オジュウチョウサン物語 第7章2「異変」

 

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 日本中央競馬では、年末の有馬記念と2歳GIホープフルステークスを終えると、芝のGIレースは翌年3月末の高松宮記念まで存在しない。この時期、各路線を代表する有力馬たちの多くは厩舎を離れて放牧に出され、やがて始まるGI戦線を戦い抜くため、しばしの休養をとる*1
 
 2018年1月。例年と変わらぬ新年を迎えた日本競馬界に、1つの異変が広がり始めていた。
 
 異変の始まりは1月9日だった。この日、2017年のJRA賞受賞馬が発表された。
 最優秀障害馬には去年に続きほぼ満票でオジュウチョウサンが選出*2オジュウチョウサンの昨年成績は4戦全勝。年末の中山大障害は26年ぶりのレコード更新で勝利している。それ自体は特に波乱の無い当然の結果である。
 異変は年度代表馬の結果にあった。
 この年の年度代表馬に選ばれたのはキタサンブラック。昨年は古馬王道路線のGI6戦全てに1番人気で出走し、4勝3着1回という驚異的な成績を残し、年末の有馬記念を最後にターフを去っていった。馬主が国民的演歌歌手の北島三郎だったこともあり、競馬ファン以外の一般層にもその名前が広く知られた、まさに時代のスターホースである。
 平地芝GI馬としてはほぼ完璧に近い成績を残したキタサンブラックだが、この年の年度代表馬投票における得票数は全290票中287票で、惜しくも満票選出を逃している。では残りの3票は一体どの馬に投じられたのか?
 その答えがオジュウチョウサンなのである。
 
 記録上、年度代表馬投票において障害馬に票が投じられたのは1975年のグランドマーチス以来史上2度目の珍事である*3グランドマーチスの時代はまだ現代ほどに障害競走の人気も低くはなく、同年は平地路線でも古馬に抜けた馬がいなかった。最終的に年度代表馬に選ばれた二冠馬カブラヤオーも秋は全休だったため、障害馬にも得票の余地があったのだ。
 その頃に比べ障害人気が大きく衰えた現代、しかも平地王道路線に圧倒的な歴史的名馬がいる中で障害馬に投じられた3票は、まさしく「異変」と言える事態だった。
 この3票を皮切りに、競馬界では昨年までからは考えられない事象が次々と起こり始める。
 
 まずは各種の競馬雑誌からだった。JRA機関誌『優駿』をはじめとした各種競馬雑誌がこぞってオジュウチョウサンや昨年の中山大障害の特集を組み始めたのである。
 オーナー長山や騎手石神のインタビューや、中山大障害のレース回顧記事がいくつもの雑誌の誌面を飾った。『優駿』誌上で行われた2017年レースオブザイヤーの投票では、中山大障害が数多の平地GIレースを差し置いて3位にランキングされている。
 昨年の段階ではオジュウチョウサングレード制導入後初のJGI3連覇を果たした時ですら、特集を組んだ雑誌はほぼ皆無だったのだから*4、この事態がどれほど特異な状況なのかが分かろうというものである。
 
 オジュウチョウサンの人気は一気に燃え上がった。パスケースやスマートフォンカバー、クリアファイルにボールペンなど、障害馬としては異例のグッズ販売が次々なされた。大生垣障害を模した飾りの付いたぬいぐるみは、オンラインストアで通販が開始されるや否や即日完売という有様だった。

 そして極めつけはJRAが発行するポスター「ヒーロー列伝」シリーズである。1981年の第1弾ハイセイコー*5から始まった、顕著な成績を残した名馬をポスター化するシリーズ企画だが、この第82弾にオジュウチョウサンが選ばれたのだ。
 ヒーロー列伝のポスターは一般発売はなされないが、中央の各競馬場内のいたる所に掲示される。これはとりもなおさず、JRAオジュウチョウサンを「後世に伝え残すべき名馬の1頭」と認定したという事実に他ならない。障害馬では初めての選出である。
 
 以下に、2016年および2017年の中山大障害の馬券売上を示す。
 
 16年 15億1124万1000円
 17年 22億379万9500円
 
 もちろん平地GI競走と比べれば、両年ともにごく僅かな売上額に過ぎない*6。しかしながら、前年比およそ140%という数字は驚異的な伸び率である。
 
 本書でも何度も繰り返すように、現代の日本競馬界において障害競走は実質的に最下層人気のカテゴリーである。しかしこの時、絶対王者オジュウチョウサンと、そしてその王者に果敢に挑戦したアップトゥデイトをはじめとする数多の障害馬たちの走りが、日本競馬界における障害競走への意識を少しずつ、変え始めていたのである。

 

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*こぼれ話*
 この回ではかなり時系列を並べ替えて書いてる。この時期はいかに競馬関係業者各位がいち早く「オジュウチョウサンは金になる」に気付くかのスピード勝負みたいな雰囲気があったので、雑誌の特集記事やグッズの発売日などがかなり錯綜している。現実に起こった時系列を正確に記述しようとするととてもじゃないがストーリー化できなかったので、かなりザックリ単純化させたきらいは否めない。ちなみに当時の雑誌で言うと、面白いところだと北海道地域の政治や経済を扱った業界雑誌『財界さっぽろ』が種々の競馬雑誌に先駆け「平取が生んだ最強の障害馬秘話」と題して生まれ故郷の坂東牧場の取材記事が載ってたのが笑った。おそらく生涯2度と買わないであろう雑誌。
 ある程度詳細な当時の時系列をこの場で掲載しておく。

12月18日 『競馬ブック』にてオジュウチョウサン特集記事
12月23日 パスケースとスマホケースが発売(中山大障害当日)
 1月 9日 JRA賞発表
 1月13日 『競馬最強の法則』2月号にて石神騎手の対談記事
 1月15日 『財界さっぽろ』2月号にて坂東牧場の記事
 1月24日 『優駿』2月号にてホースオブザイヤー、レースオブザイヤーが発表され、
       それぞれ2位オジュウチョウサン、3位中山大障害がランクイン
       JRA賞最優秀障害馬としてオジュウチョウサン紹介に4ページが割かれる。
       (なお前年2月号では半ページ分のみ)
 2月頭頃  ぬいぐるみ製作決定発表 ヒーロー列伝製作決定発表
 2月24日 『優駿』3月号にて長山オーナーの対談記事
 3月 5日 『週刊Gallop』3月11日号にて石神騎手のインタビュー記事
 3月13日 『サラブレ』4月号にてオジュウチョウサン特集記事
 3月24日 『優駿』4月号にて中山大障害回顧特集
 4月14日 ぬいぐるみ発売(中山グランドジャンプ当日)
       他同日にボールペン、キーホルダー、マグカップ等同時発売

 なお、ぬいぐるみとヒーロー列伝の製作に関しては実際には関係者からのタレコミやら公開入札情報やらで1月末頃にはファンの間では既にほぼ確定情報が出回っていた。

*1:というのは建前で、最近は放牧先の牧場の調教施設でトレセンと遜色ない(どころかそれ以上の)トレーニングを積んでいる場合も多い。牧場で体を仕上げてしまい、厩舎にはレース直前で戻して調教師は調子を維持するだけ、というケースも少なくないと聞くが、真偽のほどは定かではない。

*2:1票が「該当なし」に投じられた。当該投票記者は他の部門でも疑問符がつく投票が多く、ネットでのバッシングが多見され、競馬関係者からも少なくない名指し批判が散見された。

*3:1975年は全86票中8票をグランドマーチすが獲得している。

*4:筆者の知る限り、優駿2017年4月号で戦前に「史上初のJGI3連勝へ」と題した記事を2ページ分載せたのが当時唯一のオジュウチョウサン関係の特集記事。

*5:元祖アイドルホースにて第一次競馬ブームの立役者。日本競馬史において「最も国民的人気を獲得した馬」と言えばオグリキャップかこの馬かの2択に絞られる。主な勝ち鞍は1975年皐月賞

*6:同年の有馬記念の馬券売り上げが451億円。