異種族レビュアーズにおける「エロで繋がる男の友情」の危うさと尊さについて

どうも毎度ブログではお久しぶりのあでのいです。

『異種族レビュアーズ』アニメ化の報を聞いた時は「正気か……!?」と戦慄したものですが、早いもので既に3話目が放送されました。
何の因果か間違いか、ニコニコ動画で今期アニメ再生数1位に輝いたりと、まさかの覇権候補にまでならんばかりの注目を集めていたりするのは皆さんご周知の通りと思います(本当か?)。

でまあ、色んな意味で話題となってる本作ですが、個人的にはちょっと一般的な語られ方とは別のラインでこの漫画について語りたい欲が出てきてしまったので、いっちょブログ記事かするかー、と思った次第であります。

という訳で、原作漫画『異種族レビュアーズ』ネタバレバリバリの感想となりますのでよろしくお願いしますであります。

 

 

漫画『異種族レビュアーズ』における「主役」は誰か

この記事を開いた方々は十中八九既に知っているものと思うが、漫画『異種族レビュアーズ』のあらすじは以下の通りである。

 

ここは人間だけではなく、エルフ、獣人、悪魔に天使と、あらゆる異種族が混在し、暮らしている世界。そこには当然、あらゆる異種族のスケベなお店もあるわけで…。
足しげくムフフなサービスをしてくれるお店に通う人間の冒険者・スタンクは、ある日種族間の(性的な意味での)感性の違いで悪友のエロエルフ・ゼルと衝突する。決着の方法は……嬢のレビュー!?
あらゆる異種族娘のサービスをクロスレビュー方式で採点し、他の仲間達への“お役勃ち”情報として提供していくスタンクたちの活躍は、まさに性戦士のごとし!今日もレビュアーズたちは新たな快楽を求めて旅勃って行く……。
(アニメ公式HPより)


ザックリ言えば、ファンタジー世界を舞台にした風俗店めぐりギャグ漫画だ。毎話ファンタジー世界観ならではの様々な種族の風俗嬢(作中ではサキュバス嬢、通称サキュ嬢と呼ばれる)が登場し、彼女達と主人公ら「レビュアーズ」とのエッチなアレやコレやが一般誌ギリギリの範囲で描かれる。
有り体に言えば「一般誌のライトめな実質エロ漫画」と評すことができるが、単純なエロだけでなく、それぞれの種族の魅力ポイントや店の業態、主人公らの反応やレビューを通じて、種族ごとの生殖生態や性的嗜好がコメディタッチでバラエティ豊かに描かれるのが本作品の最大魅力である。

 

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本作に登場するサキュバス嬢には、エルフやネコ耳娘程度のちょっとした萌え要素くらいの異種族感なキャラに始まり、ゴリゴリのケモノな娘から単眼っ娘、スライム娘まで多種多様である。
そんな多種多様な異種族達に対する「こんな種族が本当にいたら、生態は? 習性は? どんなコミュニティが形成される?」という高度にSF的なセンス・オブ・ワンダーが、最終的に「あんなエロい事やこんなエロい事が出来ちゃうんじゃね!?」という中学生男子レベルの性欲に昇華されているのが、この作品の強烈なオリジナリティと言えるだろう。

 

が、本記事ではこの『異種族レビュアーズ』における最大魅力についてでなく、もう1つの重要な漫画的魅力について注目したい。

 

作品単体の話から一旦離れて、先に一般論について述べる。
連載漫画において「魅力的なキャラクター」は必須要素である。
話の続きを読むのに短くても1週間、長ければ最悪数年単位で待たされる連載漫画の場合、多くの読者を長大な「連載」に付き合わせるためには、設定や世界観、話の筋そのものの面白さ以上に、主人公らレギュラーキャラクターに「愛着」をもたせることが重要になる。
人気漫画作品の多くは単なる「話の続き」と言うよりも、主人公らに対し「コイツらの続き」が知りたいと読者に思わせるものなのだ。
読み切りから連載化された作品の場合も、プロトタイプの読み切り版に比べて、主人公周りのキャラクターのパンチの強さが連載版で大胆にブラッシュアップされていることが少なくない。
それ程に連載漫画において「キャラクター魅力」というのは重要なのである。(もちろんこれは「漫画」だけに限らないのだが)

 

さて、翻って『異種族レビュアーズ』である。
先に述べた通り、いわゆる「一般誌の気持ちライトな実質エロ漫画」な本作だが、一方で女性キャラクターに関しては基本的にはその話限りのゲストキャラがほとんどである。
ツッコミ役のメイドリー他、数名の準レギュラーキャラを除けば、多少の再登場程度はありつつもキャラクターとしては「エッチしてくれるお姉さん」以上の深掘りはほとんど行われないと言って良い。
毎話登場する多種多様なサキュバス嬢は確かにこの作品における最重要要素ではあるものの、連載作品として読者達の興味を持続・牽引する立場にいる主人公では決してないのだ。
ではこの漫画におけるキャラクター魅力を担っているのは誰か? それは勿論、スタンク、ゼル、クリムら、「レビュアーズ」たる男性陣に他ならない。
この漫画における主役はあくまでも、「いろんな種族のエロい風俗嬢」ではなく「そんな風俗のお姉さん達をレビューする風俗通いの男達」なのだ。

 

 

 

エロで繋がる男友達

スタンク達のキャラ魅力が何処にあるかと言えば、その中心は「エロで繋がる男友達の関係性」にある。
設定上だけで言えば、彼らは「実力だけなら英雄クラスの凄腕冒険者」である。ひとたびダンジョンへ冒険に繰り出せば、スタンクもゼルもカンチャルも、お互いの背中と命を預け合う「戦友」だ。
しかしながら、漫画の中では彼らはあくまで「一緒に風俗店へと通うエロい事が大好きな男友達」であり、その関係性は「エロ」を通してしかほとんど描かれない。
そんな「エロ」を通して繋がる彼らの関係性こそが、本作におけるキャラクター魅力の独自性である。

 

そもそもの話として、彼らは何故「レビュアー」などという事をやっているのか?
始まりはスタンクとゼルの口論だった。「どちらの女の趣味が真っ当か」という下らない言い争いが、サキュバス嬢レビューという行為に発展する。

 

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そしてそのレビュー記事が意外にも小金になることが分かり、小遣い稼ぎとして習慣化する。

 

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お話の中盤では商魂たくましいカンチャルが流通業者と提携契約を結ぶ事で、彼らのレビュアー活動は遂に事業化される。

 

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彼らにとって既にサキュバス店レビューはれっきとした「仕事」なのである。という事は、彼らがレビュアー活動に勤しむ理由はあくまで金銭目的か?
いや、そうではない。

 

女性にはあまり馴染みがないかも知れないが、男性コミュニティには広く「エロ体験を仲間同士で共有する」という文化が存在する。
全ての男性が経験している訳では決して無いが、スタンクらのように同僚や友人同士で連れ立ってソープへ行くという話は決して珍しいものではない。

 

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ハロルド作石ストッパー毒島』より)

 

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つの丸みどりのマキバオー』より)

 

そこまででなくとも、友人同士で集まってのAVの鑑賞会や、秘蔵のエロ本を持ち寄っての品評会などの経験が、ほとんどの男性には1度や2度ならずともあるのではないだろうか。(まあ実際にはそうした経験の一切ない男性諸氏も、特に昨今は少なくないようではあるが)

 

何故に男はエロ体験を仲間内で共有し合うのか。
その理由に関しては多分に文化的背景が存在し、おそらくジェンダー学の範疇で様々に論じられていることと思う。
1つの例として、「性欲の発散」という本来的には極めてプライベートな行動を、敢えて積極的に集団で行うことで、コミュニティの精神的な連帯意識を強めようとしている面は挙げられる。
おそらく「同じ釜の飯を食う」に近い効果がそこにはあるのだろう。
ただ、そんなマクロな視座での文化考察を取っ払って、純粋に1人の男性として述べるのなら、とにかくこうした「気の置けない友人同士でのエロの共有」というのは、1人での消費活動とは全く別種の楽しさがあるのだ。

 

先に「彼らがレビュアー活動に勤しむ理由は金銭目的ではない」と述べた。
では彼らがレビュアー活動をする真の理由は何か?
それは至極簡単な話で、レビュー活動そのものが、正確に言えば「仲間でつるんでサキュバス店に向かい、遊び終わった後に皆でやいのやいの感想を言い合うこと」が楽しくて仕方が無いからだ。 
何故彼らは「現地集合・現地解散」や「決められたサキュバス店に各々で向かいレビューだけ飲み屋で回収」などという効率的で無味乾燥な活動形態をとらないのか。
何故わざわざ彼らは時間を合わせ、連れ立ってサキュバス店に向かい、お互いの趣味を品評しながら一緒にサキュバス嬢の指名をするのか。
無論そうでなくては漫画にならない、というだけの話でもある。
がしかし、それは取りも直さず「この漫画において『仲間で一緒に』という描写がどれだけ必要不可欠か」という話であり、結局のところそれこそが「この漫画の主人公はサキュバス嬢達でなく、あくまでサキュバス嬢達をレビューするスタンク達である」ことの証明なのである。

 

クリムをレビュー活動に誘う時、連れ立ってサキュバス店に向かう時、彼らはいつもとびっきり楽しそうにする。

 

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それは単にエロい店に行けるからだけではない。
彼らの笑顔の理由には、確実に「皆で一緒につるんで」というファクターが強く入り込んでいるはずである。
極端なことを言ってしまえば、彼らはレビュー活動のためにわざわざ集まってサキュバス店に通っているのではないのだ。むしろ彼らにとってレビュー活動は、仲間で集まって一緒にサキュバス店に行く「口実」として機能しているとすら言って良いのである。

 

この漫画はそんな「エロで繋がる男友達」という下劣でバカバカしく頭の悪い関係性を、底抜けに楽しそうに、どこまでも魅力的に描く。
本編18話において、レビュアーの1人であり純情キャラの天使クリムは、初めてスタンクらに誘われてでなく、自分1人で自発的にサキュバス店に入店する。

 

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本当にただ単にサキュバス嬢とエッチなお遊びがしたいだけなら、同じように1人で店に行けば良いだけの話なのだ。
スタンク達と一緒でなければ、嬢選びや股間の大きさについてからかわれるようなことも無い。
しかしそれでもクリムは、スタンクとゼル達にサキュバス店巡りに誘われることに強く喜びを見出す。

 

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このシーンにこそ、『異種族レビュアーズ』において描かれる主人公らの関係性の本質が込められているのである。

 

 

 

男性ホモソーシャルの危険性

『異種族レビュアーズ』で描かれる「エロで繋がる男友達」は言い換えると「風俗通いで連帯意識を強めるホモソーシャル」である。
言ってしまえば旧態然とした男社会のありようそのものだ。
エロを介して連帯するホモソーシャルでは、性への積極性が「男らしさ」としてステータスになりやすく、性行為の成功体験が武勇伝として語られる。
上述の、クリムが1人でサキュバス店に行くエピソードの際には、それを知ったスタンクとゼルらから「成長」をからかわれる、というシーンがある。これは彼らのホモソーシャルなコミュニティにおいて「風俗店に1人で通う」という行為が「1人前の男」としての一種の通過儀礼として機能していることを示している。

 

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そのようなコミュニティは、原理的にセクハラやパワハラの温床になりやすい。
事実、『異種族レビュアーズ』の作中でも、「一般女性に対し公衆の面前で性行為の申し入れをする」という女性へのセクハラ、「場を盛り立てるために他人の局部を勝手にさらす」という男性へのセクハラ、「嫌がる後輩に風俗通いを強要する」というコミュニティ内の上下関係によるパワハラが横行している様が、明示的に描写される。

 

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この漫画は、そんなハラスメントの臭いを漫画としてのテクニックで巧妙に脱臭する。
スタンクにひるまず反撃するメイドリーや、何だかんだで性欲に負けるクリムの姿が、セクハラパワハラ描写を「気心の知れた者同士の遠慮ないやりとり」程度に飾り付ける。
そもそも論として、この漫画に出て来るサキュバス嬢らは基本的に「自分自身の自由意志でサキュバス嬢という職業を楽しくやってる」ものとして描かれるのだ。
裏設定はともかくとして、少なくとも表面的な描写上は貧困によって性的搾取を受けるサキュバス嬢は一人も登場しない。
この漫画は、旧来的なホモソ男性にとって極めて都合の良い世界なのである。

 

このようなホモソーシャルの有り様は、現代ではフェミニズム文脈から極めて批判の的になりやすい。
ネットで少し検索すれば、「男らしさ、男の絆などと呼ばれる男性ホモソーシャルの連帯の仕方が、女性へのセクハラパワハラを生み、男性自身らの生きづらさの原因にもなっている」という論旨のジェンダー論がいくらでも見つかる。
この漫画におけるキャラクター魅力を支える「エロで繋がる男友達の関係性」という要素は、現代的なポリティカリル・コレクトネスに照らし合わせると非常によろしくない要素なのである。
そもそも「女体に点数を付ける」というコンセプトの漫画に今更何を言っているのか、という話では当然あるのだが、このようなホモソーシャルな男性コミュニティを面白おかしく描くことと、それがエンタメとして受容されている現状自体の方が、実は明示的に分かりやすい不道徳要素よりも、ジェンダーフェミニズム論的に、より根深く重大な問題が潜んでいると個人的には思う。

(であるからして、某増田に見られるような「TS回のオチが同性愛者差別だからダメだ」などという薄っぺらい表層批判に大した批評的価値など無いのである)

 

 

それでも「尊い」という話

で、だ。
本記事の目的はこの漫画の問題点の指摘ではない。
私がこの記事を通して言いたいことが何かと言えば、上記の問題点を踏まえた上でなお、本作で描かれる「エロで繋がる男友達の関係性」が筆者にとってどうしようもなく「美しい」もの、「尊い」ものとして見えるのだということだ。

 

彼らの関係は、お互いに思いやり尊重しあい、相手をリスペクトし合うような理想的な友人関係では決してない。
嫌がる相手を無理矢理遊びに付き合わすし、人のデリケートなコンプレックスを平気で茶化す。
そもそもこの漫画自体、お互いが相手の女性の趣味を「異常だ」と否定しあう所から話が始まっているのである。

 

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しかしそんな雑で気安い間柄に、それはそれで代えがたい心地良さがあるのだ。
作中で彼らはお互いの理解できない性的嗜好にドン引きし、時には「お前あんな女抱けんの? 変態じゃん」と正面から罵倒する。
そしてそうやって互いの趣味嗜好を否定しておきながら、結局また仲良くサキュバス店に皆で一緒に繰り出すのだ。
「単に一緒にいて楽しいからつるんでいるだけ」という、打算の無い対等な、ある種の理想的関係性がそこにはあるのである。

 

余談ではあるが、この男性間の遠慮の無い雑で気安い関係性が、実は本作では男女間にもある意味では適用されていると言える。
作中のサキュバス嬢らが基本的に「自分自身の自由意志でサキュバス嬢という職業を楽しくやってる」ものとして描かれる点について、上節ではホモソ男性に都合の良い描写であると言及したが、一方でそれらの描写は、明け透けなく男の体を性的に楽しむ女性の姿を肯定的に描いているとも言える。
スタンク達がレビュアーとしてサキュバス嬢を採点する一方で、サキュバス嬢らもサキュバス嬢らでスタンク達のことを客として、そして男体持ちとして女の側からシビアに品定めしている雰囲気が、この漫画にはある。

 

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実際に直接登場はしないものの、この世界には女性向け風俗のインキュバス店もまた多く存在していることがスタンク達の口から語られる。
また、クリムがレビュアーにいると女性客が増えるというスタンクらの台詞は「美少年の性生活レポート」を性的に消費するためにレビューを購入している女性達の存在を示している。

 

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この漫画は、男性も女性もお互いにお互いの体を性的に消費するのが当然という世界観であり、実際に対等に性的消費しあう世界を理想的に描いていると言えるだろう。
本作で描かれるそうした世界観は、現実との照らし返しで言えば欺瞞的な理想社会の描写ではあるものの、一方でこれはこれで女性にとってもある種の居心地の良さを感じる面が少なからずあるのではないかと思う。

 

閑話休題

 

上節で「友人同士で集まってのAVの鑑賞会や、秘蔵のエロ本を持ち寄っての品評会などの経験が、ほとんどの男性には1度や2度ならずともある」と述べたが、もちろん筆者にも同じことが言える。
友人宅で友人の父が秘蔵していた大量のAVコレクションを物色した思い出。
学校の視聴覚室で見つからないようスクリーンにAVを映して友人たちと一緒になって見た思い出。
悪友達とのこうした思い出の数々は、下劣で不道徳でバカバカしく頭の悪いものではあるが、それと同時に紛れもなく私にとって、キラキラと輝く宝物でもある。

 

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肩を組んでアホ面をさらすスタンク達を見るたびに、かつて一緒につるんでバカなことをやった友人たち(そして、もう二度とバカの1つもやれなくなってしまった友人)の顔が脳裏をよぎる。
下記のイラストは、本作ノベライズ2巻の『まりおねっと・くらいしす』に掲載されたイラストだ。

 

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(正確にはニコニコ静画の試し読みに掲載されたバージョン。発売された書籍ではカバー折返し部分に描かれている)

 

このイラストを見返すたびに私の胸には、笑いだしたくなるような、泣きたくなるようなノスタルジックな感情が広がる。

 

エロを肴にバカ話を男友達とやれる時間は、長い人生のうちでそこまで多くは与えられていない。
大部分の男性にとって、その多くはモラトリアム期の一過性のものではあろう。
本編で、非常に好きなワンシーンがある。エルフの身であるゼルがスタンク達を連れて、不老不死の吸血鬼公爵に会いに行くエピソードだ。

 

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200歳以上生きているゼルは、これまでもスタンク達のように一緒にバカやれる連中と何度も別れを経験しており、そしてそれでもまた何度でもバカやれる連中とまたつるむのだ。
そんな彼の姿にどうしようもない美しさを、筆者は見てしまうのである。


重ねて繰り返す。
この漫画の主人公は「いろんな種族のエロい風俗嬢」ではない。この漫画の主人公は紛れもなく「そんな風俗のお姉さん達をレビューする風俗通いの男達」なのである。
少なくとも、私にとっては。

 

 

 
以上、『異種族レビュアーズ』レビューでした。
ところどころ「こう断言しちゃうのは言い過ぎか?」と自分でも自問自答しちゃう箇所はあったのだけど、まああんまし弱腰で書きたくないなというのもあって、その辺は気にせず断言しちゃった嫌いはあり。そういう意味では異論ご容赦、と言った所。

最後になったんだけど、俺みたいにこの漫画の男同士のホモソワチャワチャ感が気に入っちゃった人は、ノベライズ版の『えくすたしー・でいず』は絶対に読むべき。
漫画版は基本的に1話完結で毎回その回のサキュバス嬢を紹介する形式だけど、一冊全体でストーリーを作る必要のあるノベライズ版の場合、前半部こそ漫画版を踏襲しているものの、終盤は完全オリジナル展開になってる。
その内容が、「当たり率100%」と言われる都市伝説上の召喚(デリバリー)サキュバス嬢《時を超える召喚嬢》の正体を突き止めるために数千年前に滅んだ王都のある荒地へと冒険に繰り出すという、「汚いスタンド・バイ・ミー」とでも表現できそうな、スタンク達の冒険者としてのドタバタ活劇なのだ。
2巻の『まりおねっと・くらいしす』も合わせて、あの漫画の「バカな男達の全力悪ふざけ」感が好きな人にはむっちゃオススメ。
あとなんつーか、原作の方は基本的にドライでシニカル一辺倒な天原の作家性が上手くドライブしてるのだけど、ノベライズ版はもうちょい踏み込んでて、性産業たる「サキュバス店」という欲望の坩堝を聖と俗の間で反復横跳びするような筆致で描くことで、人間の肯定を試みているかのような風情があって、そういう意味でも無茶苦茶良いノベライズなんだよな。
読むべし。

 

 

 

 

という訳で以上あでのいでした。
次はGレコII公開後にお会いしましょう。まったねー。