ガンダム Gのレコンギスタ 第五話感想その2 余剰のある世界の価値

その2−

【誰が重要人物?】

 「その1」でも少し触れたが、今話で初登場のミック・ジャックとその機体ヘカテーは、「初登場」であるにも関わらず活躍らしい活躍はせず、それどころか物語の筋にすらほとんど関わる事が無い。今後ミック・ジャックがどの程度物語に関わってくるのか、今後何らか活躍する回はあるのか、そいうった事すら今話からはほとんど読み取れない。
 ミック・ジャックとは対照的に今話で八面六臂の大活躍(?)を果たした整備士のハッパさんだが、彼の初登場シーンは実は前話の終了間際であり、その際には名前こそアイーダの口から出たものの、ほとんどモブに等しい扱いだった。まさか今話でここまで印象的なキャラクターになると前話での彼の姿から想像できた人はほとんどいるまい。


(↑四話より)

 他にも今話では、名前すら定かで無いにも関わらず、妙に記憶に残るメガファウナクルーが多数描かれる。
 ハッパさんと同じく整備兵のアダム・スミス。、髪型と名前が印象的な彼も、地味に前話でサラッと登場済みだ。


(↑四話より)

 何だかアイーダとの怪しい関係を連想させる操舵士さん(このシーンに関しては坂井哲也さんが詳しく考察してらっしゃる。http://tominotoka.blog.so-net.ne.jp/2014-10-31)。海外の方が声優担当しており、確かに微妙にカタコト。

 ベルリのパイロットスーツ着用を手伝い小柄な女性。股間のチャックの所になると「後は自分でやる」と告げるも、妙に面倒見が良い。

 他、声やポーズがイチイチ格好良い大柄のお姉さんに、ラフな格好で艦長への口調も軽めなグラサン男。

 ミック・ジャックも含め彼ら彼女らは、物語の進行上必要なキャラとは言い難いにも関わらず、まるで以前からずっとレギュラーキャラであったかのように、当たり前のような顔をして画面上で好き勝手に台詞を吐く。そこに違和感や不親切さを感じる人も、ひょっとしたら多いのかも知れない。真っ当なストーリー作りのセオリーからしたら、1つのキャラクターの物語に区切りがついてから、次のキャラクターにスポットを当てるべきだろう。
 しかしGレコのキャラクター達はそんな物語のセオリーなんかは気にする素振りすら見せない。彼ら彼女らは、物語の進行とは無関係に好き勝手に動き回る。何故か? そんなのは簡単な話だ。彼らには「物語」なんかとは無関係に、彼ら自身のすべき仕事があるからだ。我々視聴者がテレビ画面の向こう側から「今のシーンの必要性は?」などと議論した所で、そんなものとは何ら関係無く、彼らは自分達のなすべき仕事を淡々とこなしている。それが結果的に我々の目にたまたま劇中の1つのシーンとして見えているにすぎないのだ。
 「物語の進行とは無関係に動く人々」そうした存在が、Gレコの世界観に深みと奥行きを与えてくれているのである。

【邪魔者扱い】

 ミック・ジャックメガファウナのクルーらが物語の進行とは無関係にそれぞれ自分達の仕事をしている一方で、特に何の仕事もしていないのがノレドとラライヤの両名だ。ベルリがメガファウナの貴重な戦力として認識されつつある一方で、彼女達は船にとってはただいるだけの居候的存在にすぎない。
 今話中盤におけるブリッジでの一連のシーンがそういった彼女らの位置づけを象徴している。ブリッジへ向かう昇降装置に乗り込もうとするノレドに対し、アイーダは「あなたは駄目です」と完全に邪魔者扱いだ。

 確かに必要性で言えば、Gセルフパイロットであるベルリはともかく、ノレドとラライヤに関して言えば、ブリッジに同席する必要は皆無と言って良い。それを承知でオマケ的についてくる2人の挙動は絵的には可愛らしいが、海賊らにとっては邪魔者も良い所だろう。実際ブリッジでは艦長は2人の姿に困惑顔で、アイーダは「あの子達は金魚の糞みたいな物ですから、いない物だと思って下さい」とバッサリだ。
 ノレドとラライヤの存在は、メガファウナのクルーらにとって邪魔者であると同時に、ハッキリ言って劇進行そのものにとっても本来邪魔な存在なのだと言える。折角「無理矢理ついてくる」という描写を挟んだはずのノレドは、特にブリッジでの会話に参加する事はないし、クリムにまとわりついて逐一ちょっかいをかけるラライヤは、むしろ物語の進行を阻害していると言っても良い。

 ではこうしたノレドやラライヤの描写はGレコというアニメにおいて本当に無駄な存在なのか?と言えば、勿論それは違う。結局は上項において述べた、メガファウナクルーらと同じ事なのだ。彼女らのような「余剰」の存在を許容している事で、Gレコの世界観は驚く程に豊かとなっている。
 物語進行に必要不可欠なキャラクターのみで構成された物語は、確かに高い完成度を持つだろう。だがそれは時に「物語のためにしかキャラクターが動かない」という意味での空虚さを感じさせる事もある。ノレドとラライヤは、確かに今話の物語進行にとっては邪魔者でしかない「余剰」の存在だろうが、だがしかし、そうした「余剰」が存在する事によって、Gレコではキャラクター達が作り手の誘導する「物語」からはみ出し、それぞれに好き勝手生きているのだ。
 物語進行とは無関係に自分達の仕事にいそしむ人達、特に何をするでもなく好き勝手ブラブラと画面上をうろつく人達、こうした「余剰」を許容するGレコの世界観の豊かさが、私には何とも心地よく感じられるのである。

【姫の責務】

 今話まででアイーダは「姫様」「姫様」と呼ばれてはきたものの、一体どう姫様なのかは特に描かれてはいなかった。本人自身、戦闘があればMSに乗って参戦したがり、どうにも姫様らしさは無い。我々視聴者に分かるのは、精々「どうやら要人の娘らしい」という程度だ。
 そんな中で、今話の艦長さんはアイーダに対して、極めて残酷に「姫」としての立場を強要する。それがラストシーンにおけるベルリに対する「ねぎらい」だ。
 想い人であるカーヒルを亡くしたアイーダは、だからこそカーヒルの代わりをやりたがり、MSに乗って戦場へと出ようとするのだろう。しかしそれが周囲には迷惑なのだ。艦長さんはアイーダの出撃に再三苦言を呈す。ではアイーダの求められる役割とは何なのかと言えば、それは「武勲を立てた兵士を労い讃える」という「姫」としての仕事だ。艦長はアイーダに諭す。

「それね、姫様の任務です。義務かもしれません」
「あなたは姫様になられる方だからです」

そしてそれがアイーダにとって酷く残酷な「想い人の仇を褒める」というシーンへと繋がる。ベルリの言う「おあいこでしょ?」という台詞に、姫様は「そうですね」と返すが、その語尾には少しだけ震えが聞き取れる。彼女自身はちっとも「おあいこ」だなんて思っちゃいないのだ。アイーダの笑顔が、どこか硬く見えるのは私の気のせいだろうか。

 そしてそんな彼女の悔しさは、他の誰とも共有される事は無い。1人になって誰も見えない所で涙を流す彼女の前を、整備兵が特に気付く事もなく通り過ぎる。1人の少女の内的感傷になんて、誰も構ってはいられないのだ。
(このシーンが素晴らしいだけに、個人的には最後の姫様の独白台詞は要らんかったかなーと思う。そんな分かりやすい台詞が無くても、アイーダが泣いてる理由はちゃんと視聴者に分かるのだから)

という訳で今回はこんな所で。地獄なリアルの片鱗を味わうアイーダ姫だが、いよいよ次回は不穏な空気漂う「強敵デレンセン」。次に地獄を味わうのは、大方の予想通りベルリなのか。スリリングすぎるから見なくて良いらしいが、スリリングだろうが何だろうが見たいので見る!のである。