が加算される制度だったため、5連覇を目指して出走した65年秋の中山大障害では68kgの酷量を背負わされ、結果として斤量54kgの牝馬ミスハツクモに敗れている。さらに翌年、余りに勝ちすぎるフジノオーが嫌われたためか、中山大障害が勝ち抜け制に変更され、フジノオーは目標を一時失う*2。
しかしそのフジノオーにこの年、なんとイギリスのジョッキークラブから障害競走の世界最高峰であるグランドナショナルへの出走招待が届いたのだ。フジノオー陣営はこの招待を受諾し、ヨーロッパ遠征へと旅立つ。結果的にグランドナショナルでは15個目の障害の飛越拒否により競走中止しているが、その後もヨーロッパにとどまり、翌1967年にはフランスの障害競走で2勝を上げている。
海外の障害競走を勝利した日本馬は、後にも先にもフジノオーただ1頭である。
グランドマーチスもまたフジノオー同様、1974年から75年にかけて中山大障害4連覇を果たしている。この記録を達成した馬はオジュウチョウサンを除けば日本競馬史上この2頭のみである。
障害競走を39戦し1度の落馬も無く、特に74年の秋から75年の春にかけては重賞4連勝を含む障害競走9連勝を達成している*3。
しかしフジノオー同様に勝ちすぎたのが嫌われたか、72年以降「中山大障害勝ち馬は2kg増」とされていた斤量ルールが76年に「中山大障害を勝つ”ごと”に2kg増」に変更され、5連覇を目指して出走した春の大障害では66kgの酷量を背負わされ2着に惜敗している。
その後、レース中に骨折しそのまま引退。当時の日本競馬初の獲得賞金3億越えを達成しており、現在日本競馬史において唯一障害馬としての顕彰馬*4入りを果たしている。
最後の1頭バローネターフだが、この馬は1975年の夏に3歳で早くも障害入りしたものの、上記2頭に比べて芽が出るのには時間がかかっている。初年度こそ4勝を上げ中山大障害でも2着に好走しているが、翌76年は年間8戦するも全敗している。
快進撃が始まったのは、その翌年の77年からである。一気に才能が開花したバローネターフは、77年から79年までの3年間で、1度の敗戦を挟みながら中山大障害を5勝している。これはオジュウチョウサンを除き歴代最多勝記録である。特に彼が79年春の中山大障害で64kgの斤量を背負って叩き出した4分38秒5というタイムは、91年にシンボリモントルーによって破られるまでのコースレコードだった*5。
この3頭の成績に既に気付いた読者も多いだろうが、グランドマーチスとバローネターフの現役期間が実は被っている。
前述の通りこの3頭の中でグランドマーチスだけが唯一JRA顕彰馬として殿堂入りを果たしているが、これは顕彰馬選考の際に「障害馬からの選出は一頭まで」というJRAの意向があったからだ。
3頭の中でグランドマーチスが選ばれた理由について選考委員の大川慶次郎*6は、「3頭とも甲乙つけがたい」としながらも、決め手としてグランドマーチスの知名度の高さを上げているが、直接対決でバローネターフを下している点もまた重視されているであろうことが推測できる。
しかしながら、前述の通りバローネターフが障害馬として覚醒するのはグランドマーチスが引退した翌年以降のことである。さらに言えば、バローネターフはグランドマーチスの活躍により復活したハンデ制の中で中山大障害を5勝しており、グランドマーチスが打ち立てたレコードタイムも更新している。
「ですからね、グランドマーチスとバローネターフの全盛期がもし被っとったら、今頃顕彰馬になっとったんはバローネターフの方だったんやないかと、時折思いますのや」
阪神競馬場のスタンドで、ビールを片手に上機嫌でK氏が話す。
「ま、イフの話ですから、実際の所どうだったかは、そら分かりません。ただね、あの2頭を見とると、なんや私らがずっと妄想しとった夢物語が現実になったようで、妙に嬉しくなりますんや」
彼の言う「あの2頭」とは、言うまでもなくアップトゥデイトとオジュウチョウサンを指す。
2017年の中山大障害の勝利で、オジュウチョウサンはフジノオーとグランドマーチスに次ぐ史上3頭目の中山大障害コース4連覇馬となった。
一方、アップトゥデイトのJGI戦績はこれで5戦して2勝2着2回3着1回。3年に渡り一度も馬券内を外さないという驚異的な成績で、3度の敗戦はその全てがオジュウチョウサン相手である。単純計算すれば、オジュウチョウサンさえいなければ40年ぶりの中山大障害コース4勝馬の栄光と賞賛を浴びていたのはこの馬の方だったはずなのである。
オジュウチョウサンはもちろんのこと、アップトゥデイトも紛れもなく歴代の名馬と肩を並べる存在に違いないのだ。
既に勝負付けは済んだものと思われていた新旧王者2頭だが、先の中山大障害の結果はそうした競馬ファンの認識を完全に覆した。この2頭の差はそう絶対的なものでは無い。
数十年に1頭いるかいないかという馬が2頭、何の因果か同じ時代に生まれ、同じレースを走っている。であれば、2頭が再戦するであろう4ヶ月後の中山グランドジャンプは、過去数十年の障害競走の歴史においても最大級の一戦となる。
「グランドマーチスとバローネターフの全盛期がもし重なっていたら?」
年が明けて2018年、日本競馬障害史上に残る、熱い熱い4ヶ月間が始まろうとしていた。
*こぼれ話*
実はこの回のサブタイトルは「フジノオーとタカライジン」にするかどうかかなり迷ったのだが、グランドマーチスの紹介はどこかで必要になるのでこちらを採用。ちなみに今回登場したK氏は架空の存在。今後も何度か登場するが、実際の知り合いやら某匿名掲示板の障害レーススレの住人やら障害ファンのブログ管理人やらSNSアカウントやらの集合人格。こんな都合の良いおっさんがリアルにたまたま知り合いにおってたまるか。
*1:東ウイング1階フードプラザ内のKASUYAにて販売。阪神競馬場の場内飲食店で一番美味いのはこれだと思う。
*2:基本的に完全な一強状態が長期に渡って続くと、馬人気はするもののレースの馬券売上は低下する傾向があるので、JRA的には嬉しくない。まだぬいぐるみやグッズなどで馬をアイドル的に売るような時代ではなかったのだ。なお中山大障害の勝ち抜け制は余程不評だったのか翌年に即廃止されている。
*3:連勝記録だけで言えば1970年のキングスピードが達成した障害競走10連勝がオジュウチョウサン以前の最高記録。ただしこちらは平場レースのみの連勝で重賞は未勝利。さらに言えばアラ系障害競走まで広げるとホウセイの13連勝がある。
*4:中央競馬の発展に多大な貢献があった競走馬について、その功績を讃えJRAにより選出される。2020年現在、33頭の馬が顕彰馬に選出されている。
*5:前章で述べた通り、このレコード時のシンボリモントルーの斤量は58kgである。
*6:競馬評論家にして予想家の第一人者。1日の全レースの連複を的中させるパーフェクト予想を通算4度達成し、競馬ファンらからは「競馬の神様」とも呼ばれた。