目次へ
和田正一郎は美浦所属の調教師である。
正一郎氏の父、和田正道氏はこれまでに重賞馬9頭を送り出し、調教師リーディングにおいても上位常連。2004年にはJRA優秀調教師賞が送られている。G1勝利こそ無いものの、安定して勝ち星を挙げる堅実な厩舎として高い評価を得ていた。誇りをもって仕事をするそんな父正道の姿を見て育った息子正一郎は、自然と自身も調教師への道を歩み、2009年3月に調教師免許を取得すると、同年5月に異例のスピード開業。当時34歳、現役では最年少調教師であった。
初年度こそ0勝という結果に終わった和田正一郎厩舎だが、2年目以降は安定して毎年2桁勝利を挙げるようになる。しかしながら開業7年経っても未だに重賞馬を送り出すことは叶わぬままでいた。
そんな和田正一郎厩舎のもとに2014年の暮れに、一頭の競走馬が入厩した。
名をオジュウチョウサンと言う。
オジュウチョウサン。父は気性難な強豪馬を輩出することに定評のある大種牡馬、黄金旅程ステイゴールド。母は現役未出走のシャドウシルエット。毋父シンボリクリスエス、母母父ミルジョージという、スタミナに期待が持てること請け合いな血統背景を持つ。兄弟には全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を8番人気の穴馬として勝利したケイアイチョウサンがいる。
馬主は株式会社チョウサン。以前は個人オーナーだった長山尚義氏が2012年に法人化した会社であり、実質的には個人オーナーと言って良い。馬名の由来は「家族名+冠名」とされているが、オジュウは実際の名前でなく、オーナーである長山氏の次男が幼少期に「俺」と言おうとして上手く発音できず「オジュウ」と言っていたのが由来と言う。ちなみに冠名であるチョウサンは長山オーナーの昔からのあだ名とのこと。
この長山オーナー、1999年から馬主業を始め、個人馬主としてはそこそこの成績を収めているが、そこまで目立った存在では決して無かった。しかし一方で、一口馬主としては知る人ぞ知る「当たり」馬主であった。
1985年にテレビ番組で「少額で馬主になれる」という宣伝を見るや否やサラブレットクラブの会員に申し込み、初年度からサッカーボーイを引き当てると、以降は年3、4頭という絞った頭数にも関わらず、その中からバブルガムフェロー、ダンスインザダーク、ステイゴールド、レーヴディソール、オルフェーヴル、ジェンティルドンナと、錚々たる面々に出資している。毎年クラブ馬カタログを入手するとホテルに篭りきりになり、一週間かけて出資馬を吟味する本気ぶりだと言う。
それら出資馬の中でも、最初の大当たりであるサッカーボーイと、その血縁に当たるステイゴールド、オルフェーヴルには並々ならぬ思い入れがあるようで、個人馬主開業以降の所有馬の内、半数以上をこの3頭の産駒が占めている。オジュウチョウサンもその中の一頭だった。
2011年に日高の坂東牧場で生まれたオジュウチョウサンが競走馬としてデビューしたのは、同馬が和田厩舎に入厩する2014年末から遡ること1年前以上前、2013年10月のことだった。当時の所属は同じく美浦の小笠倫弘厩舎。東京大学文学部を卒業という異例の経歴を持つ高学歴調教師の厩舎である。
当時、父ステイゴールドは、3冠馬オルフェーヴル、2冠馬ゴールドシップ、天皇賞春連覇馬フェノーメノといった名馬を次々と輩出した直後で、種牡馬としての名声は絶頂期を迎えていた。また本馬の全兄であるケイアイチョウサンが同年春にラジオNIKKEI賞で長山オーナーに久方ぶりの重賞勝利をプレゼントしていたことから、オジュウチョウサンにもそれなりの期待がかかっていた。
しかしながらそんな期待とは裏腹に、オジュウチョウサンはデビュー後、良い所の全くないまま新馬、未勝利と2連敗を喫する。その後は体調を崩したか脚部不安か、詳細は定かではないがオジュウチョウサンは丸々1年間ターフから姿を消す。ようやくレースに出れるようになった頃にはもう3歳未勝利戦は終了後。オジュウチョウサンがまともに出走できるレースは既に無くなっていたのである。この時「2走惨敗で1年休養明けの馬を500万下で走らせても……」と考えた陣営は平地を諦め障害転向を選択する。これが運命の分かれ道となる。
そして苦肉の策で出走した障害デビューの未勝利戦。14頭立て14番人気という戦前の人気通り、結果はドンケツもドンケツ。ブービーから9秒近く離された大差最下位という惨憺たるものだった。デビューからここまでの成績は、新馬11着→未勝利8着→障害未勝利14着。この時点ではオジュウチョウサンの競走馬としての未来は真っ暗と言って良いものだった。
この敗戦を最後にオジュウチョウサンは小笠厩舎を去ることとなる。この時、小笠調教師と長山オーナーとの間でどういった話し合いが持たれたかは定かではない。しかしながら、オジュウチョウサン以外にも2頭の「チョウサン」を名に持つ馬が時を同じくして小笠厩舎の所属を外れ、以降小笠厩舎に長山オーナーの馬が預託されることが無くなったことだけは確かな事実として記録されている。
とにもかくにも以上の経緯で和田正一郎厩舎へとやってきたオジュウチョウサンは、明けて4歳、転厩早々障害未勝利戦へと出走する。転厩が功を奏したか、新たに装着したチークピーシーズの効果か、オジュウチョウサンは前走の大敗が嘘のように惜しい2着。その後も好走を続け障害4走目にして待望の初勝利を飾ることとなった。
デビュー戦
初勝利
その2へ