ガンダム Gのレコンギスタ 第一話感想その3

第一話はこれでラスト

【さあロボットアニメの始まりだ!】

 ベルリがレクテンに搭乗し「第一挙動」の合図と共に両手を動かした直後、遂に本作の看板とも言えるガンダムGセルフ」が姿を現す。そしてここから状況はロボットアニメの花形である戦闘シーンへと移行する。
 人間ドラマばかりに注目される事の多い富野アニメだが、ロボットアニメ一筋でウン十年仕事をしてきた実績は伊達では無く、こと巨大ロボット同士の戦闘シーンを描かせたらこの監督の右に出る物はそうはいない(と個人的には思っている富野信者)。今一話でもその手腕は如何なく発揮されるが、今回は戦闘演出についてはひとまずおいておいて、まずはロボットの「デザイン」について本編描写を加味しつつ注目してみよう。

【カッコ悪いMSがカッコ良い】

 Gセルフ含め、GレコのMSが初めて発表された時(というか現時点でも)、どちらかと言えば不評の声が大きく、中でも今話でベルリの操るレクテンは「ダサい!」「カッコ悪い!」という容赦無い否定の格好の的になった感がある。(そんなレクテンが第一話で最も活躍するMSになるとは誰が予想しただろうか)
 そもそもレクテンの何が「カッコ悪い」のかを改めて考えてみると、恐らく大きく分けて2点に集約される。
 まずは特徴的な顔面ディスプレイ。これには詳しい説明は不要だろう。これを見て一目で「カッコ良い!」と思える人は、そうはおるまい。
 次に言えるのは全体的なプロポーション。レクテンの胴長短足になで肩という典型的な日本人体型は、古今東西のロボットアニメの中でもかなり異端と言える。それに加えて大きな頭部は、顔面ディスプレイと相まってまるで出来の悪い被り物を被っているかのようだ。
 確かにこれらの特徴を備えたレクテンは途轍もなく「カッコ悪い」。が、しかしながら当たり前の話として、それらは明らかに意図的な「カッコ悪さ」であり、言い換えればレクテンに強烈な個性を与えている。
 今一話でレクテンの顔面ディスプレイは実にメカニックとして機能的に演出されている。起動する事でディスプレイに信号が表れ、電源が落ちると共にディスプレイも真っ暗になる。

 また、有線カメラを飛ばす索敵モードでは何かデータ処理をしているような信号が表示され、一方戦闘開始となれば防護の為のシャッターが閉められる。

 設定上は作業用MSであるので、索敵モードと言えど実際に頭部でデータ処理をしている訳ではないだろうから、これはあくまで「今私はこういう仕事をしていますよ」という周囲へのアピール用と考えるべきろう。シャッターにしても、実際にあれでディスプレイが守られているとはちょっと思えないので、こちらも本来は溶接などの物理的に危険な仕事をしている事を周囲に分かりやすく伝えるための視覚アピールなのではないかと思う。
 ともかく、行動パターンに応じてクルクルと変化するレクテンの「表情」は見ていて非常に楽しく、顔面ディスプレイが絵的にとても効果的に演出されている事が分かるだろう。
 また全体のプロポーションに関しても、力強さを一切感じさせない事でむしろレクテンが非戦闘メカである事が一目で印象づけられるようになっている。そんな見るからに非戦闘用のロボットに乗っている主人公らが、機転とチームワークでもって敵との力関係を逆転させるというシチュエーションが最高にカッコ良い。この「カッコ良さ」はレクテンが最高に「ダサい」「カッコ悪い」からこそ成立しているのだ。
 アニメ用のデザインなのだから、その真価はアニメの中で動いてこそ如実に発揮される。そんな当たり前の事を、今話でレクテンは我々に存分に見せつけてくれたのではないだろうか。

Gセルフ

 さて、主人公が乗っていたとは言え端役メカのレクテンにここまで言及しておいて、主役ロボットのGセルフについて何も語らずにいる訳にはいくまい。
 (例によって例の如く)賛否両論の多いGセルフのメカデザインだが、中でも最大の特徴はその独特の角の配置だ。Gセルフの側頭部から斜め前方へと突き出した大きめの角は これまでガンダムで定番だったV字のアンテナとは一線を画す。主役機としてはターンエーに次ぐ異端的デザインと言えるだろう。
(人によってはエクシアの方を上位に挙げるか?)
 この角のデザインに違和感持つ人は多いかも知れないが、実はこの角、アニメ内で非常に上手く機能している事が分かる。例えば冒頭で追われる立場にあるGセルフは角が下方に向いてどこか弱々しさを感じさせている。


 それに対して下の絵はレクテンに乗るベルリの前に突如現れた際のGセルフだ。この角度で見上げる構図だと、角が小鬼のようなのシルエットを描いていて、パッと見悪役的にすら見える。「突然現れた謎のモビルスーツ」としての不気味さの演出に寄与している訳だ。
 また一方、横顔を向くと角は奇麗に視線の方向を向き、どこか「行くぞ!」とでも言うよな好戦的な意思表示に見えて来る。

 つまり、これまでの従来型のガンダムにおける角が、あくまで外付けの装飾品であったのに対して、Gセルフにおける角というのは、顔と一体化した表情の一部であると言えるのだ。
 上記のレクテンと言いGセルフと言い、「表情の変化」が実に興味深い所だが、そう考えると冒頭シーンにて出てきたカットシーにしろグリモアにしろ、それぞれが非常に特徴的な形状の頭部をしている事に改めて気付く。GレコのMSは若干デザインに統一感が感じられないきらいがあるが、ひょっとしたら「メカの頭部を如何に個性的に演出するか」というコンセプトが存在するのかもしれない。
 Gセルフを含め、GレコのMSのデザインに不満のある人も多いだろうが、折角の「ロボットアニメ」なのだから、数枚の静止した設定画だけで判断せずに、こういった点に注目してみるとなかなか面白いのではないだろうか。

【古臭い? 懐かしい?】

 Gレコについて「古臭い」という意見をTwitterやまとめブログサイトなどで頻繁に見た。それが具体的に何を指して言っているのかは人によって違うだろうし、個人的な意見を言わせてもらえば、Gレコに「古臭さ」めいたものはそこまで感じなかったというのが正直な所だ。言い方が悪ければ「懐かしさ」でも良い。
 ただその上で、いくつかのシーンで(まず間違い無く意図的に)極めて古典的な演出技法が使われていた事は確かだ。
 例えばベルリのレクテンがGセルフに取り付いたこのシーンだ。

 MSの戦闘中、緊迫感の流れるシーンで独特の柄の背景に切り替わる。この演出に対してファーストガンダムを思い出した人も多いのではないだろうか。ファーストガンダムではこれと同様の演出が要所要所で使用されている。

 もう1つ目立ったのは今作のメインヒロインであるアイーダの隣を主人公のベルリ君が横切るシーン。

 主人公とヒロインがスレ違う一瞬だけ時間がゆっくりと流れ、ちょっとロマンチックなBGMがなり、キラキラとした画面効果がかけられる。今時見る事もほとんど無いであろう余りにベタベタな「ボーイ・ミーツ・ガール」の演出だ。
 上述したように、これらの「古臭い」演出は十中八九意図的なものだ。そもそも富野監督自身こういった演出は排除する傾向があったはずで、時代の新しい富野アニメ程、こうした時間操作や背景効果、ワンポイントBGMなどの演出は見られなくなっていく。それを今更復活させたのだから、それはどう考えても「古臭い」と知りながら意図的に演出しているに決まっている。しかし何の為に?
 ここで私が思い出したのは、インタビュー専門雑誌「本人」における2009年の明石家さんまロングインタビューの一節だ。

だからもう、いっそオーソドックスに、紳助と中居でやったように、和室で三時間か四時間、ただ喋るだけの番組のほうが、今のテレビからすると新しく感じるんじゃないですか。この間やってみてそう思ったんですよ。「あ! これ一番古い形なのに一番新しく見えてるな」と。

 このインタビューが行われた2009年は、前年に明石家さんまを中心に据えたフジテレビの27時間テレビが大成功を収めたのが記憶に新しい時期だった。中でも深夜の「さんま鶴瓶大竹しのぶ3人トーク」とそれに続く「さんまたけし2人トーク」は各所から大絶賛され、この年も同じく26時間テレビの深夜帯で「さんま紳助中居3人トーク」が大いに盛り上がった。
 おそらく、Gレコも同様の事をやろうとしている。Gレコの「古臭い」演出は、年寄りが時代遅れと気付かずにやっている訳でもなければ、オールドファンのノスタルジー目当てな訳でも無い。心の底から本気で「これが今の子供達にとっても有効なはずだ」と思って果敢に挑戦しているのだ。
 それが正しい判断なのかどうかは正直分からない。ただ私個人としてはその意図を知りながら「こんな古臭い演出、今の子供達にはウケないよ」と訳知り顔で言うような大人の真似はしたくないな、と、そう思ってしまうのだ。

【ラストシーンの本気】

 書いても書いてもキリが無いので、大体この辺りで第一話に関してはキリをつけておこうと思う。実はこれだけ書いてもまだまだ言及したりないシーンが山程ある。そのくらいGレコ第一話はディテールの魅力に溢れているのだ。
 こんなアニメをリアルタイムで見れている事に、心の底から幸福だと感じる。熱に浮かされてるだけかも知れないが、割と本気で「これマジで富野最高傑作かもしれない」と思ってしまっている自分がいる。
 最後に、もう1シーンについてだけ触れておく。
 この第一話の最後の最後において描かれたのは、ベルリがGセルフ(=「ガンダム」)に乗り込み、軌道エレベーターに乗って成層圏を脱しながら上昇するシーンだ。


 今作の主人公と主役ロボットと中心的舞台装置が勢揃いしたこのシーンを第一話のラストシーンに選んだ訳だ。
 それを王道と言うかベタと言うかはともかく、このラストシーンからは「この『Gのレコンギスタ』を、異端児でも懐古作品でもなんでもなく、新時代のガンダムのスタンダードにしてやる!」という作り手達の「本気」が伝わってこないだろうか。少なくとも私にはそう感じられた。

ハイ! という訳で第一話はこの辺で!
この辺でって言うけど流石に書き過ぎた。このペースで週一は絶対もたないので、2話からはもっと短くサクサク書くようにする予定。
 Gレコが成功するかどうかは正直分からないし、自信をもって「絶対ヒットする!」と断言する事はできないんだけど(というか既にTwitterで否定的意見やまほど見て心折れそうになってる)、そうなって欲しいなとは心の底から思う。
 がんばれ富野監督! がんばれスタッフ一同! がんばれGレコ! そして俺!
という訳で次回に続く。