オジュウチョウサン物語 プロローグ「2014年11月15日」

 

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 この日、福島競馬場は朝から降る小雨に包まれていた。冬の肌寒さを感じる1日だった。
 この日の第4レース、障害3歳上未勝利戦にて、1頭の馬が障害競走デビューを果たす。14頭立てのこのレースで単勝オッズ99倍の14番人気。全く期待されていない最低人気だった。
 
 平地競走から障害競走へと転向することを「入障」と言う。この言葉は競走馬にとって名誉なものとは言い難い。日本の競馬体系において障害競走の価値はあまり高くはない。障害馬たちの大部分は平地競走でほとんど勝てなかった馬や、自己クラス競走において頭打ちとなった馬たちだ。日本において障害競走とは、平地で通用しなかった馬達、有り体に言えば「落ちこぼれ馬」たちのレースなのである。
 その馬もまたご多分に漏れず「落ちこぼれ馬」の一頭だった。しかし、それがどんな類のものであってもデビューはデビューである。その馬にとっての第2の馬生が始まろうとしていた。
 
 レースが始まりゲートが開くと、大外8枠14番から発走したその馬は早々に「ここが俺の場所だ」といわんばかりに最後方へと陣取る。そのままみるみる内に先行する馬群からは置いていかれ、最初のコーナーを回り向正面に着いた頃にはその差は優に10数馬身という有様だった。
 1つハードルを飛越するたび、1ハロン芝の上を走るたび、他馬との差は開く一方だった。もはや中継のテレビカメラすらその馬の姿を捉えようとはしない。場内に流れる実況アナウンサーすらその馬の名を呼ぼうとはしない。その馬がレースに参加していること自体、ほとんどの者が忘れ去っていた。
 
 その馬がようやくゴール板の前を通り過ぎたのは1着馬のゴールから14秒後、ブービー13着の馬からですら9秒離されていた。単純計算で50馬身差、距離にして100m以上に相当する。文句のつけようもない大差最下位である。
 14頭立て14番枠、14番人気。ここにもう1つ当然のように14着の文字が並んだ。結局この日、その馬はレースに参加したとすら言い難いまま競走馬としての仕事を終える。
 敗れた馬に競馬場は厳しい。勝負にもならず大敗した馬の走りに目を向ける人などそうはいない。この日、テレビカメラすら映さなかったその馬のゴールの瞬間を見ていた者は、ごく一握りであろう。
 
 数年後、その馬が同じ福島競馬場のスタンドを人の山で埋め尽くすことも、割れんばかりの拍手と歓声を浴びながら同じゴール板の前を駆け抜けることも、今はまだ誰も知らない。
 その馬がこれから歩む、挫折と暗闇の日々も、栄光の道も、ライバル達との死闘も、そして途方も無い無謀な挑戦も、その時はまだ、誰一人として知る者はいなかった。
 その馬の名を、オジュウチョウサンという。

 

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