寺山修司と阿佐田哲也

 ここ1月ほど、寺山修司の競馬エッセイをいくつか読んでいる。非常に面白い。まだまだ競馬初心者の自分には作中の馬名に馴染みは無いが、とにかく筆致が鮮やかなので気がつくと長々と読みふけってしまう。

 ところで、いくつか読んでいてどうにも連想してしまうのが阿佐田哲也の麻雀小説、特にその短編集だ。

 阿佐田哲也の麻雀小説は基本的には若き日の作者「坊や哲」の視点から描かれており、そういう意味ではエッセイに近い。しかしながら本人も白状している通り、その多くには物語としての脚色も多く、流石にノンフィクションとは言えないようだ。
 同様に寺山修司も自分が実際に競馬場で出会った人々や、はたまた読者からの投書という形をとりつつ、あくまで自分の競馬にまつわる思い出語りとして様々なエピソードを紹介しているが、かなりの部分に脚色や創作が入り込んでいる事は想像に難くない。
 阿佐田哲也の作品が小説と呼ばれる程度には寺山修司のエッセイも小説であろうし、寺山修司の作品がエッセイと呼ばれる程度には阿佐田哲也の小説もエッセイであろうと思う。

 両者の作品ともに、競馬場と麻雀卓という「賭博の場」を通じて、様々な社会的弱者やアウトロー、失敗者らの悲喜劇こもごもな人生が描き出されるが、そこに強く共通するのは書き手の透徹とした優しい目線だ。落伍者らのどんなに悲惨な人生だろうと、はみ出し者らのどんなに悪徳に塗れた人生だろうと、彼らはそれら全てをまるごと肯定するかのような優しさを持って彼らの人生を描き出す。

 しかし一方で、近いが故の明確な差異もまた強く感じた。最も強く感じた違いを端的に言い表すとすれば、それは寺山の作品がどこか「上品」さを維持しているのに対し、阿佐田の作品には飾り気の無い「下品」さが存在する。

 寺山修司のエッセイには読んでいてどこか「育ちの良さ」のような物が伝わって来る瞬間がある。実際経歴を見てみると、戦中生まれで父は徴兵先で戦死、残された母子も空襲に襲われて焼けだされるなど苦労も多いが、早稲田大学へと通っているあたりからは家庭環境などはどうあれ、当時としては歴とした富裕層、エリートであったと断言して良い。
 そしてその「育ちの良さ」こそが良い意味で作中に漂う弱者への優しい目線を生んでいるのだろうと思える。だから寺山修司の作品には、弱者らの悲惨な人生を淡々と描きながらも、どこかそこに上品な美しさがある。

 一方阿佐田哲也の「優しい目線」は文字通り阿佐田自身が弱者、アウトロー側だったからこその同族意識に他ならない。中学を中退して以降、10代の数年間を根無し家無しのアウトロー博徒として生活していた阿佐田にとって、作中の「ロクデナシ」共は青春時代の同窓生なのである。その思い出が阿佐田の優しさの源泉ではあるのだが、逆にあくまで同族だからこそ、彼らの悲劇に対して指を差して笑いとばすかのような気楽な下品さがある。勿論こちらも良い意味でだ。
「今日は奴はこねえのかい?」「ヘマやって死んじまったンだとよ」「馬鹿だねえ。俺ならそんなしくじりはしない」「おいおいそれより奴が溜め込んだ小金があるだろ。山分けしねえと」
(特に何かの作中抜粋ではない。あくまで私の阿佐田小説イメージ)


 この両作品の対照的かつ、とても似通った「優しい目線」が、どうにも心地よくて仕方が無い。どちらか片方だけ知っているという人も、どちらも一度も読んだ事が無いという人も、是非両方読んでみる事をお勧めする。


(これ書き方によっては「阿佐田哲也に比べてボンボンの寺山修司は外から書いてるだけ」みたいに伝わりかねないなとちょっと思ったんだけど、そうじゃなくって、寺山はあくまで外から俯瞰で描きながら、それなのに優しい目線があるってのが凄い。って話なのよ、というのは一応補足しとく)