新たな馬装の効果は初戦から発揮された。オジュウチョウサンはこのレース、スタートでは出遅れて最後方からのレースとなるも、最終直線で鋭い末脚を披露し、最終的には勝ち馬から3/4馬身差の惜しい2着という結果を出す。
この日のオジュウチョウサンは単勝オッズ101.7倍の11番人気。そんな馬が2着に突っ込んできたのだから競馬場にいた観客は驚いた。複勝ですら3250円の値がついたのだ。三連単に至っては1着3番人気、3着5番人気という結果にも関わらず113万という高額配当となった。
前走の大敗を思えば、まるで別馬かと思うほどの変わり身だった。この「馬具の変更による一変」という経験は、後にオジュウチョウサンの運命をさらに激変させることとなる。
ようやく能力を発揮しはじめたオジュウチョウサンは同月24日の中京競馬場で障害未勝利戦に出走し、ここでも3着と好走。そしてさらにその1月後の2月21日、東京競馬場4レース障害4歳以上未勝利に出走。障害4戦目である。
オジュウチョウサンはここでもスタート出遅れで最後方からの競馬を強いられるも、レース全体を使ってジリジリと位置を上げて、向こう正面の直線では先頭から4番手の位置につける。
3コーナーの途中からスパートをかけ、さらに順位を押し上げると最終直線半ばでは遂に先頭に立つ。そのまま残りの直線も押し切ると、ゴール板を通過した時には2着には3馬身半差をつけていた。
デビューから1年4ヶ月。待望の初勝利だった。
日本では毎年7、8000頭近くのサラブレッドが生産され、この内の4500頭前後がJRAに競走馬として登録される。この中で中央所属のまま1勝以上できるのはわずか1500頭弱である。正確にデータをとった訳では無いが、おそらくオジュウチョウサンの上げた初勝利は、同世代の競走馬の中でも最も遅いものであったろう。
長い長い暗闇のトンネルから、オジュウチョウサンはようやく抜け出したのだった。
その後、さらにオジュウチョウサンは1ヶ月後の中京競馬場3レース、障害4歳以上OPを勝利し連勝を飾る。ほんの2ヶ月前まで未勝利引退も当然だったことを考えれば、十分以上の成績である。
ただし、未勝利→OPと連勝こそしたものの、まだ厩舎の評価はそこまで高いものではなかった。この時点でオジュウチョウサンに対してかけられていた期待度は、せいぜい「重賞でも多少は勝負になるかも」という程度のものだった。
「成長が遅れた未完成な馬体」「レースへの集中力を欠く未熟なメンタル」「それでも連勝できる程の身体能力」この3つの事実が暗示するオジュウチョウサンの真価に関して、まだこの時点ではほとんど誰も認識できていなかった。
*こぼれ話*
この回では「チークピーシーズをつけたら馬が一変した」という筋書きで書いたが、これもそういう話にしておいた方がストーリーが作りやすいのと、後々の耳覆いの話に繋げやすいのでそう書いただけ。和田厩舎関係者が「チークピーシーズを付けたら走るようになった」と明言している資料は特に存在しない。実際のとこ何が理由なのかは実は不明。