鉄血のオルフェンズ1〜3話感想「三日月の成長物語?」

という訳で新ガンダムですよ新ガンダム。こちとら「俺たちのレコカツ※はまだ終わっちゃいないんだ!」な気分ですが、世間はそんな我々の感傷なんかは置いてどんどん進んでゆくのです。

※Gレコを見たりGレコについて話し合ったり記事書いたり同人誌作ったりする活動全般のこと
※ちなみに私のGレコ感想は17話で止まっておりますが、以降含めてちょっと冬コミに向けて同人誌書いてるのでご容赦。

で、折角だし鉄血についていくつか書いておこうかなーと思ってので、今の段階で思ってることをいくつか書いておきます。



書きたいことは大きく3つあって、「テーマについて」と「SF描写について」と「ロボットアニメとして」の3つ。
順番に語っていきます。

テーマについて

 ちょっとまだ3話段階だから何とも言えない所も多いんだけど、多分このアニメって「三日月の成長」は確実にテーマになってるとは思うんだよね。で、テーマ的にはそういうことやるんだろう、もっと言うとやらなきゃダメだろう、とは思うんだけど、一方で三日月クンのキャラ造形的に成長物語本当にうまくできるのか?という疑問もあって、そこらへんがなかなかチャレンジングなことしてて面白いなーと思う。

 「成長物語が難しそう」という三日月クンのキャラ造形とはどういう意味か。
 初っ端に「幼年期に人殺し覚えました」って自己紹介から始まって、3話かけて三日月のキャラ造形はある程度掴めて来た気はしてるんだけど、今の所三日月クンって、肉体的にもMSパイロットとしても優秀で、自分の境遇も理解してて、そこに覚悟もあって、さらには弁も立つ、という結構完成されたキャラなんだよね。
 で、その苛酷な境遇を生き抜いてるバックボーンを武器に、三日月クンは現実の見えていないクーデリアやクランクを「論破」する訳ですよ。そこらのエリート兵士や政治活動してるお嬢様なんかより、三日月クンの方がよっぽど現実が見えてる。完成されてる。という設定。

 しかしそうはそうなんだけど、その「完成」って言うのはあくまで現在の境遇に対する最適化でしかない、というのが今後のポイントだと個人的には思う。境遇に最適化されてるから完成されてるように見えるけど、そもそもその境遇の方が間違ってるだろ、と。人殺しバンバン行えちゃうような人間性って正しいか?っつったら、そんなんが正当化される環境の方が普通間違ってる。
まー、作風によってはそれこそ盗みも人殺しもしながらアウトローを生きる爽快感みたいなのを描くピカレスクロマンな作品もあるけど、鉄血はどう考えてもそうじゃない。明らかに三日月達の今いる境遇を「間違ったもの」として描いてる。

 で、「傭兵として搾取されてる少年たち」を主人公に置いて、ヒロイン枠に「搾取構造を変えようと政治活動してるお嬢様」を置いてるんだから、自ずとこっから三日月達は本来人間が持ち得るべき「自由」と「権利」を獲得してゆく、という話になるとは予測されるのだけど、それは裏を返せば、これまでの間違った生き方に最適化された自身を変えざるを得ない事をも意味する。はず。

ここでちょっと我らが富野信者勢のエース、グダちんさんのツイートを紹介。

実際その辺は思う所で、私はグダちんさん程に鉄血のそういう所を悪くは見てないんだけど、悪く見てない理由は「その価値観が今後逆転されるはず」と思ってるからなんだよね。
 その辺を「少年の成長物語」としてちゃんと本当に描けるのか?というのが鉄血の長期的な課題なんでねーかなー、と思う。要は「コイツらちゃんとまともな社会で生きていけるようになるんだろうな?」という話。

 で、こっからが三日月クンの難しい所で、普通そういう話するなら、主人公のキャラってもうちょい成長する為の「隙」を作っておくと思うんだよね。例えばそれこそ無感情な殺戮マシーン、みたいな。それなら「人との交流を通じて少しずつ人間らしい感情を獲得してゆく」って展開も自然になる。
 けど三日月クンはどーもそんな感じじゃない。三日月クンは自分の境遇をちゃんと理解してるし、信頼し合う仲間もいるし、分かりやすい成長物語に落とし込めるような「隙」が無い。敢えて言うとするならオルガへの盲従くらいなんだけど、かと言ってオルガに裏切られて何も信じられなくなり取り乱す、みたいな展開もちょっと安直すぎるかなあ、と思わなくもない。これがマジでオルガの命令にだけ従う自分の意思を持たないマシーン、みたいなキャラ造形なら展開も読みやすいんだけどね。
 三日月クンが成長物語が難しそうなキャラ、ってのはそこら辺の話なんだよねー。けど物語テーマ的には三日月クンの成長物語やらなきゃ意味がなさそうな設定積み重ねてる。鉄華団の面々がこのままアウトロー的に生きてくだけってのは、流石に提示した問題をうっちゃりすぎじゃねーかって思う。
どっかで今の構図を逆転させないと、この設定にした意味が無いと思うんだよな。今はクーデリアを三日月達を持ち上げるための「現実の見えていない理想主義のお嬢様」としてボコにしてるけど、結局「傭兵として搾取されてる少年たち」の見えてる「現実」だって、実際のとこはクーデリアとさして変わらん程度にチッポケなものだった、みたいな話にしないと、ちょっとなあ、という気分がある。
 
 でね? そこら辺でさらにポイントとなるのが、三日月が文字も読めないくらいまともに教育を受けていないって所だと個人的には踏んでるんだよな。世の中を変えてまともな境遇を手にいれる、自由と尊厳を獲得するというのが鉄華団が今後進む方向性なのだとしたら、そのための知識や教養という「武器」を彼らは持ち合わせていない。それを持っているはずなのがクーデリアというキャラクター。三日月らとクーデリアの「教育の差」こそが、今後の構図の逆転の鍵になる。ような気がする。

 だと思うんだけど、ここでもう一個とある方のツイート。

実際問題としてここ鉄血の大きな課題、というか逃げちゃ駄目だよねって部分なんだよな。ガチの貧困として文盲設定、すなわち「初等教育すら受けてない子供達」を設定として掲げちゃった以上、主人公らってマジでそれ相応には無教養に描かなきゃいけないんじゃないかってのも思う所。そこ考えると、まだ3話段階とはいえ、三日月ら始めとした鉄華団の連中って統率もやたらととれてて、設定としてはそうだとしても描写として結構高水準の教育受けた人間達として描かれてるように見えて、そこ若干個人的にモヤモヤしてる。
(まーその辺は活劇描く上で仕方ないっちゃ仕方ないところではあるんですが)
 なので、確かに「餓死」「売春」「文盲」っていうエグい設定を小出しにしてはいるんだけど、鉄血のそれはまだまだ「設定」止まりだなっていうのはあって、これは今後の課題だと思う。
(あとまあほとんど個人的好みの領域の話なんだが、鉄血はエグい設定の描写が毎度ストレートすぎて、露悪的というか、正直安直に見えて萎える。そこら辺もうちょいどうにかならんか、と思ってしまうのだが…)

以上が鉄血のオルフェンズに関するテーマ面での現状の感想。予想より随分長くなっちゃったので、もう2つの話は別記事で。

その2