「初心者なんてね、予想なんて邪なこと考えんで、気に入った馬の単勝を買っとりゃええんですよ」
2014年の3月、卒業も転居先も決まり、何となく新しい趣味の一つでも始めようかと思っていた私は、知り合いの薦めもあって競馬を見始めていた。上記の言葉は、学生時代の恩師の一人が、私が競馬に手を出し始めたことを知って言った言葉だ。
競馬ファンなら誰しもがそうであるのではないかと思うが、競馬を見始めた年の最初のクラシック世代というのは、どこか特別な思い入れがある。私にとっては14年クラシック世代がそれに当たる。
最後方から直線だけで全頭ぶち抜いたハープスターの桜花賞。
大種牡馬フジキセキ、ラストクロップからのクラシック初勝利、イスラボニータの皐月賞。
圧倒的人気のハープスターに対し正攻法で番狂わせを演じてみせたヌーヴォレコルトのオークス。
引退間近だった橋口調教師の悲願成就、ワンアンドオンリーの日本ダービー。
驚異のレースレコードを叩き出した栗毛尾花トーホウジャッカルの菊花賞。
どのレースも繰り返し繰り返し動画を見たもので、ゴールの瞬間は今でも鮮明に思い出せる。特にダービー馬ワンアンドオンリーは、橋口調教師のエピソードを聞いて一番応援していた馬だったので、感激もひとしおだった。前夜に行きつけの居酒屋で常連客相手に「ワンアンドオンリーとイスラボニータ」と予想をぶっていたので、次に店に行った時には「先生、先生」と、20も30も年上のおじさん連中から予想を請われるようになってしまったのには少し困ったものだったが、残念ながら馬単を一点で言い当てたのは後にも先にもこの時だけである。
一生に一度しか出走できない「クラシック競走」を勝つということは、言うまでもなくその世代の頂点に輝いたことを意味する。日本競馬では、毎年約8000頭のサラブレットが競走馬を目指して生産される。その8000頭の中で世代の頂点を極めたのが先に挙げた5頭の馬達なのだ。
が、しかし、クラシック勝利以降に彼らが歩んだ競走馬生は、はっきり言ってしまえば決して明るいものではなかった。
桜花賞馬ハープスターは3歳秋にフランス凱旋門賞に挑戦し6着で終わると、遠征以降は調子を崩したまま復調できず、4歳春にドバイ遠征から帰国すると靭帯炎を発症し引退した。
オークス馬ヌーヴォレコルトは明け4歳に中山記念を牡馬相手に快勝し、すわウオッカ、ブエナビスタ、ジェンティルドンナに続く最強牝馬後継者かと思われたのもつかの間、以降は惜しい競馬も何度かあれど、結局国内では一勝もできず6歳春に引退した。
菊花賞馬トーホウジャッカルは、元々の体質の弱さからまともにレースに使えず、菊花賞以降の丸々2年間通して出走は6走のみ。一度も馬券に絡めぬままに、5歳冬の金鯱賞を最後に屈腱炎を理由に引退した。
皐月賞馬イスラボニータはこれまでに14走し、7度の2着3着、勝利は6歳春のマイラーズCのみという、どうにも勝ちきれない善戦マンとしてターフに残り続けた。
そしてダービー馬ワンアンドオンリー。ダービー馬としての誇りも意地もかなぐり捨てて丸々3年間出走すれば負け続け、4歳春のドバイシーマクラシック3着を最後に馬券に絡むことすらできないまま、先日のJCを最後に引退した。
2011年生まれの14クラシック世代、所謂ワンアンドオンリー世代は、当のクラシック馬達の不調とは裏腹に、決して弱い世代ではない。
アジアにおけるマイル戦と2000mの2階級を完全制覇したG16勝馬モーリス。
海外2カ国でのG1勝利を成し遂げた狂気の逃げ馬エイシンヒカリ。
牝馬ながらに王道路線で牡馬たちを捻じ伏せたショウナンパンドラとマリアライト。
史上3頭目のスプリンターズS連覇馬、レッドファルクス。
今なお障害重賞連勝記録を更新し続けるハードル界の絶対王者オジュウチョウサン。
豪州移籍し遠く海の向こうでG12勝を上げたトーセンスターダム。
むしろ古馬混合G1勝利数は歴代でも最多クラスであり、個性派揃いで異色の最強世代とも言える。
そして、そんな個性的なスター達が独自路線で活躍を続ければ続けるほどに、クラシック馬達が一度は手にしたはずの「世代の頂点」という栄光は、どんどんと色褪せていった。
しかし、だ。負け続けながらも愚直に走り続ける彼らの姿に、私はいつしか複雑で奇妙な愛着を持つようになっていた。「どうせ勝てない」そう思いながらもワンアンドオンリーを馬券の買い目に入れ続けた。「今度こそ」そう思いながらイスラボニータを軸にし続けた。紙屑になった応援馬券が財布の中に増え続ける。それでも私は彼らを応援することをやめなかった。
そして、それはきっと私だけではない。
不思議な話だが、負け続けてファンを失っていった彼らだったが、それでも走り続けることで、今度は逆にファンを増やしていったように思う。某大型掲示板サイトで「ワンアンドオンリーを諦めない会」という名のスレッドを発見した時は、吹き出しながらも妙に胸が熱くなったものだ。
だから、私にとって思い出のクラシック馬たちが負け続ける様を見せられた3年間だったが、決して悪い3年間では無かった。強い馬の勝利に沸く喜びこそが競馬の醍醐味ではあるだろう。しかしそれと同時に、負け続ける馬をそれでも応援していられる幸せを、私は彼らから教えてもらったのだ。彼らが走り続けたから、私はそれを知ることができたのだ。
どんなことにでも終わりはある。14年クラシック馬で最後に残ったダービー馬と皐月賞馬の2頭の内、ダービー馬ワンアンドオンリーも、先日のJCの後に引退が発表された。
そして、今週土曜、クリスマスイブ前日の12月23日に、皐月賞馬イスラボニータも6歳の終わりにとうとう引退レースを迎える。舞台は芝1400m阪神カップだ。
今年の頭に、日経新春杯に向けて調整を行っていたはずのトーホウジャッカルが屈腱炎発症による引退を発表した時、私はひとつ決めたことがあった。
「イスラボニータとワンアンドオンリーがいなくなったら、もう競馬初心者を名乗るのは辞めにしよう」
競馬歴4年目というのは、初心者を名乗るに、もしくは名乗るのをやめるのにふさわしいのかどうか、自分ではよく分からない。私の周囲には競馬歴の10年20年を越える先輩らがゴロゴロしているので、私自身はいつまでたっても新参者の気分のままだった。
しかし、1つの世代がいなくなったという事は、それは1つの時代が終わった事を意味するのであろう。私の「初心者」時代は、多分この辺りで終わりなのだ。(もちろん14年クラシック出走組に関しては、オーストラリアに渡ったトーセンスターダムはじめ、まだまだ何頭もいるのではあるが)
今週末は、競馬初心者としての私にとっての最後のレースである。
さて、馬券はどうするか? いや、そんなのはとうに決まっている。
初心者なんてのは、予想なんて邪なこと考えず、気に入った馬の単勝を買っていれば良いのである。
追記:この日、イスラボニータは阪神カップを優勝した。タイムはコースレコード。イスラボニータの名は阪神芝1400mのレースにて刻まれることとなった。