オジュウチョウサン物語 第2章2「長山尚義という男(その2)」

 

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 馬主業とはシビアで残酷なものである。
 どれだけ良血の高額馬でも良い成績を残せるとは限らない。生涯未勝利で引退はもとより、少しでもレース賞金が返ってこればまだ良い方で、中には競走馬としてデビューすらできずに終わる馬もざらにいる。十年二十年と出資し続けても一頭の重賞馬にも出会えないのが、普通の一口馬主なのである。
 
 であるからして、長山が一口馬主2年目でGI馬を引き当てたという事実は、長山本人の並々ならぬ熱意と努力を加味したとしても幸運と言うべきことであった。当時長山は周囲の人間から「こんなに走る馬とはもう出会えないぞ」とよく言われたという。
 だがしかし、その後も長山は次々とGI馬を引き当てる。手当たり次第に良血馬に出資している訳ではない。「これは」という馬以外には出資せず、多くとも年3頭程度だという。そんな中で長山がこれまでに出資した馬の中からは9頭のGI馬が誕生し、トータルのGI勝利数は23に上る。その中にはステイゴールドに加え、ステイゴールド産駒の最高傑作、三冠馬オルフェーヴルまでもが含まれている。
 
 長山の名前はいつしか社台グループの総帥、吉田一家の面々に知られるまでとなる。こんなエピソードがある。
 吉田家の次男にしてノーザンファーム社台スタリオンステーションの代表を務める吉田勝己が、ある年の牧場見学ツアーにて、じっと馬を見つめて佇む長山の姿を見つけた。その視線の先にいたのは、GIを6勝したブエナビスタを産んだ名牝ビワハイジと、日本近代競馬の至宝ディープインパクトとの間に生まれた仔*1だった。セリ市に出せば2億の値がつく可能性まである超良血馬である。
 
「狙ってるんですか?」
 
 吉田勝己は長山に近づいて声をかける。しかし長山から返ってきたのは予想外の答えだった。
 
「そっちじゃありません。後ろの馬です」
 
 長山が見ていたのは同じくディープインパクトを父に持つ別の牝馬だった。
 この馬も母はイギリスの2歳GIを制しているのだから良血には違いなかったが、1歳上の全姉が母の初年度産駒であったためその繁殖能力に関してはこの時点では未確定だった。仮に価格差を考えずにどちらの馬に出資したいかと問われれば、ほとんどの者はビワハイジの仔を選ぶであろう。
 しかし長山は結局この馬に自身の家族の分まで含めて4口分出資する。この馬がドナブリーニの2009。後に牝馬三冠を達成し、ジャパンカップ連覇を果たす最強牝馬ジェンティルドンナである。
 
 長山は現在でも毎年クラブ馬カタログを入手するとホテルに篭りきりになり、最低でも一週間かけて出資候補を選定し、クラブの行う牧場ツアーにも参加し必ず実馬を見て決めるという。
 何故そんなに走る馬が分かるのか? とある新聞のインタビュー記事*2で、長山は記者にこう答えている。
 
「走る馬には顔に『私は走ります』って書いてある。これ以上は企業秘密」
 
 吉田一家からも一目置かれる存在となった長山は、90年代末頃に個人として馬主資格を取得し、満を持して本格的に馬主業に参入する。流石に一口馬主のようにGI馬を連発させるようなことまでは無かったが、2、3年に一頭ずつというわずかな所有馬の中から2007年に毎日王冠(GII)を勝利するチョウサンを輩出する。4頭目の所有馬が重賞を制したのだから、個人馬主としては十分以上の成績である。
 
 チョウサンという名は、長山自身の学生時代からのあだ名である。自身の名を付けた馬が初めての重賞勝利をもたらしてくれたことに感激した長山は、その後「チョウサン」を冠名に用い、所有馬にはすべて「○○チョウサン」と名前を付けている。チョウサン自身は残念ながら2008年に調教中の骨折でこの世を去っているが、その弔いの意味もあってか、2012年に馬主業に関しても法人化を行った際には、会社名にも「株式会社チョウサン」と同馬の名を長山はつけている。
 オジュウチョウサンはそんな長山にとって16頭目の所有馬であり、チョウサンの名を持つ12頭目の競走馬である。

 

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*こぼれ話*

吉田勝巳氏とジェンティルドンナのエピソードは『優駿』誌上の杉本清氏との対談で長山オーナーの口から語られた内容を勝巳氏視点で書き直したもの。結構自慢話っぽく語られた内容なので、実際に勝巳氏の視点からしても本当にこういう話で良いのかはちょっと怪しい気はする。