2011年4月、日本有数の馬産地である北海道日高の坂東牧場にて、後にオジュウチョウサンと名付けられる一頭のステイゴールド産駒が産声を上げる。その馬の母シャドウシルエットは牧場の持ち馬ではなく馬主からの預託馬であり、ステイゴールドの種を付けたのも馬主からの依頼であった。もちろん、産まれた仔馬もその馬主に買い取られることが既に決まっていた。
馬主の名を長山尚義という。
突然だが、競走馬の馬主になるために必要な金額がどの程度かご存知だろうか?
2019年現在、中央競馬における競走馬の平均価格は約900万円とされている。もちろん、GI馬を母に持つような良血馬や、兄姉に活躍馬が既にいる馬の場合であればその価格は数千万円に跳ね上がり、1億を軽く超える馬も毎年数多く世に出ている。当然ながら、普通のサラリーマンやOLがおいそれと手が出せるような金額ではない。
さらに言えば馬は生き物であるのだから、当然買っておしまいということは無い。厩舎への預託料は1ヶ月あたり6、70万円は必要となる。それだけの金額を何年にもわたって払い続けられるだけの継続的な収入源を有していることが馬主資格審査では厳格に問われる*1。
仮に何年もかけて馬一頭を購入できるだけの貯金が用意できたとしても、一般人が競走馬のオーナーとなるのはほぼ不可能なのだ。
ただし、一般人が馬主となれる例外が一つだけ存在する。それが「クラブ馬」「一口馬主」制度である。
十分な資本を持つ競馬クラブが法人格として競走馬を購入し、その馬の所有権をクラブに所属する会員らが複数人で分け合うという共同出資システムだ*2。その場合、馬主資格は競馬クラブ自体が法人格として有していればよく、個々のクラブ会員らが個人で馬主資格を得る必要は無い。
仮に3000万円のクラブ競走馬がいたとしても、馬主権利を100口で分け合えば1人あたりの出資金額は30万円。預託料も月7000円程度という一般的な社会人にとっても極めて現実的な額に収まる。
さてそれが一体何だというのかと言えば、実は前章の主人公だったステイゴールドがそのクラブ馬なのである。
ステイゴールドを生産したのは、北海道白老町にある白老ファームだ。日本最大の競馬産業グループである社台グループの中でも、最も古株牧場の一つである。
ステイゴールドは外部に売却されることなく、そのまま同グループの競馬クラブである社台レースホースにて所有され、1口95万円、計40口で会員らに対し出資募集がなされた。単純に言えば、現役時代のステイゴールドには40人の「馬主」がいる訳である*3。
そして、その40人の一口馬主の中に、後にオジュウチョウサンの馬主となる長山尚義が名を連ねている。
長山が一口馬主に手を出し始めたのは1985年のことである。当時人気の深夜ワイドショー『11PM』で、司会者の大橋巨泉が「少額で馬主もどきができる」と紹介していたのがキッカケだった。
大のギャンブル好きで学生時代から5万円もする血統理論の専門書を購入し(大卒初任給が10万程度の時代である)、さらには隠れて馬券まで買っていた長山は、迷うことなく社台の競馬クラブに電話をかけた。ここから現在も続く長山の馬主生活が始まる。
後年には会社*4を立ち上げ社長職に就く長山も、当時はまだ30代。一介のサラリーマンに過ぎなかった。そんな長山にとって競走馬への出資はいかに一口馬主と言えども大きな買い物だった。一口馬主を始めて2年目に1口65万円の馬に出資する際には、クラブに対し「6万5000円の10回払いにしてくれないか」と頼み込んだという。
思いつきで軽々に手を出せるものではないのだから、出資馬を決める際には吟味に吟味を重ねた。学生時代と同じように血統理論の書籍を買い求め、目を皿のようにして読み込んだという。
そんな長山の情熱は功を奏し、一口馬主としての成功はすぐにやってきた。上記の2年目に出資した「1口65万円の馬」こそが、阪神3歳ステークスとマイルチャンピオンシップの2つのGIタイトルを獲得し、3歳(旧表記4歳)夏の函館記念(GIII)では当時の芝2000mにおける日本レコードタイムを記録したサッカーボーイである。
*こぼれ話*
長山オーナーが日刊スポーツの記事中で一口馬主初年度(85年)について「当時は30代でサラリーマン」と語っているので、本書でもその記述を踏襲しているが、実際には氏の会社であるエース事務機の沿革には1985年の2月に創業と書いてあるので、一口馬主に手を出しはじめたちょうどその年に社長になっていたはず。まあ人間の思い出語りなんてそんなもんだ。