ガンダム Gのレコンギスタ 第六話感想その1

第六話「強敵、デレンセン!」

 アメリア軍艦隊の本隊の為の陽動として弾道飛行をかけるメガファウナに、またも攻撃を仕掛けてくるキャピタル・アーミィ。そこにGセルフで応戦するベルリが「人生最大のミステイク」をかましてしまう、というのが今話のあらすじ。これまで何やかんやでのほほんとした話に収まっていた(かのように見える)Gレコが、六話にして遂にどす黒い本性を現し始めた、のか?


 今話ではこのアニメで初めてアバンタイトルが活用され、ベルリのナレーションによって前話のあらすじ(のようなもの)が解説される。しかしその解説もあくまでベルリの主観的なもので、解説と言うよりかむしろ感想。近年の富野アニメの前話あらすじ解説は概ねいつもこんなもので、むしろ本編にさらに情報がプラスされていたりするのでなかなか気が抜けない。

 さて本編はメガファウナの飛行シーンからスタート。船側に貼られた光の翅(初出は前話ラスト)がいかにも超技術といった趣き。これもミノフスキー技術の1つか?

 船体内ではベルリ君とノレドちゃんの歯磨き話。船外の遠景で遠い未来の的超技術を描写したかと思えば、直後のシーンではキャラクター達に歯磨きという生活感溢れる会話をさせる。こうした描写のコントラストが「数千年先の未来世界」という絵空事に血肉を与えている。

 視点は変わりキャピタル側へ。MS部隊は規模が増大し、アンダーナットは軍事基地化する。キャピタル・タワーの軍備増強が着々と進められている事が分かる。そんな中でベルリの母ウィルミットは、運行長官という本来地位のある役職でありながら、キャピタル・タワーの軍隊化の流れから完全に蚊帳の外に置かれている様子。それ所か、「一人息子を海賊の人質にとられた悲劇の母」として軍備増強の口実にすら使われている始末。権謀術数は苦手なタイプという事か。

 実際に「人質救出」の名の下にMSで出撃するのが今話の主役である強敵デレンセン。MSは前話でマスクと共に活躍したエルフ・ブルックの試作機エルフ・ブルガンダム世界では「量産機<試作機」の構図が定番だが、ブルとブルックでどちらが高性能かは何とも言えず。ただ、ここまで一貫してデレンセンはMSパイロットとして高い能力を持ったキャラクターとして描かれていたので、前話で高い性能を見せたMSに今度はデレンセンが乗り込むという構図は、ロボットアニメとして敵側を巧くパワーエスカレートさせていると言って良いだろう。

 視点はメガファウナへと戻り、MSデッキにてGセルフの新装備「リフレクターパック」がお披露目。Gセルフがリフレクターパックを背負う理由について、同じMSパイロットであるクリム・ニックは「自分の機体につけられないから仕方無くお前に渡す」と言い、整備士のハッパさんは「お前のために防御を厚くしたんだ」と告げる。で、艦長さんの真意はと言うと「陽動作戦の為に、敵の的として目立ってもらう貰う為」という腹黒い理由。ただ、では海賊達がよってたかってベルリを騙しているのかと言うとそれはまた別の話。少なくとも整備士達はベルリの無事を本心で心配しているふうであるし、アイーダGセルフを囮に使おうとするブリッジの会話を聞いてベルリを内心気遣っているようだ。ここら辺も人間関係に立体感が感じられて面白い。

 で、体よく的扱いされたベルリの方も、アメリア軍の艦隊の写真を入手したり、ノレドとラライヤに脱走の準備をさせるなど、キャピタル側の為のスパイをやりつつ、どさくさでチャンスがあれば逃げ出してやろうという腹づもりだ。緊張感無くのほほんとしているふうに見えても、お互い安易に内心は見せない。相手を自分の都合良く利用してやろうと腹の内では画策している訳である。


 フライスコップに忍び込むのに成功したノレドとラライヤだが、ヘルメットでドタバタやった後の

ノレド 「我慢するんだよ」
ラライヤ「我慢? ずっと、我慢…ずっと、ずっと…」

の会話が妙に意味深。ラライヤは元々「ずっと我慢」する事を強いられるような場所にいたのだろうか。とは言え、こうした一見意味ありげなシーンが特に意味無かったりもするのが富野アニメの一筋縄ではいかない所なので、素直に伏線と捉えて良いかどうかは何とも言えず。

 ベルリがバタバタやっている間に海賊とデレンセン率いるキャピタル・アーミィ部隊が本格的に交戦状態に入る。
 Gセルフに襲いかかるデレンセンのエルフ・ブルカットシー部隊とは逆方向から強襲をかけ、遠方からビーム斉射→接近しつつ切り離したブースターを直接ぶつける→ブースターの爆発に隠れながら迂回し別方向から攻撃
と開始早々前回のマスクとは一味違うMS乗りとしての老獪さを見せる。



 一方Gセルフの方もビーム攻撃を無効化するリフレクターパックが大活躍。前話で全身ビーム兵器が印象づけられたエルフなので、この時点でGセルフの優位性が感じられる訳だ。MSの性能差として Gセルフエルフ・ブル と描写しつつ、パイロット能力としては デレンセン>ベルリ の余地を残している。

 そしてそうした優位な状況の中で、ベルリは遂に恩師であるデレンセンを殺すという「最大のミステイク」を演じてしまう。このシーン、ネットでも多くの人が指摘しているように、第一話でベルリがデレンセンの鞭を避けた動作と相似形をなしている(私はその事を分からなかった事を白状しておく)。

 デレンセンとベルリは最後ギリギリで接触回線により相手の事を認識したようだが、その一瞬前に、確かにベルリは何かに勘付いたような表情を浮かべている。そしてドキッとさせられるのが、ベルリがビームライフルの引き金をひいたのが、そうした表情を浮かべた直後だという事だ。相手が殺しちゃいけない相手だと気付いたはずなのに、体は敵を殺す動作を自然に行う。行えてしまう。ベルリのMSパイロットとしての優秀さが、遂に自分自身への悲劇として返ってきた訳だ。



 デレンセン殺しに瞬間的にパニックになり、ベルリはかなり支離滅裂な八つ当たり台詞を1人コクピットの中で叫ぶ。だがそれで前後不覚に陥る事が無いのがまた「優秀」なベルリの性だ。一瞬前にパニックを起こしながらも、次の瞬間にはGセルフの姿勢制御を行い、大気圏突入で焼け死にそうになるクリム・ニックモンテーロを助けに向かう。この流れがまた凄い。デレンセンの命を奪った直後に、デレンセンのビーム攻撃を吸収して溜めたエネルギーを使って今度はクリム・ニックの命を助けた訳だ。恩師の命を奪った力で、本来敵である海賊の命を救う。この構図は見ようによっては「道具は使い方次第」という希望の表出にも見えるが、その一方で逆に残酷な皮肉とも取れる。
 Gレコでは「道具の使い方とは?」が大きなテーマの1つとなっているようだが、それと同時に一貫して明示的な価値判断も与えないように描かれているように思う。兵器としての側面と、道具としての側面の両側をドライに淡々と描いている。今話における「ミステイク」から始まる一連のシーンは、そうしたGレコの態度というか、姿勢のようなものが強く現れている。

 メガファウナへと戻ったベルリは自室へ籠る事で、ようやく「パニック」の続きをやれる。そこに寄り添うノレドと、不穏な様子に気付いて部屋に近づくアイーダ、何が起きてるのか分からず相変わらずチュチュミィに夢中のラライヤ、クリムら他のメガファウナクルーはベルリのパイロットとしての能力についてしか話さない。主人公の心に大きく影がおりた今回でも、やはりGレコは徹頭徹尾「群像劇」である。




(ところで、ベルリの最後の自室シーン、キャラの精神的な動揺を表すのに、揺れる瞳のアップとか分かりやすく表情を映さないカットとか、ちょっと富野アニメらしからぬ演出。コンテが斧谷稔京田知己の共同表記だが、ここら辺は京田氏の仕事だったんだろうか)

という訳でいつも通りその2に続く。