オジュウチョウサン物語 第1章4「そして、掴んだ黄金」

 

目次 前話 次話

 

 

 ドバイシーマクラシックでの勝利によりステイゴールドの引退後の種牡馬入りが正式に決定し、総額4億5千万のシンジケート*1が組まれた。後にステイゴールドが見せた種牡馬としての活躍を思えば、この1勝が日本競馬界の未来を変えたと言っても過言ではない。残る目標はただ1つ、悲願のGI制覇だけだった。
 
 日本のファンだけでなく世界の競馬関係者に衝撃を与えたステイゴールドは、その後国内に戻るとまたいつものように惜しい敗戦を繰り返す。しかしこの年は秋初戦の京都大賞典(GII)で、最終的な成績こそ斜行による失格という不名誉なものだったが、前年に年間全勝を果たし年度代表馬の座に輝いたテイエムオペラオーを下して1着でゴール入線を果たしている。
 7歳という多くのサラブレッドの競走能力が下降線を描く歳でありながら、ステイゴールドは競走馬として充実の時を迎えていた。
 
 種牡馬入りも決まったステイゴールドの引退レースに選ばれたのは、これまで3年連続で出走していた有馬記念ではなく、国際GI競走である香港ヴァーズだった。国内では稀代のシルバーコレクターとしてある種「ネタ馬」的人気の高かったステイゴールドだが、国際的には「あのファンタスティックライトをドバイで破った馬」である。香港の競馬ファンからは単勝オッズ2.0倍の1番人気に支持された。このレースも含めこれまで20のGIレースに挑戦し続けてきたステイゴールドだったが、GIでの1番人気はこれが初めてだった。
 
 レースでは集団後方から道中を進めるステイゴールドに対して、4番人気のエクラーが向こう正面で先頭に立ち後方馬群を大きく引き離すという奇襲に打って出た。ステイゴールドはそれを追う形で3コーナー付近から加速を始め、最後の直線で馬群から抜け出して2番手に立つ。しかし残り1ハロンの時点で前を行くエクラーとはまだおよそ3、4馬身。絶望的な差だった。
(最後の最後まで2着か。お前らしいな)
 テレビの前で、日本の競馬ファンの多くが諦めと同時に不思議な感慨に包まれた。その瞬間だった。ステイゴールドが見る者の目を疑うとんでもない加速を始めたのだ。2馬身、1馬身、半馬身。エクラーとの差がみるみると詰まっていく。ステイゴールドがエクラーにわずかハナ差で先んじた瞬間、そこがゴールであった。
 
 2歳でデビューしたステイゴールドが走ったレースは全50戦。12度の2着と8度の3着、そして6度の勝利を経て、彼が引退レースでようやくたどり着いたのは、日本産・日本調教馬による史上初の海外GI制覇という快挙だった。この時ステイゴールドのゼッケンに記されていた彼を示す香港馬名こそが本章のタイトルにもある「黄金旅程」である。黄金へと至る長い長い彼の旅路が、今ここでようやくハッピーエンドを迎えたのだ。

 

目次 前話 次話

*1:平たく言えば種牡馬の共同オーナー制度。複数のシンジケート構成員が費用を出し合い種牡馬の所有権を共有する。一般的には60株に分割され、構成員は1株ごとに毎年1頭分の種付け件を得る。