オジュウチョウサン物語 第6章2「想定外の逃亡者」

 

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 そして迎える第140回中山大障害
 波乱はレース序盤、第一障害の飛越直後に起こった。7番枠、ゲート中央から発走したオジュウチョウサンが、内のアップトゥデイトと外のユウキビバワンダーの間に挟まれ一瞬体勢を崩したのだ。鞍上の石神が「あっ!」と思った瞬間にはもう遅かった。レースにおいて序盤のポジション取りはコンマ1秒の遅れが命取りとなる。石神がオジュウの体勢を立て直して何とかレースの流れに乗り直した頃には、前を行くアップトゥデイトとの間に2頭の馬が壁となってしまっていたのだ。
 
 これまでのレースで、オジュウチョウサンにとってアップトゥデイトは格好の「的」だった。
 アップトゥデイト以上に怖い馬は他にはいないのだから、その後ろにピッタリとついていき、最後の直線でかわしさえすれば自動的に他馬にも勝てる。気性が良くペースも安定しているので追走しやすい上に、お手本のように美しい飛越が持ち味のアップトゥデイトの後ろなら、落馬転倒に巻き込まれる心配もない。
 後ろでマークするのにこれ以上都合の良い馬はいない。オジュウと石神にとってアップトゥデイトの後ろは必勝の絶好位だったのである。
 
 当然今回も同じ戦法で行くつもりだったが、ポジション取りに失敗してしまった。
 オジュウの前を行く2頭、スズカプレストとクランモンタナの鞍上は共に40代後半のベテラン騎手、北沢伸也熊沢重文だ。簡単に進路を譲ってもらえるほど甘くはない。「しまったな」「どこで抜くかな」そう考えていた次の瞬間、石神は信じられない光景を目の当たりにする。
 先頭のアップトゥデイトが、とんでもないペースでみるみると差を広げて行くのだ。あっという間にオジュウチョウサンを含む後ろの馬群は置き去りにされる。
 
(マズい!)
 
 そう思ったがもう遅い。北沢と熊沢がアップトゥデイトを無理に追いかけようとする気配は無い。前の2頭を抜かそうともがいている間に、アップトゥデイトとの差はますます離されていく。襷コースの入り口で、内外が入れ替わるのを利用して何とか2頭の前に出た頃には*1アップトゥデイトははるか前方で既に大竹柵を飛び終えていた。
 この時点でのアップとオジュウとの差は20馬身を優に超えるまでになっていた。
 
 オジュウチョウサンら後続集団のペースが遅い訳では決してない。アップトゥデイトに遅れること4秒余りで大竹柵を飛越したオジュウチョウサンですら、前年の中山大障害で先頭を走っていたドリームセーリングの大竹柵通過タイムを既に上回っているのである。
 戦前、アップトゥデイト陣営が「レースではハナを切る」と周囲に逃げ宣言をしていたのは石神の耳にも入っていた。当然アップトゥデイトの逃げには警戒していたが、ここまでの大逃げは想定していない。
 
 確かに一枚も二枚も実力が抜けた人気馬がいる時に、一か八かの大逃げで奇策を打つという光景は競馬において時折見られるものではある。オジュウチョウサンの復帰戦となった東京ハイジャンプでも、タマモプラネットが同じ戦法をとっていたのは記憶に新しい。
 しかし、だ。通常大逃げの奇襲は人気薄の穴馬が打って出る戦法である。自身へのマークが薄いことを逆手にとって、後方で人気馬たちが牽制しあっている内にセーフティリードを確保してしまい。首尾良く逃げ切ってしまえれば大金星、という戦法だ。
 言うまでもなく、アップトゥデイトは人気薄の穴馬では決してない。オジュウチョウサンにこそ離された2番人気だが、アップトゥデイト自身も3番人気以下を大きく離した圧倒的2番人気の馬なのである*2。そんな人気馬、しかも元々逃げ馬という訳でもなかった馬が、GI競走でここまでの大逃げを打つなど前代未聞と言って良い。
 そこにはアップトゥデイト陣営の決死の覚悟があった。

 

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*1:中山大障害コースは8の字を描くので襷コースでコーナーの内と外が入れ替わる。

*2:2番人気アップトゥデイト単勝6.3倍で、3番人気シンキングダンサーが17.1倍