オジュウチョウサン物語 第6章4「『ステップ!ジャンプぅ!』」

 

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 アップトゥデイトの途轍もない大逃げに、この日の競馬場にいる者の中で石神の次に焦りを抱いていたのは、放送席に座る競馬実況3年目の新人アナウンサー山本直だった。
 
 ここでまたもや時計の針を戻す。
 12月のあくる日、山本のもとに暮れの中山大障害の実況担当の辞令が下った。最初に聞いた時には何かの間違いかなにかではないかと思った。
 
「今年は山本くんにやってもらおうと思います」
 
と上司から直接告げられるも、実感がわかずその時山本は
 
「ほう...」
 
と一言返すだけだったという。
 
 GIレースの実況は、競馬アナウンサーとしての1つの頂点である。山本は競馬アナウンサーとしてまだ3年目。重賞すら今年初めて担当したばかりなのだ。任されるとしても早くて来年。今年の内にGIレースを担当することになるとは全く思っていなかった。
 そしてそれ以上に、中山大障害の実況席と言えばここ数年はとある先輩アナウンサーの定位置だったのである。自身と1字違いの名前を持つ25歳年上のフリーアナウンサー、山本直也だ。
 
 山本直也は「障害実況と言えばこの人」とまで言われる名物アナウンサーであり、日本競馬における障害競走実況の第一人者と言っても過言ではない。
 レース中、ハードル飛越の度に彼が独特のイントネーションで口にする「踏み切ってっジャンプぅ!」のフレーズはファンからも人気が高くクッズ化までされており、今では日本の障害競走界のキャッチフレーズにまでなっている。
 ちなみに、山本直也に対抗して(かどうかは知らないが)、山本直も「ステップ!ジャンプぅ!」を自身の障害競走実況時の定番フレーズとして使用している。このフレーズも障害ファンに少しずつ浸透していき、現在では「踏み切らない方の山本です」が自己紹介時の定番のつかみとなっている。
 
 そんな大先輩の山本直也を差し置いて、何故山本直がこの年の中山大障害を任せられることになったのか。
 その内部事情まで正確には分からないが、山本とこの年の中山大障害との間には1つの「縁」が存在する。実は本書でも山本は1度だけ登場している。何かと言えば、オジュウチョウサンの前走、東京ハイジャンプである。このレースの実況を務めていたのが山本なのだ。
 
 大逃げのタマモプラネットとオジュウチョウサンの驚異的な末脚がドラマを生んだこのレースだが、山本の発した
 
小坂忠士の策が決まるか!」
「しかし王者は違う!」
「剥離骨折でも王者の時計は止まっていませんでした!」
 
のフレーズは、レースに見事に華を添えたとファンから高く評価された。このレースでの実況が中山大障害での抜擢につながったと考えるのは、あながち外れた予想でもないように筆者は思う。
 
 レース当日の朝、中山競馬場に着いた山本は場内に漂う異様な空気を感じていた。
 
(大障害の日って、こんなに人多かったかな?)
 
 違和感は感じたものの、それがGI初実況の緊張から来るものなのか、実際に去年と空気が違っているからなのかはこの時点ではわからなかった。
 実際、山本の感覚は正しかった。後に発表されたこの日の中山競馬場の入場者数は、去年の中山大障害の日のおよそ1.4倍という驚異的な数字だった。JGI4連覇達成という歴史的瞬間をこの目で見ようと、多くの人が競馬場にやって来ていたのだ。
 
 GI初実況の上に、例年をはるかに上回る注目度という状況の中、不思議と山本に緊張は無かったという。しかしそんな山本の全身に電流に近い衝撃が走ったのは、レース当事者の石神と全く同じタイミングだった。
 
 障害競走の実況で特に難しいのは、馬群が大きくバラけるレース展開だと山本は語る。
 障害の場合は通常の平地レースと異なり、障害飛越のタイミングを伝える必要があるため、各馬の飛越のタイミングが大きく離れていると、どの馬の飛越に合わせて実況するかの判断をレース中常に強いられることとなるからだ。1頭大逃げの馬がいる場合などが一番難しい。そう、この日の中山大障害がまさにその典型なのである。
 アップトゥデイトの逃げ宣言は山本も事前に知っていたが、ここまで大差をつけた大逃げになるとは思っていなかった。観客たちが新旧王者の間に開いた前代未聞の馬身差に慌てふためく裏で、日本でただ1人全く違う理由で山本は慌てふためいていた。
 
 しかしながら、実況アナウンサーとして難易度の高いレースに苦しみながら、同時に山本は1人の競馬ファンとして高揚感に包まれていた。オジュウチョウサンアップトゥデイトが完全にマッチレースを形作った瞬間、山本は「これは歴史に残るレースかも知れない」と戦慄したという。
 
「1、2コーナー中間の障害! アップトゥデイト、ステップ!ジャンプぅ!」
 
 お馴染みのフレーズを口にしながら、初めてのGIで変則レースの実況を強いられた不運と、歴史に残るマッチレースに実況アナウンサーとして立ち会えた幸運とを、山本は放送席で1人噛み締めていた。

 

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