二次創作文化における黙認システムの限界領域について覚書

どうもあでのいです。思いの外早めのブログ更新で自分自身ちょっと驚いております。

togetter.com

なんぞグリッドマン関係で同人誌が禁止されただされてないだが話題になってるみたいじゃないですか。
この辺の同人文化のあれこれについては以前から色々と考えてはいまして、その辺の個人的考えをまとめたもんがある程度できていたので、折角だからこの機に今回の件もある程度絡めつつブログ記事として完成させておこーやないかと思って更新した次第であります。

多くのオタクらが既に知っての通り、日本のオタク文化においてファンらによる非公式的な二次創作活動が果たす役割は極めて大きいと言えるのですが、しかしその一方で、その二次創作活動の大部分は基本的に「著作権の侵害」という違法行為に基づいて行われているという問題がある訳です。

しかしでは何故多くの二次創作者らは犯罪者としてしょっぴかれていないのかと言えば、それは著作権侵害が現在の日本の法律上親告罪として定められているからに他なりません。日本における二次創作活動の大部分は「権利保有者が訴えない」という消極的容認によって事実上黙認されている形になっている訳です。日本のオタク界における二次創作文化の大部分はこの「黙認システム」とでも呼べるようなシステムの下で発展してきたと言えます。

(ちなみに日本でもTPPの絡みで著作権侵害非親告罪化することが決定しておりますが、二次創作物は除く形での法整備が進められてはおり、この変化が二次創作文化にどう影響を与えるかは何とも言えない所です)

二次創作文化を支えるこの黙認システムですが、二次創作の自由な発展を促してきた一方で、いくつかのトラブルの元にもなっております。本記事ではこの黙認システムの問題点、ザックリ言うと黙認システムが内包する原理的な限界事例について論じてみたいと思います。

(先に言っとくと、ドン引きするくらいクソ長いので注意。付け加えたい内容が膨大に増えてって自分でも正直途中から自分で引いてた)

 

 

1. 二次創作が「グレーゾーン」とは本当か?

 

最初に1つ注意しておきたいことがある。二次創作文化を指してよく「グレーゾーン」と呼ばれることがある。一般的に法における「グレーゾーン」とは「合法か違法かの判断が難しい=黒とも白とも言えない」という意味で用いられることが多いが、こと二次創作について言えば少なくとも法律上はこの表現はあまり正しくない(あくまで「法律上」は、であるが)。
権利元に無許可で発表される二次創作は法律上は「黒(違法)とも白(合法)とも言えない」という類のものではなく、その大部分がほぼ議論の余地なく「黒(違法)」の案件である。

 

被害者からの告訴がなければ公訴を提起することができない犯罪のことを親告罪と言い、日本では著作権侵害に関してもこの制度が採用されているが、一般的な法律解釈における親告罪は、被害者からの告訴の有無に関係なく違法行為=犯罪行為が存在していると考えられる。よく誤解されているが、「告訴されれば違法、告訴されなければ合法」という意味ではない。親告罪において告訴の有無は違法行為か否かには関係無く、それが行われた時点で違法行為であると解釈されるのだ。

 

この法解釈を一般の親告罪同様、著作権侵害に対してもそのまま適用して良いかどうかは議論あるかも知れないが、少なくとも現在の一般的な法学体系においてはそうなっているのである。よって、あくまで法律上の話に限って言えば、ファンらによる権利元の許可をとらない二次創作活動はグレーゾーンではなく明確に黒であり、その違法行為を差し止める権利が国ではなく著作権保持者の自由意志によっている、というのが正確な表現になる。

 

もちろん、繰り返すが上記の理屈はあくまで法解釈上の話であり、一市民にとっては法理上犯罪者と定義されるか否か、という理論上の話よりも、実際に告訴されて犯罪者として扱われるか否かの方が重要である。よって概ね二次創作文化においては後者の意味で慣例的に「グレーゾーン」と呼ばれている、という話なのではあろう。
ただ、SNSなどで「私は二次創作の違法性についてちゃんと勉強しています」というような口ぶりで講釈を垂れている人が、どうも上記のような基本的な法律論すら正しく理解していないのではないかと思わせられるような言動をしている場面に遭遇することが少なくない。

 

(ただし、実は同じ二次創作でも、小説に関しては著作権侵害になるかどうかが作品内容によってはかなり微妙で、正真正銘グレーゾーンとなっているという話もある。「アイディア」には著作権が存在しないのだが、キャラクターの二次利用がその設定や性格、言動などだけで収まる小説の場合、絵に比べて「あくまでアイディアの範疇」と認められやすい、という話らしい)

 

*2021年 追記*

と、最初にこの記事を書いた時にはここまで堂々と「二次創作は基本黒」と言い切ってたのだが、その後ちょっと二次創作に関わるかなり重要な判例が一個新しくできたりして、話が結構変わってきた感もあったりする。
当時は二次創作に対し「翻案権侵害で普通にアウトだろ」と思ってはいたのだが、私が思っていたより「翻案権」で守られる著作物の範囲はかなり小さいらしいということが明らかになりつつあったりする。
ので、上で偉そうに断言してた「二次創作活動はグレーゾーンではなく明確に黒」も今はかなり怪しく、「犯罪にあたるかどうか分からないグレーゾーン」の方の認識でどうやら良いっぽい。
記事で「不勉強な奴らが多い」と言っておきながら不勉強なのは当の自分だったという話で恥ずかしい限りだし、本当はその辺の判決文交えてこの節(だけでなく記事全体)本格的に書き直さなきゃいけないのだが、億劫がって放置気味なので、とりあえず最後に追記で注意だけしておく。
どんな判例か興味ある人は調べてみると良いよ。

 

 

2. 何故二次創作は許容されているのか?

 

さて、では何故そんな本来「真っ黒」な二次創作活動の多くが、現状では「黙認」されているのか? それはファンによる二次創作活動が権利元にとっても様々な利得があるからである。

 

直接的な利得としては「宣伝になる」という点が挙げられる。特に現代のようにSNSでの口コミが作品人気において大きなウェイトを占める状況下では、お気に入りのネット絵師がSNSでファンアートを上げているのを見て作品に触れるという人が少なくない。
もちろん「エロ絵だけ楽しんで元作品には触れない」という類の人も相応に存在するだろうが、少なくとも作品を知る機会を少なからず増加させていることは間違いない。

 

また、作品に触れるきっかけとなるだけでなく、話題維持効果も無視できない重要点だ。
情報の消費速度の高速化著しい現代社会では、消費者らの興味を持続させ盛り上がりを途切れさせないために、新規情報を逐次的に公開し、話題を維持させることが非常に重要視される。話題の発端として挙げたグリッドマン含め、昨今はエンディング直後の次回予告をショートバージョンにし、週の中盤でロングバージョンの予告をweb公開するという手法が複数の作品で取られるが、これも制作進行の遅れと言うより話題維持効果を狙った面が大きいように推測される。

 

しかし、当然のことながら公式が供給できる話題には限りがある。そんな中でファンらによる自主的な二次創作活動は作品への興味を持続させる上で強い役割を担っていると言える。
テレビアニメ等でも放送終了後、コミケの時期ににわかにTLで言及が再増加するパターンは少なくない。同人イベントに馴染みのあるオタクであれば、良質な同人誌に触発されて作品の再読や再視聴を始めた経験のある人も多いのではないだろうか。

 

現代のオタク文化において、ファンによる非公式な二次創作活動は権利者らにとっても無視できない宣伝・話題維持効果を持っていると言って、そこまで大きな間違いは無いのである。

 

--------(余り関係無い話)--------
余談の上に手前味噌ではあるが、当ブログでもネット上でかなり広範に読まれた、いわゆるバズった記事がいくつかあるが、どれだけバズったとしてもアクセス数が有意に向上するのは3、4日程度であり一週間後にはほぼ平常のアクセス数に落ち着き、SNS上での言及等もほとんど見られなくなる。つまり現代のネット社会では、1つの話題の継続寿命はせいぜい数日が限界で、それ以上に話題を持続させるには新たな情報の供給が必須なのだ。
さらに全くの余談だが、これは当然ながら炎上においても同じことが言えて、新たな燃料投下が無ければ炎上が1週間以上続くことはほとんど無い。それ以上炎上が続く場合は、大概火元の人間が下手な弁解をして話題を自ら提供しているパターンが多い。どんな酷い案件だろうが、速やかに謝罪し以降一切その話題に触れなければ速やかに沈静化するのだ。
個人的には昨年末に某セクハラ事件告発騒動がいつの間にか被害者の童貞いじり過去発言炎上事件に推移したのはそういった力学が働いたのだと考えている。多くの識者が何故セクハラパワハラ告発が下らない童貞いじり言動の是非論に矮小化してしまったのかをイロイロと考察していたが、単に前者のニュースバリューの消費が概ね終了したタイミングで後者の騒ぎが起こった、というだけの話で、別に矮小化した訳でなく「1つの炎上が終わって次の炎上が始まった」という話に過ぎないのではないかと考えている。
さらにさらに完全なる余談だが、私のパソコンのハードディスク内には今でも「元電通岸勇希パワハラ告発事件はいかにしてはあちゅう童貞いじり炎上事件へと変化したか」と題されたテキストファイルが日の目を見ぬまま死蔵されている。
--------(余り関係無い話)--------

 

そしてさらに加えて言えば、オタク文化における二次創作活動の重要性は、創作人材の底支えを担っているという面が非常に大きい。個人的には当該作品への直接的な宣伝効果以上に、この点の方が権利者側にとって、すなわち一次コンテンツ提供者側にとっては重要なウェイトを占めているのではないかと思う。

 

特に漫画の場合、現代ではいきなり無名のアマチュアが商業誌でデビューするのでなく、同人誌やpixiv、twitter等で公開したweb漫画などが一定の人気を得た上で商業雑誌に連載を開始するパターンがかなり増えてきている。

その全てがそうではないが、そうした商業デビューに至るまでには二次創作漫画によって人気を博した経験を経ている者が少なくない。中にはアマチュア時代の発表作品は二次創作ばかりで、オリジナル漫画を世間に広く公開したのは商業誌デビュー後が初めて、という漫画家もいる。

 

漫画家の養成システムとして、非公式の二次創作文化は非常に大きなウェイトを占めており、日本における膨大な数の商業漫画の存在は、二次創作文化によってその裾野が下支えされていると言っても過言では無いのだ。
もちろん漫画界だけでなく、隣接ジャンルでありその多くが漫画作品を原作に持つアニメ業界もまた、二次創作文化がコンテンツを支える人材の裾野になっているのは言うまでも無い。

 

また、エロ漫画界では商業雑誌に連載し単行本の出版もしているプロの作家であっても、二次創作同人誌を創作し続けている人が少なくない。
これは市場規模が著しく狭いエロ漫画業界の場合、商業誌での活動だけでなく単価の高い同人誌の売り上げが無ければ、満足な収入が得られない場合が多いという理由がある。二次創作同人誌の売り上げによる収入が生活費の少なくない割合を占めているエロ漫画家は相当数存在するものと推測される。
エロ漫画業界出身者が4大少年誌の人気作家にまでなる時代である。エロ漫画で鍛えられて一般誌へと移り人気作品を発表するに至った漫画家は枚挙にいとまがない。そのエロ漫画で一時的にでも作家が食べていくためには、現代では二次創作同人市場は欠かせない存在なのだ。
(さらに言えば最近ではこの事情はエロ漫画界だけに限らないらしい、という話も伝え聞く)

 

つまる所、二次創作文化の存在は、作品単体にとってのメリット・デメリットを超えて、業界全体の人材確保のために無くてはならない存在であり、その結果として業界全体で「多少の権利侵害には目をつむろう」という暗黙の合意が概ね形成されているのである。
また単純な話として、一次コンテンツ提供側のクリエイターの中にも二次創作活動出身者が多く含まれる以上、心情としてそうしたファン活動を否定しづらいという面も多分にあるだろう。

 

また、メリットの観点だけでなく逆にデメリットの観点からも論じるならば、同じ著作権侵害でも単なるコピー品、いわゆる海賊品に比べて二次創作物の多くが権利元にとってそこまで大きなデメリットを与えるものではない、という点についても押さえておきたい。
単純に言えば、二次創作物が競合商品として公式と直接バッティングする可能性が極めて低いのだ。想像して貰えば分かるが、何らかの二次創作同人誌が売れたからと言って、原作の漫画やアニメ円盤売上が減少するようなことがあるだろうか?(イメージ毀損などによる間接的な影響はともかくとして) 基本的に同人誌と元作品との間には市場の食い合いが発生しづらいのである。

 

なお注意が必要なのは、以上の論理は、(二次創作物の大部分を占める)漫画やファンアート、小説などの形態については言えるが、それ以外のいわゆる「グッズ」のような物には適用できないという点である。イラストプリントされたマグカップや抱き枕、劇中に登場する小物やアクセサリーなどの創作物は、同人誌やweb上のファンアートとは異なりダイレクトに公式商品と競合しうるため、多くの企業が実際に制限をかけていることは二次創作を楽しむ者であれば知っているべきことだろう。

とにもかくにも、以上のメリット/デメリットの関係で、本来「著作権侵害」という違法行為が権利者側によってある程度容認されているのである。

 

 

3. 何故二次創作は「黙認」という形がとられるのか?

 

前節では著作権保持者側にとってもファンによる非公式な二次創作活動に色々なメリットがあり、簡単には禁止できない旨について述べたが、では著作権保持者が二次創作活動を公式に認めているかと言えば、ほとんどの場合そうでなはない。それどころか、文章上は厳しく「禁止」している権利者も少なくない。

 

以下に二次創作活動の禁止を明文化している企業をいくつか列記する。

 

講談社の出版物はもちろん、講談社のホームページ上の画像・文章・漫画・キャラクター等もすべて著作物です。こちらは著作権法によって権利が守られていますので、以下のような行為をすることは禁じられています
3.出版物やホームページ上の画像・漫画・キャラクター等を使用・改変してイラスト・パロディ・画像等を自分で作成し、掲載すること。
https://www.kodansha.co.jp/copyright.html

小学館の出版物および、小学館関連サイトで提供している画像・文章・漫画・キャラクター等の著作権は、著作権者に帰属します。
著作物は、著作権法や国際条約により、以下のような行為を無断ですることは禁じられています。
・出版物やサイト上の著作物を要約して掲載することや、その著作物をもとにした漫画・小説等を翻案作成して掲載・頒布すること。
https://www.shogakukan.co.jp/picture

芳文社はインターネット及びイントラネット上において、当社の出版物を以下の行為に使用することを禁止しております。
・キャラクターの自作画(イラスト・パロディなど)を掲載すること。
http://houbunsha.co.jp/copyright.html 

サンライズ作品をもとにしてご自分で制作された小説やイラストでも、サンライズが許諾していないかぎりインターネット上では、ご使用頂けません。
http://www.sunrise-inc.co.jp/policy/copyright.php

 

加えて言えば、上記企業のように明確に二次創作を禁止していないまでも、二次創作を公式に認可している企業はあまり多くはない(一方で、ある程度の二次創作ガイドラインを示し「この範囲内であれば認める」と公式にアナウンスしている企業も最近では増えてきてはいるのだが)。

 

しかしながら、二次創作について明言を避けている企業は勿論のこと、上記のように強い禁止ガイドラインを敷いている企業のコンテンツであっても、二次創作物は有料販売、無料公開、紙媒体、web上問わず膨大に見つけることが可能であり、ガイドライン通りに二次創作活動が禁止されている形跡は全くと言って良いほど無い。上記企業の中には人気二次創作同人誌を正式なスピンオフ作品として採用し、自社雑誌で連載させた出版社すらある。

 

つまる所、公式には無許可の二次創作活動を禁止、ないしは公認していないものの、実態としては二次創作活動のほとんどは見逃されており、実質上許可しているのとさほど変わりない状況が保持されているのだ。
オタク文化において二次創作活動は概ねこのような「黙認」と呼ばれる消極的容認によって慣習的に守られている。
(近年ではSNSを通して編集者や企業関係者らが薄っすらとした許容ガイドラインについて発信していたりもするが、HPの公式文書にはまで反映されている例は少ない。結局は「公式には禁止」「実態としては黙認」という構図をあまり変えたく無い所が多いようだ)

 

しかしながら、一体何故このような回りくどい「黙認システム」が二次創作文化においては用いられているのだろうか。それは、逆に数少ない実際に禁止された二次創作物の例を当たることでその理由が薄っすらと見えてくる。中でも権利者側が禁止するに至った理由まで詳細に開示されている以下の例を紹介しよう。

 

ドラえもん最終話同人誌問題 - Wikipedia

 

ここでは小学館ドラえもんの二次創作同人誌作者に対して著作権侵害を通告しているが(告訴ではなく作者は逮捕された訳ではない点に注意。最終的には謝罪と在庫破棄および売上金の一部支払いをもって事件化に至る前に和解している)、その理由について小学館知財管理課は以下のようにコメントしている。

「装丁もオリジナルと酷似し、本物と誤解した人もいる。『ドラえもん』はいわば国民的財産で、個人が勝手に終わらせていいものではない。1万3000部という部数も見過ごせなかった」

本物と誤解される危険性と売り上げの大きさとの合わせ技であることが示されている。また、前者の件に関しては、作者以外の第三者がWeb上に無断で公開しており、この際に作者名の記載された表紙や裏表紙が省かれたため、読者の誤解を加速させた点も記事中では指摘されてもいる。
すなわち、絵柄、作風、売り上げ、拡散の仕方等、複数の要因が絡み合った上での総合判断として、著作権侵害通告に踏み切られた訳だ。そのため、本事例から多少の教訓を得ることは出来ても、小学館作品(ないし藤子・F・不二雄作品)の二次創作における明確な線引きを見出すことは難しい。

 

他にもいくつか権利元から通告を受けた二次創作物の事例はあるが、いずれの例も他の黙認された二次創作物と比較して明確なアウト理由がハッキリ存在している場合はほとんど無く、概ね複数の要因の総合判断であると推測される事例がほとんどである(そもそも何が不味かったかが当事者ら以外に開示されている事例自体があまり無い)。

 

ザックリ言ってしまうと、二次創作活動一般については権利者側としても色々なメリットがあるため禁止したくはないが、悪質な二次創作活動については取り締まりたい、というのが権利者の本音な訳だ。しかしながら何が悪質な二次創作活動かはケースバイケースの総合判断となるため、明確なガイドラインは引きづらい。また明確なガイドラインを作った場合、萎縮効果が発生して二次創作活動が沈静化するのも嬉しくないし、下手をするとガイドラインの穴を突いたような望ましくない二次創作物が出現する可能性も否定できない。
その結果として「実態としては概ね黙認するが、公式には全面的に禁止しておいて、悪質と判断されたものについてはいつでも権利侵害を問えるようにしておく」という状態が最適解の1つとして採用されているのである。

 

加えて言えば、二次創作活動を公式に認めている権利元であっても、実際のところガイドラインは「常識的な範囲内」や「非営利なファン活動と認められる場合」などの不明瞭な文面を用い、権利元による恣意的な運用が可能なように制定している所が支配的である。実態として言えば、明確に禁止する声明を出している企業も限定的に容認する声明を出している企業も、二次創作活動に対するスタンスはそこまで大きく変わらない場合がほとんどである。
どちらにせよ「権利者にとって迷惑な二次創作は禁止したいが、どんな二次創作が禁止対象かについては事後的に決定したい」というのが多くの権利者の概ねの総意なのではないだろうか。

 

(ちなみにサンライズの場合、上記のweb上での二次創作全面禁止ガイドラインが最初に発表された時は「ただし有料プロバイダ『ひのぼりドッとネッと!』でのHP掲載のみ例外的に許可」という形がとられていた。2000年当時はまだまだネットの一般普及黎明期であり、二次創作も個人サイト全盛時代であった。割と本気で自社プロバイダー囲い込み戦略としてweb上での二次創作を禁止しようとしていた節があったりする)

 

ただし、前節の話と同様、以上の議論は概ね漫画小説イラスト辺りの二次創作物に限定した議論であり、それ以外の種々のグッズ等に関してはまた話が別である点には注意が必要である。
特にフィギュアの場合は、同人誌文化とは全く逆で黙認システムは採用されておらず、権利者のチェックを経た上でイベント当日に会場でのみの売買が許される「当日版権」が与えられるシステムがとられている。造形界もまた漫画業界同様、二次創作文化圏が重要な人材供給源となっている一方、創作物が公式が販売するフィギュア商品と競合しているため、権利者側にとっては活気が失われるのは困るが、市場規模は一定内に留まっていて欲しい、という思惑がある。この当日版権システムはそのための折衷策なのである。
(とは言え、このシステムもネットオークションが市民一般に広くインフラツールレベルで行き渡った昨今では転売屋の格好の的となってしまっており、そろそろ限界に近いように個人的には思える。そもそも現代のようにあらゆる情報が一瞬で日本全土はおろか世界全体まで一気に拡散する情報化社会において、「東京の特定会場において1日のみ販売される高額商品」という存在自体に無理があるような気はしないでない。転売屋を介さない地域格差の是正案が何がしかあれば良いのだが……)

 

閑話休題
二次創作文化はこうした黙認システムの下でこれまで発展し、これによりファンは概ね自由な二次創作活動を楽しむことができ、権利者も最終的な権利行使の自由度をできるだけ確保したまま二次創作活動のメリットを得られる、というWin-Win関係が築かれている訳だ。

 

のだが、この「黙認システム」に欠点が無いかと言えば、率直に言って大いに存在する。ちょっと考えれば分かる話だが「明確な基準が存在しない」という状況下で大なり小なりトラブルが発生しないはずがないのだ。
より厳密に言えば、黙認システムを採用している限り定期的な発生は諦めて受け入れざるを得ない類のトラブルがいくつか存在する、という言い方ができる。黙認システムには原理的にカバー不可能な限界領域がかなり広範かつ歪に存在しているのだ。

 

という訳で次節以降、ようやく本題の「二次創作文化における黙認システムの限界領域」について述べていきたいと思う。

 

 

4. 狼少年化現象

 

同人文化が以上のような黙認システムの上に成り立っているため、権利者側の多くは二次創作について具体的に発言したがならないのが普通だ。特に個別の二次創作物の可否については問い合わせられてもほぼ確実に回答は返ってこない。
「聞かれても良いとは絶対に言えないので、個々人の判断で上手くやってくれとしか言えない。問い合わせを受けても定型文でしか返せない」という類の二次創作物に対する発言が、出版社やアニメ会社の関係者から度々発せられている。

 

そのため、概ね二次創作文化圏では「公式に問い合わせる」という行為は無駄に終わるだけでなく、権利者側に余計な対応コストを割かせてしまうことから、あまりマナーのある行為とは見られていない。というより、半ば「絶対のタブー」視までされているのが現状だ。
(このファンの間でのタブー形成もまた二次創作文化における問題の1つだと筆者は考えているが、詳しくは次節で述べるとする)

 

少なくない企業が実際の運用とは異なり表向き二次創作について全面的に禁止しているのは繰り返し前節で述べたが、つまる所、良識ある二次創作活動者はそうした企業の声明があくまで建前、もっと直接的に言えば「嘘」である事を了解して二次創作文化を楽しむのがマナーとされている訳である。
が、そこに実は小さくない問題が潜んでいる。

 

それは「嘘なのか本当なのか判別できない」という本質的な問題だ。

 

二次創作活動者の多くは概ね企業のこうした「嘘」を「嘘」であると承知しているものの、実際には同人文化に触れるようになって間もない若いオタクらの中には、そうした暗黙の不文律を知らない層も一定数存在する。そのため、ネット上では「◯◯の作品は二次創作が禁止されている!」と公式HPに以前から掲載されていた定型文が二次創作文化への理解が浅い層の間で騒ぎになり、その騒ぎを伝聞で聞いた者達が「あの企業の作品で二次創作が禁止されたらしい」と誤解してさらに騒ぐ、というトラブルが定期的に発生している。
(また、こうした騒ぎの発生源には、特定ないし不特定の二次創作者らに対する妬み嫉みなどから、意図的に騒いで二次創作者らを犯罪者扱いするのを楽しんでいる者がいる場合もある)

 

ただし、こうした騒ぎ自体はそもそもが実態と乖離した「建前」を使用している以上一定確率で起こるのは仕方ない話であり、逆にこのような騒ぎそのものが若いオタクらが二次創作文化における黙認システムの実態について学ぶ機会となっている節もある。騒ぎは騒ぎであるものの、実害はそこまで存在しないと言える。

 

問題なのは、権利者側の「二次創作の禁止」が経験則に照らし合わせても本気なのか嘘なのかを判別する材料が乏しい場合である。

 

絶好例として二年前に人気が急騰した、「エレン先生」の存在が挙げられる。

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エレン先生とは東京書籍が発行している中学校用の英語教科書に出てくる外国人教師のキャラクターだ。そのイラストの可愛らしさから突如人気が爆発し、主にtwitter上にて大量のファンイラストが多くの絵師の手によって投稿された。
そんな中、実際に東京書籍に問い合わせをしたtwitterアカウントが出現し、東京書籍から「二次創作物においても利用許諾申請書を提出する必要がある」という旨の返答を受け、それをtwitter上で公開したのだ。
この時、問い合わせを行った等のtwitterアカウントに対して、少なくない数のオタクらから「二次創作に対する公式への問い合わせはやってはいけないタブー行為だ」として非難が集中する事態へと発展した。

 

これが従来自社作品の二次創作物を黙認してきた出版社が相手であれば、前述の「黙認システムについて無知なオタクが騒いでいるだけ」という話であり、当該アカウントが非難されるのも「いつもの事」で済んだ訳だが、エレン先生の場合は事情が大きく異なる。
東京書籍の場合、自社商品が広く二次創作活動の対象となった過去自体が皆無であり、建前としての許諾制なのか本当に許諾して欲しいのかを判別する経験知が存在しないのだ。加えて言えば、エレン先生が登場する「NEW HORIZON」は商業的なエンタメ作品ではなく、あくまで公教育における教材である。オタク文化圏で人気が加熱することに出版社としての確たるメリットが無いどころか、エロ文脈で消費されることは教育商材のイメージキャラクターとして大いにデメリットが存在するとすら考えられる。
エレン先生の場合、公式からの禁止メッセージが本音としての禁止である可能性が十二分に存在するのだ。

 

この騒ぎを受けて東京書籍の公式ホームページにて正式に許諾申請を求める公式発表を行い、結果的にネット上でのエレン先生ブームは一旦沈静化した形となった。当年のコミケでも同人誌の発行はほとんど見られなかったらしい。
一方で、後日ネットメディアが東京書籍の法務にインタビューをとったところ、最後まで「許諾の無い二次創作は禁止」とは明言しなかったという話もある。
結局のところ今もってエレン先生の二次創作に関しては、「実際に許諾が必要」なのか「許諾無しでも悪質でないものは黙認」なのか、定かでないのが現状なのである。

withnews.jp

 

もう1つ好例として挙げておきたいのがこの記事執筆のきっかけともなったSSSS.GRIDMANの件である。
この件を時系列を追って説明すると、まず円谷の公式ホームページにおける二次創作禁止文章を発見したtwitterユーザーが、twitter上でそれを広め注意喚起をし始めた。円谷のこの声明は数年前からある定型文であり、これだけなら例によって例のごとく「無知から来る空騒ぎ」でしかなかったのだが、その数日後、実際にとある二次創作者が有料公開していたSSSS.GRIDMANのイラストおよび漫画が円谷からの警告で非公開となったのである。

 

「グリッドマンの円谷プロから二次創作を禁止する回答」を報告するオタクが炎上「同人が潰された」「公式に問い合わせる馬鹿のせいで…」 - Togetter

グリッドマンのファンアートを有料公開した絵師、アンチに通報されて公式に警告される - Togetter

 

SSSS.GRIDMANは短期間に人気が高騰した作品であり、女性キャラ人気も高いことから冬コミの新刊候補としていた同人作家も多数いたと考えられる。この件によりネット上で不安を感じた二次創作者達から円谷に多くの問い合わせが発生した。
警告を受けた二次創作物が、単なる悪質な特殊事例だったのか(一般に二次創作文化ではweb上の電子販売はタブーと(あまり根拠無く)されている。この話についても詳しくは後述する)、それとも全面的に二次創作物の有料販売が禁止されているのかが、この時点では判別がつかなかったためだ。

 

この多数の問い合わせを受けて、SSSS.GRIDMAN製作委員会は公式ホームページにおいて「二次創作物のガイドラインに関して」のページを作成し、「二次創作については悪質なもの以外黙認する」「個別作品の問い合わせについては対応しない」という旨の声明を出した。これも二次創作に対する企業スタンスとしては定型文に近い内容である。

gridman.net

この件に関しては、短期間で製作委員会が円谷の公式声明を翻す発表を行ったため、既に騒動は沈静化しているものの、「公式の全面禁止が建前/嘘か本音かわからない」という黙認システムの欠点が如実に現れた事例であったと言える。

 

他にも近年発生した特殊な例としては、実在の競走馬を萌えキャラに擬人化した「ウマ娘」が、放送終了直後に公式サイトにて注意喚起を行うといった事態があった。公式ページには「キャラクターならびにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです」とある。

umamusume.jp

この文言自体は二次創作ガイドラインとしてはこれまた定型文に近い内容ではあるのだが、この定型文を最終回の放送終了直後に大々的に発表することにより、「通常のアニメ作品と比べてアウト/セーフの線引きが大幅に引き上げられている」ということが暗示されている。これによりウマ娘に関しては実質的にエロ二次創作は禁止されたものとファンらには認識された。
しかしながらその一方で、「明確に禁止された訳ではない。二次創作は元々暗黙の了解で成り立っている。『配慮してやれ』といういつものメッセージだ」と主張する者らも少なからず現れた。実際のところ、「陵辱モノはダメだけど、ちょいエロラブコメくらいなら可」や「有料同人誌ではアウトだが無料公開ならエロも可」などの判断がなされる可能性も確かに存在しており、ここでもやはり「本音が分からない」という黙認システムの原理的限界が問題をややこしくさせている。

 

少なくない企業の掲げる「二次創作禁止」は、基本的には建前であり「嘘」である。それは権利者側と二次創作者側がお互い様で上手くやっていくための善意の「嘘」である。
しかしながら、嘘をつき続けていることそのものには違いなく、皆がそれを嘘であると認識しきってしまうと、その結果、嘘でない場合ですら嘘だと見なされる自体が避けられない(もしくはその逆に「今回は実は本当なのでは?」という疑心暗鬼も)。善意の狼少年化が発生してしまう訳だ。

 

この狼少年化現象は黙認システムを採用している限り明快に解決しうることは無い。結局のところ問題一つ一つに個別に対応するしかないのである。

 

(ただ、SSSS.GRIDMANの事例を見る限り、今度は全面的に禁止するのでなく、最初から「二次創作については我々が悪質なものと判断したもの以外は基本的に黙認する」というスタンスを明らかにする企業が増えるのではないかと個人的には予想している。今の時代、公式声明と実際の運用が著しく異なる状況をいつまでも続けることに大きなメリットは無いのではないだろうかと素人ながらに思う)

 

 

5. 「5匹の猿」化現象

 

「5匹の猿の実験」という寓話がある。詳細は以下を参照されたい。

dic.pixiv.net

要するに最初は何がしかの理由があって形成された社会規則が、その理由から独立して「規則を守ること」そのものが目的化され、最終的に実際上の意味性を持たない空虚なルールへと形骸化していく、という話だ。
(ちなみにこのような実験が実際になされたという事実は無く、疑似科学の一種であるとされるが、人間社会を戯画化した寓話として優秀であるため色んな場面で頻繁に引用される)


再三述べた通り、二次創作文化は明確なルールを設けない形の黙認システムが基盤にある。唯一のルールは「権利元に悪質と判断されるような二次創作物はアウト」という1点だけだが、ある二次創作物が権利元に悪質と判断されうるか否かの確証は、究極的には実際に権利元に悪質と判断されたかどうかでしか得られないという難しさがある。

 

そのため二次創作者らは、どのような二次創作物であれば権利元から悪質と判断されないかを過去の経験則から推測しながら活動しなくてはならない。
そのため当然のことながら、不勉強であったり見通しが甘かったりする人間が権利元から警告を受けたり販売の差し止めを食らったりする事件が定期的に発生し、それはそれで問題ではあるのだが、ここではむしろそれとは逆相の問題について論じてみたい。

 

二次創作者の多くは自分自身の創作物の安全性にだけでなく、同ジャンルにおける他の創作者らの手による作品の安全性についても一定以上気を配る傾向にある。これは悪質な二次創作物の取り締まりが多発した場合、都度都度の対応コストを嫌った権利者が一括して二次創作の禁止に名実ともに乗り出す可能性があるからだ。
このため二次創作界隈は、ジャンルによってその度合いは違うものの、大なり小なり相互監視的な気風が存在する。「ジャンルの危機」という合言葉の下、特定の二次創作者が多数のオタクらから批判を浴びている姿を定期的に見かける。

 

それ自体は別に悪いことではない。
黙認システムは原理上、その文化の構成員一人一人に一定以上のリテラシーが要求される。オタク同士による相互監視・相互批判は、言い換えれば内部での教育学習システムと見なすこともでき、自浄作用が働いている証拠でもある。
問題は、根拠が薄弱なルールが慣習的に絶対視され、それに基づき明確な問題行動を起こした訳では無い人まで無闇に吊るし上げやネットリンチを受けている光景が、度々見受けられることだ。

 

前節において「公式への二次創作物に関する問い合わせ」がオタク達の中で半ばタブー視されていることについて触れたが、これは好例の1つである。
公式への問い合わせが多くの場合、実質的に意味を持たない行為である事は前節でも述べたが、逆に言えばその行為により発生する実害と言えば「権利者が答えの無い質問に対して無駄に対応させられた」という程度のものでしかない。(もちろん、問い合わせが多くなればそれはそれで馬鹿にならないコストが強いられてしまう訳でもあるが)
しかしながらこの「公式への問い合わせ」に対して、何故かその実害範囲を大きく超えて強くタブー視している人も多く、中には「ジャンル崩壊に繋がる」とまで声高に叫ぶ人も存在する。しかしながら筆者が見る限り、そうした論理にあまり強い説得力は無く、何らかの飛躍があるように思える。

 

さらに加えれば、前節で例として挙げた通り、実際に公式への問い合わせが何らか意味を持つような状況が少数例として存在するのだが、そういった場合においても「公式への問い合わせ=タブー」という図式を持った人々により実行者が非難されている光景が見られた。
これなど正にルールを守る事そのものが目的化し、ルールの目的自体がおざなりになってしまった典型例ではないだろうか。

 


もう1つ最近の例を挙げると、去年の秋にあった真木よう子コミケ参戦騒動が記憶に新しい。

togetter.com

女優である真木よう子が出版社を通さない写真集を企画しコミケ参加を表明したのだが、その内容があまりコミケでは見られない内容であることや、単純に有名芸能人のサークル参加への不安感などからSNSで批判が盛り上がり真木よう子のアカウントは炎上し、結果的にコミケ参加の辞退表明をもって終息した騒動だ。
この時の真木よう子への批判自体は玉石混合で、炎上全体の正当性についてはなんとも言えない所があるが、この際「コミケについて分かっていない」として受けた批判の中に「5匹の猿」的な形骸化ルールが見られた。
その内の1つが「コミケは販売でなく頒布」論だ。

 

コミケにおいて「販売」という単語を使うのはタブーであり、「頒布」と表現しなくてはならないと主張する者が多数現れ、真木よう子が「コミケでこうした写真集を販売したい」と発言したことを「コミケに対する勉強が足りない証拠だ」として批判材料としたのだ。
この主張自体は古くからコミケについて語る際によく見られたものであり、私自身も何度か同人イベントでサークル側として参加した際には同様に「頒布」と表現していた。
しかしながら、真木よう子騒動が起こった際に筆者がweb上にて調査を行った結果、コミケ準備会ですらカタログ中で「販売」と表現しており、実態としてそのようなルールやマナーに根拠がないことが判明した。

togetter.com

 

二次創作界の場合、黙認システムの「明確な基準が存在しない」という特性上、どうもこれらのような一部の人間の願掛けやゲン担ぎ程度の意識から始まったと思しき慣習が、いつの間にか厳格なルールやタブーかのように扱われるようになる、という状況が起きやすいらしい。

 


もちろん中には相応の根拠が存在するタブーもある。
例えば、特定の企業を指して「◯◯はパロディに厳しい」と評される場合である。その代表例が任天堂だ。これは過去にポケモンのBL同人誌を通信販売していた同人作家が実際に任天堂から著作権侵害を訴えられ、最終的に同人作家が逮捕されるにまで至った事件があったことに起因する。

dic.pixiv.net

この事件を根拠に任天堂作品については「同人誌が認められていない」「エロはアウト」「BLはアウト」などとまことしやかに語られることが多いが、実際のところこれは実態に即していない。現在ポケモンを含む多くの任天堂作品の二次創作同人誌が様々な同人イベントにてエロもBLも含め幅広く販売されており、それどころかポケモンスプラトゥーンオンリーイベントなども頻繁に開催されているのが実情だ。

 

過去に起こった同人作家の逮捕事件そのものに関しては、その経緯や原因に不明な点も多く、現在では半ば都市伝説化している面も多分にあり、何がしか論じることは迂闊にはできないが、とにもかくにも任天堂は現在では自社作品の二次創作に関して特に厳しいという訳ではなく、他の大多数のアニメ漫画ゲーム作品と概ね似たような基準で認められていると考えて良い。
こういったタブー論などは、過去には明確な理由と根拠があったものの、それが無くなった後でもタブーだけが語り継がれるという意味で、極めて「5匹の猿」的な事例であると言えよう。

 


ここからは私の独自意見がかなり入る話となるので異論反論のある人も多くなるかも知れないが、こういった独自風習の中でも最も根が深いのが二次創作物における「二次創作活動は非営利でなくてはならない」論ではないかと筆者は考えている。

 

この主張自体は全く根拠が無い訳ではない。それどころか公式側がガイドラインに盛り込んでいる場合が多いことから、二次創作物のアウト/セーフの線引き議論の中でも最も強い根拠があるものと一般には考えられていると言っても良い。公式ホームページのガイドラインや雑誌編集者のSNSによる発言まで含め、実際の権利者からの「非営利的なファン活動の範疇であるなら黙認する」という類の発言例は枚挙にいとまが無い。(正確には「営利目的と判断される場合は販売差し止めなどの措置を取る」というネガティブルールである場合が多いが)
要するに「儲けようとしてなければOK」ということだ。

 

しかしながら、現状における実際の二次創作物に対する対応を観測する限り、営利性/非営利性が二次創作物のアウト/セーフラインとなっているかと言うと、余りそうなってはいないというのが現実である。(にも関わらず、二次創作議論ではこの点が大っぴらに指摘されることは何故かほとんどない)

 

あくまで同人界全体では極々一部であるとは言え、「大手サークル」と称される同人サークルが発行する二次創作同人誌の場合、発行部数が数百部を優に超えるものがザラにあり、コミケ会場だけでなく全国展開された同人ショップでの委託販売、全国通販、果ては電子書籍販売まで存在する。
参考までにダウンロード専門のオタクショップサイトであるDLsiteにおける、成人向け同人誌の電子販売状況を載せる。

www.dlsite.com

累計DL数ランキングを載せているが、TOP100作品の中には数作程の二次創作物が存在し、そのDL数から単純計算により弾き出される売上高は1000万円を超える場合すらある(加えて言えば、この売上高はDLsiteのみの累計であり、DL販売型同人誌の多くは複数のダウンロードショップで販売されている)。

 

これらの例は流石に二次創作界でもイレギュラーな最高位例に過ぎないが、大手サークルの多くは常態的に1冊の同人誌で数十万円を超える利益を上げている。有名同人作家の中には二次創作同人誌の売り上げだけで食っている専業同人作家まで存在するのだ。
これらの状況を「非営利」=「儲け目的でない」と表現するのは率直に言って無理がある。このような状況が放置、すなわち「黙認」されているという現状が、二次創作活動の営利/非営利の差が権利者側からのアウト/セーフ基準としてほとんど機能していないということの証左である。

 

だがしかし一方で、営利性/非営利性がアウト/セーフ判断の中で全く考慮されていないかと言うとそれもまた違う。事実、本稿3節にて挙げたドラえもん最終回同人誌の件では、法務担当者からハッキリと発行部数の多さが問題視される理由の1つであったことが明言されている。

 

筆者の観測範囲に限った独自判断に過ぎないが、状況証拠的に言えば、公式側の二次創作物に対するアウト/セーフの判断は、その二次創作物単体の営利性/非営利性にあるのではなく、主体はむしろ公式側の商品展開にあるのではないかと思う。
ザックリ言えば、「公式の商品展開とバッティングする可能性があるかどうか」が判断基準となっているのではないだろうか。どれだけ大量の部数が販売されて明確な営利性があっても、その二次創作物が明らかに第三者のパロディであると理解できて、かつ公式の商品展開に対してネガティブな影響を与えないと見なされたら黙認されている。そういった力学が働いているように思う。営利性が明らかに見て取れる多くの人気同人誌が黙認されているのも、この理由であれば説明しやすい。
上述のドラえもん最終回同人誌に関しても、発行部数と共に「本物と勘違いする人が多発した」という点が重視されていることも改めて述べておきたい。

 

推測するに、「公式の商売の邪魔になるものはアウト」というのが根本原則であって、その構成要件として「営利性が発生するくらい数が出ている」という条件が含まれる、というのが実情ではないだろうか。営利性の高い同人活動がその原則に引っかかる可能性を高めることはあっても、営利性が高い事そのものをアウト基準に使っている企業は現在ではほとんど存在しないように見受けられる。

 

実際、FGOで今をときめくTYPE-MOONの場合、二次創作に対するガイドラインにおいて同人グッズに対しては「非営利の範疇で行うこと」としながら、同人誌に対してはそうした文言を使用していないことから、二次創作同人誌については営利販売も暗に認めているという節がある。

www.fate-go.jp


今後はこの辺りも実情にある程度即したガイドラインへと各社変化していくのではないかと個人的には推測しているのだが、実際にどうなるかは全くの未知数である。

ごくごく個人的な感情でものを言わせてもらうなら、一部人間による人気同人作家に対する妬みからの嫌がらせの口実として「営利性」のキーワードが都合よく使われている節があるので(「営利活動じゃないか」「非営利だと言うならタダで公開しろ」などと粘着する人がいるのだ)、できれば営利性の有無を重要視しているかのようなガイドラインは改善して欲しくはあるのだが...。

 


さて、上記の推論からもう少し発展させて、これまた広く二次創作界でタブー視されている事例について議論しておきたい。
本節上記でも少し触れたが、二次創作物の電子販売である。

 

二次創作漫画やCG集の電子販売に関しては、「二次創作は元々グレーゾーンだが、電子販売は完全に黒でアウト」という言説が非常に根強く存在している。理由としては「二次創作物を有料で販売する際に『これはファン活動の一環として作成した二次創作を、印刷費を必要経費として同好の士からカンパしてもらってるだけ』という『建前』を作ることで紙媒体の同人誌は見逃してもらっているからであり、電子販売ではそうした建前が存在しなくなるからだ」という類の論理をよく目にする。
しかしながら、「電子販売は紙媒体より営利性が高く見積もられる」という論理はともかく、「紙書籍は印刷費が建前となるから許されている」という論理を公式側の人間が発言している所は少なくとも筆者の観測範囲では一度も見たことがなく、単なるユーザー間の推測の域を出ないと言える。さらに言えば現実的に印刷費を大きく超えて利益を出している紙媒体の同人誌が大量の存在する現状に鑑みれば、こうした論理の空虚さは明白である。
率直な意見を言えば、二次創作を通じたfanboxへの誘導やDLsite等での電子販売を非として、全国チェーンショップで千部以上を卸す同人誌は是とする論理を、詭弁以外の論法で構築するのはほとんど不可能に近いのではないかというのが個人的な感想である。

 

電子販売を非とする根拠が存在しない訳ではない。
一例としてよく挙がるのが名探偵コナンの同人誌を電子販売していたとある同人作家が小学館から警告を受けた件だ。係争スレスレになりながら最終的には電子販売の中止および全在庫の処分、今後小学館関連の同人誌を発行しない旨の誓約を取り交わした上で和解となったとのことだが、この件が電子販売アウト論の根拠として度々持ち出される。

megalodon.jp

しかしながら、ネット上ではこの件について「電子販売を行っていたから」が大きな理由と推測(というより断定)されているものの、私が調べた範囲では現在web上で検索可能な限りでは明確な根拠は見つからなかった。このコナン同人誌の件はドラえもん最終回同人誌の件とほぼ同時期に発生したものだが、ドラえもんの例を見る限り、販売数の多さが問題視の理由の1つであり、かつ販売数の多さが電子販売したことが原因となっている可能性は大いにあり得るものの、短絡的に「電子販売したからアウト」と判断するに足る確たる理由は存在しないように思う。

 

また、去年ファイナルファンタジーの作中に登場する料理を再現したレシピ本同人誌がスクウェア・エニックスからの要請を受けて発売禁止となった件で、これまた電子書籍版が存在したことが理由の1つでは無いかと推測されている。

kultur2.blog.fc2.com

しかしながらこの件についてもその推測はかなり根拠薄弱である。と言うのもDLsiteやFanzaで検索すれば分かるが、FFやDQの二次創作物の電子販売はかねてからかなり広範に行われており、そのほとんどが特に販売停止ともならずに数年以上経過している。中には上述した通り単純計算で数百万円に上る売上高を誇る作品も存在している。
状況証拠として、スクウェア・エニックスは自社作品の二次創作物について、電子販売を実質的に黙認していると判断可能であるのだ。
件の発売停止となった同人誌については、「クオリティが高すぎて公式本と勘違いされる恐れがあったから」辺りが理由と見なすのが蓋然性が高いのでは無いだろうか。(その中に加えて「電子書籍化もしてるし」という付加的な理由があった可能性については十分ありえるが)

 

そもそも、DLsiteをはじめとするダウンロードショップサイトで実際に検索をかけて見れば分かるが、二次創作同人誌の電子販売はかなり広範なジャンルで行われている。
ジャンプ漫画、スクエニ任天堂TYPE-MOON、艦これ、刀剣乱舞プリキュアシリーズ、電撃文庫、etcetc
およそ二次創作人気の高いオタク作品のほとんどが、ダウンロードショップサイトで二次創作物の電子販売が行われている。
元々の二次創作文化における黙認システムに鑑みれば、それらの二次創作物が現状で販売差し止めを大々的に受けていない以上、事実上公式から黙認されてると認識するのが自然なのである。

 

ただし、意見を後退させるようだが、この状況が永続的に続くかと言えばそれは分からない。明日にでも大手企業が一斉に二次創作物の電子販売を禁止し始める可能性もある。
ここからはさらに筆者の推論が多く含まれるのだが、端的に言って、二次創作物の電子販売の是非に関しては技術の発展に文化の発展があまり追いついてない部分が大きいのではないかと思われる。業界全体で「どう対応するのが最適か」がまだ結論づけられていないように見える。

 

筆者のそうした見方の根拠となっているのが、クリプトン社の二次創作物電子販売に対する対応だ。
2012年に初音ミクなどのVOCALOIDの販売元であるクリプトン社は、ボカロ同人の電子販売を原則禁止とする声明を公式に発表した。「大規模販売を極めて低コストで行える電子販売は営利性の観点から認められない」としたのだ。

www.itmedia.co.jp

このクリプトンの公式発表は二次創作物電子販売アウト論の根拠として度々持ち出されるが、実はこの話には続きがある。

 

この声明発表を受けてかなりのボカロ同人作品がDLsiteをはじめとするダウンロードサイトから撤退したが、一方で電子販売を継続し続けて作家も数多く存在し、実のところそれらの同人作品が警告を受けたり販売停止措置を受けたという話は、少なくとも筆者の知る限り存在しない。
そしてそれを追認する形で、現在クリプトンは2012年の声明とは全く逆に「作品のインターネットによる電子ファイル形態での有償頒布について」公式に許可している。

piapro.jp

つまる所、「一度は営利性の観点から電子販売を禁止してはみたものの、実情と上手く擦り合わなかったため後に認める方向に方針転換した」という訳だ。クリプトンのこの方針転換は、二次創作のアウト/セーフライン議論の中でもかなり重要な話であるように筆者は思うのだが、不思議なことに二次創作者らの間でもこの件はあまり知られていない。


このクリプトンの1例を見るだけでも、電子販売の是非に関しては権利者側も手探り状態で、判断しあぐねているというのが現状なのではないかと考えられる。電子販売を大っぴらに認めた場合の悪影響も好影響も、どこも正しく予測できないのだろう。

 

どちらにせよ、二次創作物の電子販売について言えるのは「公式から止められるリスクが紙媒体に比べて比較的高めである可能性がある」くらいがせいぜい関の山であり、「紙媒体ならグレーゾーンだが、電子販売は完全に黒」という主張は状況証拠的に言ってほとんどデマに近いと言って差し支えないのだ。

 


と言うより、だ。
そもそもが二次創作物に関しては、グレーゾーンという表現自体が厳密には不正確であり、基本的には全て黒(違法)であり、権利者の胸先三寸で実際に罪に問われたり問われなかったりする、というのが正確な話なのである。
権利者による二次創作の差し止めは全くの独断かつ恣意的に行えるのであり、極端な事を言えば、あるプロの漫画家が個人的な私怨を理由に、特定の二次創作者を訴える事も十分可能なのだ。それが日本の法律で定められた著作者の権利である。

 

で、あるならば、なんらかの二次創作行為に対し「これこれはセーフ」「これこれは完全に黒」などと非権利者が断言すること自体が、二次創作文化における黙認システムについて理解が浅い行為だと言わざるを得ない。
我々公式外の人間にできるのは精々が過去の経験則や状況証拠からの推論のみであり、その推論すら時代の変化と共にいくらでも変わっていく根拠薄弱なものなのである。


そして、であるからこそ、二次創作文化圏では「5匹の猿」化現象が定期的にどうしても発生してしまう、という話でもあるのだ。

 

 

6. カナリア必要論

 

さて最後に、黙認システムが原理的に抱えるもう1つの問題点について述べよう。

 

黙認システムの下では二次創作のアウト/セーフの線引きに明確な基準が存在せず、二次創作者らは各社各作品ごとの明文化しえない基準を過去事例からの経験則から判断するしかない、という事実についてはこれまでの議論で理解して頂けたのではないかと思う。

 

しかしでは、過去の事例からは判断しえない二次創作に関してはどのようにアウト/セーフを見極めれば良いのだろうか? その答えは至極当然かつ簡単な話で、そういった場合の見極めは「実際やってみる」以外にほとんど方法は存在しない。実際にやってみて警告や差し止めを受けるようならアウト、受けなければセーフだ。
身も蓋も無い話だが、現行の黙認システムでは実際それ以外に方法が無いのだ。特に現状のように、建前としての全面禁止をしている企業も少なくないような状況では、二次創作が禁止されていたとしてもそれがどの程度本気の禁止なのかが実際に事を起こしてからでなければ分からないのである。

 

つまるところ、二次創作文化には原理的に「他者に先んじて二次創作を行い、その二次創作活動が安全かどうかを確認する」という「カナリア」的な存在が必要なのだ。
そして二次創作者の多くは、本人が望むと望まざるとに関わらずそうした「カナリア」の危険行為から得られる結果にフリーライドせざるを得ない。

 

少し考えてもらえば何となく分かると思うが、これはかなり歪な構図である。

 

本稿第4節でも述べた通り、権利者の判断一つで全面的に禁止される可能性を内包する二次創作文化では、権利者が迷惑に感じる二次創作活動を行わないよう相互監視・相互批判し合う気風が概ね存在する。そのため、アウトかセーフかの判断が微妙な二次創作活動は一般的に「危険な二次創作」として批判されやすい。良識的で慎重な二次創作者にとっては、ジャンルごと崩壊する危険性のある二次創作に手を出す輩は「短慮な不届きもの」なのである。
前節にて「根拠薄弱である」として批判的に取り上げた電子販売アウト論であるが、「完全に黒」という断定まで行くとデマに近いが、その一方で実際にアウトかセーフか分からない電子販売の場合、「危険な二次創作」の一種として強く批判するに足る合理的理由自体はある程度以上存在しているのである。

 

しかしながら、そういった「短慮な不届きもの」らが実際に危険な二次創作活動に手を出し、それが概ね公式側から「黙認」されてしまえさえすれば、「危険な二次創作」は立ち所に「安全な二次創作」へと様変わりし、不届きものを批判していた良識派慎重派までが以降は同様の活動を行えるようになる。もちろんその逆も然りである。

 

「良識的な慎重派」が「短慮な不届きもの」の恩恵にあやかる構図が生まれてしまうのである。

 

そう言われても心当たりの無い者も多いのではないかと思うが、この構図の実例として最も大きな事例はズバリ「全国展開した同人ショップへの委託販売」である。
現在では大手サークルのほとんどが利用し、そこまで人気の無いサークルでも気軽に利用可能となっている同人ショップの委託販売であるが(ちなみに筆者も販売側として利用経験がある)、かつては営利性の観点からの是非についてかなり活発に議論されていたらしい。(残念ながらそれらの議論の記録はネット上で簡単に調査できるような状況には無く、古参オタク達からの伝聞によって知るのみである)
公式に問い合わせたところ「自家通販までがギリギリの許容範囲」と回答されたという話も聞く。暗にショップ委託を「ファン活動を逸脱した営利行為」と見なして禁止しようとしていた形跡であろう。90年代半ばから後半にかけてのことである。

 

当時、そうした議論ある中でも一部の同人作家らが同人ショップを介した一般流通に手を出し、大きなトラブルに発展しないことを確認した他の同人作家らもそれに追随した。おそらくこの流れの中で、同人ショップを利用し始めた同人作家らは少なくない批判を受けたのではないかと想像する。
しかしながら結局は時代の流れという奴で、いくつかの小規模のトラブルはあったのかも知れないが、結局のところ現在、同人ショップでの委託販売はほとんどの場合禁止されることは無く、多くの二次創作者らが気兼ね無く利用している訳である。
全国的に展開された同人ショップが、従来都市圏に限定されていた同人誌の販売経路を大幅に拡大し、二次創作文化の発展に多大な貢献を果たしたことは、今では誰もが認めるところだろう。
(なお、同人ショップを介した同人誌販売について公式に禁止していた最も近年の例はアクアプラスガイドラインであろう。ウェブアーカイブで確認すると、2013年頃までは公式ホームページ上にて「業者等第三者を介した流通」を禁じていたが、2014年に入ると一転して「同人誌専門書店での委託販売」を認めている)

 

現在の二次創作文化において、似たような状況にある例は本稿でも何度か言及している「電子販売」だろう。電子販売も現在は批判の声にさらされながらも、一部のサークルが二次創作物の販売を行っており、それに追随するサークルが増え始めている状況である。
前述の通り、業界全体で二次創作物の電子販売についてどう対応するかが全くの未知数であるため、あまり無根拠に楽観的なことは言えないのだが、個人的な感覚でだけ言わせてもらえば、電子販売に関しても同人ショップの委託販売同様、このままなし崩し的に認められていき、10年後にはほとんど問題視されない状況になっているのではないかと推測している。(これは逆に言えば、現在ほとんど問題視されていない同人ショップの委託販売も、実は電子販売と同様に、いつ全面的に禁止されてもおかしくないという話でもある)
もしこの推論が当たっていたとするなら、その頃には「電子販売は完全にアウトで絶対やってはいけない」という言説が説得力を持って広く共有されていた過去などほとんど忘れ去られていることだろう。

 

本節では個人的心情もあって、「慎重派」に対して揶揄的な筆致となってしまった嫌いはあるが、個人的心情を抜きにして客観論だけ述べれば、そうした慎重派の存在もまた無くてはならないものである。と言うより、多方面に危険領域が存在する二次創作文化圏においては、大多数の二次創作者は「慎重派」に属している状況の方が望ましいだろう。
危険な「カナリヤ」はマイノリティである方が良い。
さらに言えば、権利者側からしてみれば、そうした「カナリヤ」の存在はかなり疎ましいものであろうことは想像に難くない。実態としては短慮な「カナリヤ」達の活動は、安全領域の開拓よりも、公式にとって迷惑な二次創作を続けて警告を受ける場合がほとんどであろう。

 

しかしその一方で、批判されがちな「カナリヤ」らもまた、これまでの二次創作文化の発展において重要な役割を果たし、書き手・受け手問わず多くの二次創作愛好者が望むと望まざるとに関わらず彼らの恩恵にあやかっているという点は、押さえておいた方が良いのではないかと筆者としては思う訳である。
結局のところ、何が悪質な二次創作で、何がそうでない二次創作かがハッキリと提示されない黙認システムを業界全体で運用している以上、「カナリヤ」が引き起こす定期的なトラブルについては、それはもう業界がそのシステムの維持に支払う必要コストであると諦めるしかないのではないだろうか。

 

 

7. まとめ

 

以上、筆者の考える「二次創作文化における黙認システムの限界領域」について大きく3つの問題に分類して語らせてもらったが、しっかり読んで頂いた読者の方は私の挙げた3つの問題が相互に独立した問題ではなく、あくまで一つなぎの連続した問題における各段階ごとの分類に過ぎないことが分かって頂けるのではないかと思う。

 

二次創作文化における黙認システムは「明確な基準を設けない」という特性により、原理的に権利者らの本音が正確には見えない。そのため権利者らの公式発言すら、それが建前なのか本音なのかが簡単には判別できないという問題がある。(狼少年化現象)
本音が明確に分からないからこそ、独自ルールやタブーが二次創作者側の内輪で醸成され、その中には実態を持たない形骸化したものも含まれるようになる。(「5匹の猿」化現象)
そして、公式側の本音をある程度正確に知るためには、実際にアウトかセーフか分からない領域の、いわば「危険な二次創作」を実際に実行してみるしかないという問題があるのだ。(カナリア必要論)

 

改めて最後に述べさせてもらえば、私は本記事において現行の黙認システムを批判している訳では決してない。
黙認システムが少なくとも現状において、二次創作文化における暫定的な最適解であることに異論は無い。
本記事は、その最適解である所の黙認システムが、最適解でありながら欠点の多い歪なものであり、原理的に定期的なトラブルの多発を避けることができない、という事実認識を書き連ねたに過ぎない。

 

本稿が二次創作文化を楽しむオタクら諸君にとって何がしか一助となれば幸いである。

 

以上。あでのいでした。