ドラマチックなラストランで幕を降ろしたステイゴールドの現役生活だったが、彼がサンデーサイレンス代表産駒の一頭に数えられるのは、競走馬としてよりもむしろ引退後の種牡馬としての活躍による所が大きい。しかしながら、それも最初から順風満帆といったわけではない。むしろ種牡馬デビュー後数年間は決して恵まれた境遇とは言えなかった。
海外GIタイトルという最高の手土産を片手に種牡馬入りしたステイゴールドだが、種牡馬としてはそこまで期待されていたとは言い難い。この時点で父サンデーサイレンスの後継種牡馬としては既にフジキセキが大きな成功をおさめており、それ以外にも同じ血を引く数多くの種牡馬達が馬産界ではしのぎを削っている真っ最中だった。その中にはスペシャルウィークやアグネスタキオンといったステイゴールドより歳下の馬たちもいた。
以下にステイゴールドが種牡馬として活動を始めた2002年におけるサンデーサイレンス系種牡馬のおおよその種付け料*1と、種付け頭数とを列記する。
サンデーサイレンス 2500万 159頭
フジキセキ 600万 213頭
スペシャルウィーク 500万 211頭
アグネスタキオン 500万 199頭
ダンスインザダーク 300万 200頭
アドマイヤベガ 300万 176頭
ステイゴールド 150万 177頭
種付け料で見ても、ステイゴールドが他の馬に比べて大きく下回っていることが分かる。同時期にステイゴールドと同等かそれ以下の種付け料だったサンデーサイレンス系種牡馬は何頭かいるが、それらは既に産駒がデビューし、種牡馬としては期待はずれの成績しか出せていないことが判明済みの馬たち*2だった。当時ステイゴールドは、サンデーサイレンスの後継種牡馬争いの中で明らかに「末席」扱いだった。
地球上のほとんどの動物がそうであるように、馬の場合も極度の近親交配には虚弱児や障害児の出産リスクが付きまとう。故に、サラブレッドの配合を決める際には「いかに優秀な遺伝子を集めるか」と同時に「いかに同一遺伝子を散らすか」について考える必要がある。
サンデーサイレンスの後継種牡馬らの場合、当時の日本競馬界を席巻していた数多くのサンデーサイレンス産駒牝馬に種付けをする訳には当然いかない。さらに言えばサンデーサイレンスのさらに父であるヘイローの血を持つ牝馬も極力避ける必要がある。彼らにとって同じサンデーサイレンスの血を引く兄弟たちは、ヘイローの血を持たない繁殖牝馬を奪い合うライバルなのだ。
そもそも当のサンデーサイレンス自身がまだ当時現役種牡馬だったのである。勝ち上がりに6戦かかり、初の重賞勝利が6歳春というステイゴールドに、良血の高額繁殖牝馬が回ってくる余地はこの時点ではほとんど無かった。177頭という他のサンデーサイレンス系種牡馬と遜色ない種付け数は、格安ゆえの中小牧場からの人気という面が大きい。事実、この177頭の中にめぼしい良血牝馬はほとんど見当たらなかった。
ただし補足しておくと、上述の種付け料の額面に関しては多少込み入った経緯もある。先に述べた通り、ステイゴールドの種牡馬入りが決まりシンジケートが組まれたのはドバイ遠征直後のことで、この時点では香港遠征プランもまだ決まってはいなかった。その時点での本株価格から算出された種付け料の一般価格が150万だったのである*3。すなわち、この種付け料に関してはあくまで香港ヴァーズでのGI勝利を手に入れる前の時点での設定価格であり、ステイゴールドの種牡馬としての期待評価がそのまま正確に反映されたという訳ではないという点には多少注意が必要である。
事実として、引退まで一ヶ月を切った11月を過ぎても、話がまとまっていた種付け依頼はわずか3件という惨状だったのが、香港ヴァーズの翌日からは依頼の電話が事務局に殺到し、わずか1ヶ月で受け付けを打ち切らなくてはならないほどの申し込みが集まった。結論から言えば150万という種付け料は、香港ヴァーズ勝利前のステイゴールドにとっては高すぎで、香港ヴァーズ勝利後のステイゴールドにとっては安すぎたと言うことができるだろう。