オジュウチョウサン物語 その4 JG13連覇と剥離骨折からの復活

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明けて6歳、めぼしい有力馬とはあらかた勝負付けを済ませてしまったオジュウチョウサンにもはや敵は無かった。
始動戦の阪神スプリングジャンプでは道中他馬からの包囲網に包まれながらも全く意に介することなく快勝。そのまま本番の中山グランドジャンプ単勝1.3倍の人気を背負って出走すると、真っ向から力勝負を挑んだアップトゥデイトをあっさり抜き去ると、後方から襲撃を狙ったサンレイデュークも持ったまま突き放して先頭ゴールイン。打倒オジュウチョウサンに燃える他陣営を軒並み子供扱いする完勝であった。

これでオジュウチョウサンはJG1を無傷のまま3連覇という偉業を果たしたことになる。中山大障害コースの3連勝はグレード制導入後初のことである。
日本の競馬体系における障害競走最高峰の中山大障害コースだが、1935年から続く長い歴史を紐解いても3勝以上した馬はバローネターフ(5勝)、グランドマーチス(4勝)、フジノオー(4勝)、カラジ(3勝)、ポレール(3勝)の5頭のみ。この勝利によりオジュウチョウサンは単なる「現役最強馬」から「歴史的名馬」となったと言える。
障害馬として6歳はまだまだ若い部類である。グランドマーチス以来42年ぶりの中山大障害4連覇やフジノオー以来の障害馬による海外挑戦、オジュウチョウサンのこれからにファンは夢を膨らませた。

しかしそんなファン達の耳に「オジュウチョウサン骨折」のニュースが飛び込んできたのは中山グランドジャンプの勝利から僅か4日後のことだった。

ファンの目の前が真っ暗になりかけるも、幸い症状はあくまで軽度の剥離骨折。順調に行けば冬の中山大障害には十分間に合うとのことだった。その後も手術の成功、競走能力に影響無しとの報道にファンは胸を撫で下ろしたが、それでも一抹の不安を抱えながら夏を過ごした者たちは少なくなかった。
そんなファンの不安をよそに順調に回復したオジュウチョウサンがレースに復帰したのは10月。復帰戦は前年カラ馬に絡まれながら勝利した東京ハイジャンプが選ばれた。

レース当日、前日から続く雨により馬場はかなり重くなっていた。骨折休養明けに重馬場の障害レース、メンツも揃っていたこともあり、一番人気には支持されつつも「オジュウチョウサン本命を外すならココ」と予想を立てていた者も多く見られた。
しかしここでオジュウチョウサンは我々に衝撃的なレースを見せる。

レースが始まると軽快にスタートした6番人気タマモプラネットが大逃げも大逃げ。後続にぐんぐん差をつけると2周目の向う正面では2番手グッドスカイまでですら17、8馬身、3番手のオジュウチョウサンまでは20数馬身差というとんでもない一人旅。観客たちの脳裏にクィーンスプマンテビートブラックがよぎった。
4コーナーでグッドスカイを交わし2番手に立ったオジュウチョウサンだが、それでも先頭タマモプラネットまではまだ10数馬身。いくら直線の長い東京競馬場と言えど今日はスピードの出にくい重馬場。さらには斤量62kgのトップハンデを背負っているのである。実況山本直アナウンサーが声を上げる。「小坂忠士の策が決まるか!?」
この時点でオジュウチョウサンの馬券を買っていた人々は「流石に届かないのでは……」と青ざめ、「なんであんな大逃げ呑気に許しとんねん下手くそ!」と石神騎手に罵声を浴びせた。しかしここからが凄かった(はて、1年前も似たようなことがあったような?)。
直線で石神騎手がスパートをかけると、オジュウチョウサンは重馬場の障害コースを3000m走った後だとは信じられないほどの加速を見せる。直線入り口ではまだ10馬身を優に超える程にあったはずの2頭の差が驚く間もなく一気に詰まり、残り1Fを残しタマモプラネットを抜き去ると、そのスピードのまま突き放す。ゴール板を通過した時には逆にオジュウチョウサンの方が10数馬身の大差をつけていた。
G1でもない障害重賞にも関わらず、東京競馬場では雨の中、観客から大きな拍手が巻き起こった。聞けば他の競馬場や果てはWINSまでも同じ状況だったと言う。故障休養の影響を微塵も感じさせない、いやそれどころかさらなる成長すら感じさせる障害王者の復活劇に、障害ファンだけでなく多くの競馬ファンが酔いしれた。


中山グランドジャンプ

東京ハイジャンプ