オジュウチョウサン物語 その6 死闘、第140回中山大障害(後編)

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オジュウチョウサンにとって、奇襲大逃げは前走で既に粉砕した戦法ではある。しかし今回の相手はその時とは格が1つも2つも上のアップトゥデイトだ。破滅的なラップを刻みながら逃げるアップトゥデイトに対し、いつでも追い出しができるようオジュウチョウサンもまた後続集団の先頭に立ち、実質的に馬群を引っ張る立場に躍り出る。
途中でバテれば惨敗必至のアップトゥデイトは元より、オジュウチョウサンも自分から動いて捕まえに行く立場を選んだ以上、20馬身を超える差を自分一人で埋めなくてはならないのだ。追い出しのタイミングとペース配分を間違えれば、一瞬で脚を無くして後続に飲まれかねない。
アップトゥデイトが仕掛け、オジュウチョウサンが応える形になったこのレース、両馬ともに一歩間違えれば自滅覚悟。もしも2頭が揃って着外へと飛ぼうものなら、その時点で馬連万馬券確実。三連単に至っては最低でも30万馬券を超える。とんでもない状況に突入したレースに対し、スタンドから上がる声は歓声か、はたまた悲鳴か。

ペースを緩める気配の無いアップトゥデイトだが、オジュウチョウサンもまた道中ジリジリと少しずつ追い上げを図る。向こう正面の障害地点までで差を10馬身程度にまで詰めると、最終3コーナーのバンケットを登りきった直後、遂にオジュウチョウサンがスパートをかける。差が一気に詰まり始め、4コーナー手前の最終障害を飛越した時にはその差はおよそ5、6馬身。
限界ギリギリのペースで逃げ続けたアップトゥデイトが苦しいことは誰の目にも明らかだ。普段は高く美しく、「雄大」という言葉が似合うアップトゥデイトの飛越が、いつのまにかハードルを超えるギリギリの高さにまで下がっている。
ダートコースを横切り最後の直線へと向かう2頭に実況山本直アナウンサーが叫ぶ。
「前・王者か! 現・王者か!?」
約3馬身差で直線入り口に2頭が立てば、最後の追い比べが始まる。

昨年の中山グランドジャンプから前走の東京ハイジャンプまでの丸2年間、オジュウチョウサンはいつでも最後の直線余裕で前の馬をぶち抜いて完勝を続けてきた。捕まえられない馬などいなかった。しかし今日ばかりは前を行く前王者アップトゥデイトとの差が簡単には詰まらない。必死で鞭を振るう鞍上石神深一
アップトゥデイトが2年半前にレコードタイムで同じ直線を駆け抜けた時、自分を追う者など誰一人いなかった。一完歩ごとに後ろを置き去りに差を広げていたはずが、今は一歳下の現王者オジュウチョウサンが猛然と自分を追い詰める。まるで祈るかのように手綱をしごく鞍上林満明
短い中山の直線が2頭と2人だけの世界となる。急坂を登る2頭の差が2馬身、1馬身と縮まり、遂に馬体が重なる。2頭が揃ってゴール板の前を駆け抜けた瞬間、観客の目に映っていたのは、アップトゥデイトに僅か半馬身先んじたオジュウチョウサンの姿であった。

勝敗は決した。スタンドからの割れるような歓声が響く。変則的なマッチレースを半馬身0.1秒差で制したのは、現王者オジュウチョウサンだった。2頭の後ろ、3着ルペールノエルまでは20馬身弱。タイムは4分36秒1。掲示板に表示されたタイムの上に赤く光るレコードの文字に、今一度スタンドからどよめきの声が上がる。
1991年のシンボリモントルーが保持していたレコードタイムを1秒1上回るものである。当時シンボリモントルーの背負っていた斤量は59kg。別定戦から定量戦に変更され63kgを背負わされる現在の中山大障害では、もう破られることがないと思われていた記録だった。

アップトゥデイトの騎手林満明は、コースから引き上げるさなか、馬上で「あれしか無かったんだ…!」と口にしたと言う。レース後のインタビューでは「時代を間違えた」と記者に告げた。
アップトゥデイトのJG1戦績はこれで5戦して2勝2着2回3着1回。3年に渡り一度も馬券内を外さないという驚異的な成績だ。しかも3度の敗戦はその全てがオジュウチョウサン相手。単純計算すれば、オジュウチョウサンさえいなければ40年ぶりの中山大障害コース4勝馬の栄光と賞賛を浴びていたのはこの馬の方だったはずなのだ。まさに「時代を間違えた」としか言いようが無いだろう。
しかし、だ。この歴史的名レースを生んだのが、オジュウチョウサンに勝つことだけを考えた前王者捨て身の戦法にあったのは誰の目からも明らかだ。レース前は脇役、引き立て役に過ぎなかったアップトゥデイトだが、レースが終わった後に同じように思う観客など皆無であった。もはやどちらが勝ち馬かなど関係無い。全てを出し尽く死闘を演じた2頭の王者に、スタンドの観客から惜しみない賞賛の拍手が送られた。


中山大障害